第15話

 翌朝。

 先に目を覚ましたのは、アインリッヒだった。囀る鳥が、まるで二人を祝福しているかのように聞こえる。全てが初めてだった。過去に見たおぞましい行為を彼と成し遂げ、そして、何度も悦楽に没頭した。それを思い出すだけで、身体に心地よい電撃が走る。恐らく求められれば、今すぐにでも身体を熱くすることが出来るだろう。

「暖かい」

 アインリッヒは、今ベッドの役割を果たしている彼の胸板に身を任せた。だが、次の瞬間衝動的に、あることをしたくなった。彼の首に腕を絡め、肩口をそっと噛む。それから、少しずつ力を加え、次に歯を、完全に彼の肩に食い込ませた。

「う……んん」

 痛みと共に目を覚ますザイン。反射的に痛みのある肩に手をやる。そして掌が探り当てたのは、アインリッヒの後頭部だった。すると、痛みが急に愛おしくなる。放っておくと、肩の肉ごと、もって行かれるかもしれないが、それでも良いと思えるほどだった。

 アインリッヒは、口の中に血の気を感じると、漸く、肩口から離れ、ザインの頬を両手で包み、彼の唇に深く自分の唇を押し当て、深く口づけをする。

「『お返し』だ」

 アインリッヒは、彼の肩を噛んだ理由を言う。彼女は痛みに対する仕返しをした。そして同じ箇所にもう一度、歯を押し当てる。

「クス」

 ザインは、昨夜のアインリッヒの初々しさを思い出し、少し悪びれた笑みを浮かべる。少々身体がムズムズしてきたザインは、胸の上で寝ている彼女を、昨夜のように組み敷く。

「ザイン……、詩を……」

 愛されていることが止めどなく不安なのだ。この先自分がどの様になるか、知り尽くしているだけに、自分たちがただ狂った獣でない証明が欲しかった。

「よし、とびっきりのやつ。『我は、良き風となり、良き雨となり、良き陽となろう。汝は良き大地となり、良き木々を育みたまえ……』、こんな感じかな?」

 ザインは一度クスリと笑い、アインリッヒを抱きしめた。

 アインリッヒは瞬時にして、彼の詩の意味を読みとった。それは、例のロイホッカーの詩の引用で。原型はこうだ。

「良き風と、良き雨と、良き陽は、良き大地を作り、やがて良き木々を育むだろう」

 内容を約すと、夫となる者が、力を尽くし、生活を豊かにすれる事が出来れば、女性は健康な子を生むことができ、家族は円満に暮らせるという意味だ。

 コレはある意味で、ロイホッカーらしくない詩と言える。何故なら、愛だけではどうにもならないことがあると、言っているに等しいからだ。自然派では、批判される部類に入る詩だ。しかし、悲しいかな、人間の生活を営むには、やむを得ないことなのである。

 だが、ザインはこう言ったのだ。「私はお貴方のために、自分を惜しまず、注げる全てをお前に注ごう。だから貴方は、立派な子を生み、私に答えて欲しい」、つまり求婚である。

「木々は……、陽と風と雨の恵みを受け……、大地に支えられ……、やがて実をつけ……、鳥達を呼ぶ」

 アインリッヒは、ザインに狂おしく悩まされながら、似たような詩を詠う。だが、意味は「良き母と父に育てられた子は、周囲にも必要とされ、愛される」子供の良き成長を願った詩なのだ。つまり、ザインの子なら生んでも良いということだ。これがアインリッヒの答えだった。

 充実感に満ちた二人は、再び肩を寄せあい、ただ二人きりでいるとうだけの時を過ごしていた。

「この十七年間、安らいだ朝を向かえたことなど無かった。愛に恵まれた日々は、飢え怯え、生きることの許された日々は、愛に見放されていた……」

 アインリッヒは、この安らいだ一時を口にせずにはいられなかった。口ではサラリと語っていたが、彼女の手は大胆に、自分を狂わせた彼自信を手で構い始める。

 嬉しいが、アインリッヒの手を、止めに掛かる。これ以上彼女にのめり込むと、あっと言う間に夜になってしまう。昨日から引っかかっている疑問の解決に努めなければならない。

「触れていたいのだ」

 だが、アインリッヒは今までの偏っていた自分を修正するかのように、ザインを求める。

「たく……、しょうがねぇ奴。剣士級の体力も、問題だな」

 尽きることのないアインリッヒの体力に、感服しながら、彼女の頬や胸元などに、幾度も唇を滑らせ始めるザイン。だが、誘惑に負けかけたその時だ。

「ん?って、お前いくつっていった?」

「十七だ。そんなことより……、早く……」

「アハハハハ!ま、いっか……」

 ザインは妙な空笑いをした。もう済んでしまった事実を今更もとに戻すことは出来ない諦め、そして、ぼんやりと心の中にある、彼女への愛を確かめる。だが、その大人びた顔、肢体は、まだ成人を向かえぬ女性とは、思えぬものがあった。彼女を抱けば抱くほど、そのギャップを感じずにはいられない。


 アインリッヒの期待に答えたザインは、すっかり満足感に浸りベッドに身を沈めた彼女を残し、部屋を出る。そして、メイドにロカの居所を尋ねながら、漸く彼のいる部屋の前まで辿り着く。中からは、ケラケラとした、複数の女性の笑い声と、それに対し、何かを話しているロカの声が聞こえる。

 ノックしかかったザインの手が止まるが、話すべき事がある。私用で随分時間もさいてしまったことだ。勝手だろうが、彼の都合にまで気を回している時間はない。正式にノックをする。

「はい、どうぞ入って」

 相手を選ばない、簡単なロカの返事が返ってくる。そしてサインも、遠慮無く入ることにする。

「お、お前……」

 部屋に入り掛かったザインが目にした光景は、広々としたソファーベッドに凭れているロカと、その両腕に抱きかかえられない女性達が、それぞれに美しいドレスを纏い、彼を囲んでいるというものだった。

「やぁ、ザイン。中央に行っている間、みんなが寂しがって、この有様なのですよ。そちらも随分ゆっくりでしたね」

 両腕に抱いている女性を構いながら、ニコニコとした顔をして、ザインのご機嫌を伺うロカ。大人しい顔をしている彼は、とてつもないプレイボーイだ。

「ああ、おかげさまでな」

 随分と、嬉しくも余計な世話を焼いてくれたものだと、半ば呆れかえったような笑みを浮かべながら、ザインはロカの正面にあるシングルのソファに、ゆっくりと腰を下ろすのだった。

「そうそう、出発は明朝だそうです。御老体が、そう仰っていましたよ」

 随分とゆっくりとした話だ。どうも二人に気を使った日程らしいが、到着するまでに、未だ随分と日にちが余っている。それはそれで良いことだ。

「そっか、それよりロカ。一寸面ぁ、貸してくんないか」

「顔……ですか?」

 ザインの妙な言い方に、疑問を感じながら、彼はすんなり女性達から離れ、ザインと大きく広い庭先に出る。屋敷と門の間にある、中央にある女神像の瓶から、豪華に水の沸き上がる噴水までやってくる。

「ロンは、凄腕の剣士。ジーサンはあの通り、雰囲気で大魔導師ってわかる。アインも荒々しいが、剣は一流だ。ストレートに言うが、俺はお前に疑問がある」

 随分な言い方だ。残念そうに、少し寂しそうな顔見せるロカだった。出逢って四日だが、互いにどことなく気のあう気配があっただけに、疑いを持たれたことはショックだ。ロカは、それなりにザインを気に入っていた。その証拠に、豪華な別館の一室を、二人のために提供したのだ。

「残念ですね。僕もサウスヒルのエンブレムを継いだ男です。それで十分に解っていただけると思っていたのですが……。年齢が実力に直結しないことは、貴方が一番よく知っているでしょう?」

「確かに……」

 ザインは含み笑いをし、ポケットに手をつっこむ。

「安心して下さい。有事の場合、必ず戦力になります」

 それでもロカは笑っていた。だが、ヘラヘラとした笑みではなく、確固たる自信に満ち溢れた勇ましい微笑みだ。

「いや、わからんね。一応、参考程度に、何か技を見せて貰いたいな」

 ザインは、強く突っぱねる。まるで信用ならないと言った面もちで、とことんまで彼を見下したような言い方をする。

「良いでしょう。それで貴方が納得するのなら―――。それで、どんな魔法を見せれば納得していただけますか?」

 だが、ロカの表情はあまり変わらない。怒りという面が、殆ど出てこないのだ。

「そうだなぁ……。っと、ところでさ、お前昨日のやつ、どうやってジーサン達と打ち合わせしたんだ?」

 この時にザインの目が初めて正式にロカを捕らえる。ロカの目の中にザインの眼孔が飛び込んでくる。

「簡単です。それは……」

 と、ザインの質問に答えようとしたロカは、彼の視線が自分を違っている時の視線とは違い、何か別のメッセージを持って、自分に接していることに気がついた。そして、そのまま視線だけを数秒交える。

「それより、ご期待に答えて、とっておきの魔法を見せましょう」

 ロカは、ザインの最後の質問には答えず、本筋の質問に答える。

「闇をみきわむ悪魔の目を阻め!ブラインドカーテン!!」

 ロカが呪文を唱え、手印を切ると、屋敷の敷地上と思われる周囲から、赤く煌めく光の幕が立ち上る。しかし、それだけで、元素魔法における強烈な攻撃等は、全く感じられなかった。

「どうです?これで、水晶を使った遠視も、動植物を介しての遠視も、結界内では通用しません。無論、屋敷内に不審者が居れば意味がありませんがね」

 ロカのその返事を聞くと、ザインはしきりに拍手をして、満足げな顔をする。ザインの真意を理解したロカも、自分が真に疑われていたわけではないことを知り、ホッとした様子を見せる。

「ああ、ま、俺達の中にそんな奴は居ないよ。……にしても、伝心とはな……」

 そしてザインも先ほどとは打って変わって、このように言い出す。そしてロカの肩を軽く叩くことにより、彼を信用していることをさりげなく表現してみせるのだった。

 それから、眠っているアインリッヒを含め、全員を一つの部屋に集める。

「何だって?!私たちが何者かにスパイされている?」

 ロンがテーブルを叩き、ザインの一言に、不快感を感じる。

「ああ、具体的な誰かってのは、良くわかんねぇが、リザードマン出現から気になってな。その前からの出来事を考えると、そう言わざるを得ない」

「ザイン君。その、前からの出来事というのは?」

 ザインがぼかした部分を、ジーオンは改めて聞く。ザインは頷いた。だが、全てが彼の推測の元で出来上がった話である。

「リザードマンに関しては、明らかに待ち伏せだ。しかも、前々からじゃなく、俺とアインが奴らのアジトを、攻める事を決めた直後の話。それが証拠に、奴らはその戦闘に巻き込まれないよう、お宝を持って一目散……」

 ザインは、例の一つ大きめのダイヤを、皆の前にちらつかせる。

「だが、盗賊共は集落を襲ったのだろう?ターゲットは我々ではなかった」

 ロンは、ザインの意見を否定する。

「街ごと俺達を潰せば、一石二鳥だ。それに失敗したときに、俺達に勘ぐられずに済む。それとも、誰かに依頼されて、ただ街を潰せばいいと、言われただけかもな。要は、悟られちゃまずかった訳だ。今後のために」

「しかし、良くそれだけで、確証が掴めますね」

 ロカも、少し飛躍しすぎた推理に、疑問を持つ。

「だけじゃないぜ。俺もアインも、中央に来る前に、襲われてる。偶然にしちゃ、回数が多すぎる。街道って条件上、今まで気にも止めなかったけど」

「となると、盗賊やリザードマンを仕掛けた魔導師を絡めて、儂達を襲わせたのは、儂等の存在が邪魔な者だといえるな」

 ジーオンが、一応当然といえる結論を出す。それは自分たちの向かっている国に、大きく関係することだと確信した彼らは、その答えに頷く。

「どうやら、私たちの使命は筒抜けらしい。だが、そうと解った以上、不意打ちを食らうこともあるまい」

 話は終わったと、アインリッヒが腰を上げる。

「まだ、戦争するって訳じゃないのに、はやとちりな連中だ。どうだ、気晴らしに……」

 ロンは、重い溜息をついた後、またもや麻雀の話を持ち出す。昨夜は尻切れトンボで終わったため、何となく物足りない。

「ロン。野暮はダメです。ね、ザイン」

「そ、いう、コト」

 ザインはアインリッヒが去ったあとを追って、そこを後にする。

「おい!三人じゃ、つまらないんだよ!ザイン、ハンチャンつき合えって」

 ロンがザインを制止するが、彼は肩越しに手を振り、全く聞き入れない。扉がそそくさと、閉まる。

「大丈夫ですよ。父をメンツに加えれば良いじゃないですか」

 ロカの父つまり、五大雄の内の一人だ。当然ロンやジーオンとの面識はある。懐かしい顔と言えるだろう。そのころザインとアインリッヒは、いちゃつき放題だ。アインリッヒの感情表現は、気持ち良いほどストレートだった。


 二人が愛を育んでいるそんなおり、一人の男が、屋敷に足を踏み入れるのだった。

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