第16話

 サウスヒル家に現れたその男の名は、マルクス=ウェンスウェルヴェン。アインリッヒの義兄であり、ウェンスウェルヴェン嫡男だ。彼は、外交特使の職に就いている。

 場面は再びザインとアインリッヒが寝ているベッドへと移る。

「ユリカ。お前が、ノーザンヒルの称号を父に譲った理由。良ければ聞かせて欲しい」

 胸の上のアインリッヒが、ザインに甘えながら、途切れてしまっていた話の続きを求める。責任というわけではないが、彼女には、話しておく義務があると、感じたザインだった。彼女の肩を抱きしめる。

「誉れ高い英雄の名と共に、多くの戦友が散って行った罪悪感から逃れるためだった。知将と呼ばれた一人の男の命の元で散っていった、人間の魂の声から耳を逸らしたかった。怖かったんだ……。だから俺は、名誉を楯にとって、オヤジに責任を擦り付けたんだ。だが、オヤジはそんな俺を責めなかった。あのオヤジが……、意味もなくモノを貰うことの嫌ったあのオヤジが、あの時、ノーザンヒルのエンブレムを、王から受け取った」

 だが、そのエンブレムも、七年の時を経て、本来持つべき者への手に戻ったのだ。確かに十七歳の青年である彼にとっては、あまりの重責だった。

「はぁ、何だかスッキリした!」

 弱音を語るザインは、次の瞬間妙にサッパリした声で、そう言った。

「きっと、お前はその事を、誰かに話したかったに違いない」

 アインリッヒの言葉、その響きが、過去を思い出す度に痛む心を、柔らかく包み込む。記憶の傷を持つ者の共感が、ザインにそれを素直に受け入れさせたのであった。ある意味での甘えなのかもしれない。

「ありがとう。愛してるよ」

 ザインは、もう一度彼女の肩を強く抱く。肉体的な欲望は既に落ち着きを見せている。それでも尚、彼女を腕に抱くことを安らぎに感じる。

 やがて夜が来る。ザインのリザードマンの話からこれからを想像すると、用意された夕食が、何となく最期の晩餐のように感じられる。義兄が来たことを知らないザインとアインリッヒは、遅ればせながら、これに参上した。朝昼と、自分たちの都合の良いタイミングでしか、食事をしていないので、流石に夕食にまで顔を出さないとなると、ロカに申し訳がない。

 食堂に、ノックをし、入ることにする。

 すぐさま、アインリッヒとマルクスは、互いに気がつく。

「あ、義兄上……」

 義兄が外交特使であることは、当然知っている。だが、今何故此処にいるかは、理解できない。そう言う話は、家では一つも出なかった。

 マルクスも驚きを見せる。アインリッヒが其処にいるからではない、ザインとの距離感の無さだ。女視されることを嫌う筈の彼女が、友人以上の垣根を取り払っているのが、一目で解るほど、二人が自然に並んでいる。数日見ぬ間に、釣り上がっていたアインリッヒの目尻には、優しさが出ている。まるで別人である。

 マルクスは、何らかの形でアインリッヒを罵りたかったが、他家の食堂、しかも五大雄が居るこの場で、それは出来ない。食を不味くすることほど、無礼なことはない。

「ふん、食事に遅参するな。『これ以上』ウェンスウェルヴェン家の名を汚すな」

 ゆったりと冷静な言葉だった。視線は沸き立つ憎しみに似た感情を抑えるためか、最初に視線を合わせてから、ほとんど彼女を見ずに、正面を向いたまま、壁に掛かっている絵画を視界に入れる。見つめたり、凝視はしていない。何となく……だ。

「まぁ、良いではないですか。若い二人が仲睦まじいことは、大いに結構!さぁ、彼らの任務の成功を祈って、今夜の食事は、より華やかに、より豪勢に行おう」

 そう言ったのは、ロカの父だ。ロカと同じで温厚そうな顔をしている。言い振りから、男女関係に関しては、かなりオープンなようだ。そして、ザインとアインリッヒの席は、隣り合って空いている。

 華やかな食事の最中、アインリッヒだけは、俯き口を噤んだままだった。ロカの父は、ジーオンと七年前の戦争での、互いの自慢話をしている。もちろん戦争自体、明るい話の材料ではないが、激戦を切り抜けたときの安堵感は、今でも興奮のネタとなる。

「ザイン君。君も、あるだろう?隠さずともよい」

 ジーオンが、唯一戦争のことを語りたがらないザインに、話を振る

「あ、いや、俺は、金魚のフンみたいにオヤジのケツにくっついてただけだから……」

 笑いながら、これをかわすザイン。あまり触れられたくない話題だ。

「へぇ、その若さで……、私とほぼ同年代と見たが?」

 マルクスがザインに興味を持つ。興味の意味は、色々だ。彼自信のこと、そして、アインリッヒとの関係。嫉妬ではないが、手の付けようの無いほど、周囲の人間に壁を作っていた彼女の変わりようが気になった。

「戦場じゃ、子供は、却って足手まといなだけでしたよ」

 丁寧語になるザイン。その他人行儀さで、迷惑振りが解る。興奮してつい話をを振ってしまったが、ジーオンは済まないと感じた。だが、先日のリザードマンとの戦いで、彼が勇猛な活躍を果たしたのは、目に見えて明らかである。その部分を聞いてみたかっただけなのだ。だが、そこに彼の心の傷があるのだ。

 ザインが、その話題に触れたがらないにも関わらず、マルクスが聞きたそうな視線を、ザインに送る。何を訊いてやろうかと、探りを入れる感じだ。ザインがそれを完全に嫌い、フォークとナイフを置き、席から立つ。

「ユリカ?」

 アインリッヒは、一人になることが不安だった。それを目で訴える。

「食が進まないんだ。悪いけど戻る」

 周囲への謝りを見せたザインの言葉だが、特にアインリッヒへと向けられた。それでは、自分も、と、席を立ちかけるが、マルクスが、これを止める。

「お前も、どこか具合が悪いのか?」

 まるで敵を見るかのような、冷たい視線を送られたアインリッヒは、身体を硬直させる。

「いや、特に……」

 完全にザインのあとを追うきっかけを無くしてしまった。ザインに心を開いた反面、彼女の精神面は、非常に不安定だった。陰気な雰囲気を残したまま、後味の悪い食事が終わる。

 ロカの部屋に、アインリッヒ、ロカ、ロン、ジーオンが集まる。

「こんな事を言っては済まないが、アインリッヒの兄上は、あまり好きにはなれないな」

 ロンが口直しのコーヒーを飲みながら、率直に言う。

「済まない」

 そう言ったアインリッヒが、申し訳なさそうに頭を下げた。誰もアインリッヒに謝れとは言っていない。二人の関係があまり良いものでないことは、皆、食事の時に把握している。

「儂はザイン君に、済まぬ事をした」

 次に、ジーオンが年甲斐もなくはしゃぎすぎた自分に、強い反省を促す。続いてロカがいう。

「アインリッヒ、貴方は聞いているんでしょ。良ければ教えていただけませんか?彼が、何故戦場にいたことを隠したがるのか。彼ほどの剣の使い手ならば、戦場でも名が上がるはずです」

 戦場での働きは、名誉である。誰もがそう信じている。

「ユリカには、それが重荷なのだ!」

 そんなアインリッヒの叫びは、まるで彼の代弁をするかのようだった。彼から話すことを禁じられてはいないが、二人きりの語らいだ。周囲にベラベラと喋るべき事ではない。しかし、彼の心の内を考えると、そう叫ばずにはいられなかった。だが、これで話を知っている証明をすることになってしまう。

 もう、隠すことは出来ない。そうすればかえってザインへの不信感が広がるばかりだ。ここへきて、それは拙いのだ。特に兄貴肌のロンには、それが強まるに違いない。一見してオープンな性格に見えるだけに、普段の彼そのものが、否定されることになる。アインリッヒは、彼が語ったそのままを、皆に話す。口の軽い女だと、彼に思われることは辛いが、それ以上にザインが、周囲から冷視されることの方が、辛いのである。

「そうか、ザインが、ホントのノーザンヒルだったのか……」

「よもや、一七の少年が、知将ザインバームだったとは……、酷な話じゃな」

「ザイン、水くさいですね。僕たちを信用してるって言ったのに」

 誰もザインを裏切り者呼ばわりする者は居なかった。語りたがらなかった彼を卑下する者もいなかった。皆の心配振りから、それ以上に彼のことが気になり始めるアインリッヒだった。

「ユリカの、側に居てやりたい」

 女扱いするなと言ったアインリッヒの、周囲への遠慮のない、愛情溢れる一言。彼女らしからぬ一言、まして、周囲にそれを言うような人間でないと、皆決めつけていただけに、三人の目が、一瞬点になる。

「あ!」

 自分で何を言っているのか、理解したアインリッヒの顔は、真っ赤に燃え上がる。皆知っているが、二人の関係を、告知しているようなものだ。

 そのころ、ザインもアインリッヒには済まないと思いつつ、どうしても一人で心の整理をつけたく、ベッドに横たわり、蝋燭で漸く灯された薄暗い天井を眺めながら、一つのことを心の中で呟いていた。

〈何やってんだ。俺は……〉

〈アインに会うまでは、ケリの着いた話だと思ってたのに、オヤジが死んで、エンブレムが俺の手に来て……。卑怯だよな。黙ったままオヤジに責任擦り付けて、それで全てを済ませた気でいて、いや、そう思いたかっただけなんだ。オヤジは何にも言わずに、逝っちまった。兄貴が死んだときも、俺を責めなかった。『栄誉を受け取るのは、オヤジが相応しい』て言って、最後に全部押しつけたときも、オヤジは何にも言わなかった〉

 ザインはイライラし始めるのだった。

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