第14話

「ちぇ!誘っておいて、負けそうになったら逃げか?それに何で俺だけ、別館なんだよ!」

ザインはグチりながら、薄暗くなった長い廊下を、靴の音を響かせながら歩く。別館は廊下で繋がっているため、表に出なければならない面倒くささは無いが、広い屋敷なので、兎に角距離が長い。そして、漸く別館の指定の部屋の前に着く。廊下には扉が転々と並んでいるため、一部屋の広さは、何となく想像がつく。広いことは間違いない。

無造作に扉を開くと、きちんと明かりがともされている。手に持っている蝋燭で、明かりを灯す必要は、無さそうだ。

「気がきいてんな。に、しても、広すぎて落ち着けねぇな」

別室といえども、部屋の中にいくつか扉がある。間取りは、一寸した家くらいはありそうだ。ただキッチンがないため、部屋だと言い切れるだろう。

寝室を探し始めるザイン。まず覗いた部屋はトイレだった。

「誰かいるのか!」

その時に、緊迫感のあるアインリッヒの声が聞こえる。何故かおどおどとし始めるザインだった。後ろを向くが誰もいない。気のせいなのか?そう思った瞬間、身を整えたアインリッヒが、三つある扉の一つから姿を表す。

「なんで?!あれ?俺部屋を間違えたかなぁ、ゴメン」

ザインは、メモを見ながら、己の辿った経路を思い出すが、間違った気配はない。だが、アインリッヒがいるのだ。仕方が無く他の部屋を、探しに行こうと、入り口に向かい始める。その仕草が、かなりぎこちない。

「ひょっとしたら、私が間違っているのかも……」

互いに示し合わせ、部屋を共にするならともかく、間違いで同じ部屋にいるのは、どうもばつが悪くなった。彼女も、テーブルの上に乗ってあるメモを取り、確認をするが、どうも間違っている気配はない。

「ユリカ……」

「ああ」

互いのメモを見せあう。そして、照らし合わせる=

「同じだ」と、ザイン。

「ああ、同じだな」アインリッヒが復唱する。

その時、ザインには、強引なやり口のロン、不自然に皆一斉に部屋を去った事実、遠回りなメモ、離れた寝室。何時裏をあわせたのかは知らないが、手の込んだやり方だ。

「なら、無理に部屋を換える必要は、無いだろう?」

背を向けたアインリッヒだった。唐突なので、あの時のように感情に任せきれない。だが、その言い方は、遠回りで積極的だった。

実はザインも、可成り照れくさかった。遊びと割り切っている分には、乗りで女を抱くこともできる。だが、今回は勝手が違う。彼女を抱きたいが、それがただの衝動でないことは、今自分が躊躇っていることで、もう十分解っている。では、本気なのかと訊かれると、出逢って四日。あの時、よく無責任に彼女を抱こうとすることが出来たものだと、ゾッとする。

「なぁ、男ってなぁ、別に尊敬とか、信頼とか、愛とかが無くても、女を抱けるんだぜ」

振り返って、背を向け、間を繋ぐために出た言葉が、そんなとんでもない発言だった。もう一度振り向き、声を妙に浮つかせながら、あまたを掻きむしりながら、愛想笑いを浮かべている。腰はすっかり逃げていた。後退りしてドアに向かっているような錯覚を、自分で感じた。

しかし、背中を向けつつも、視界ぎりぎりにザインを捉えているアインリッヒは彼の行動と言動の矛盾にすぐに気がつく。気にしていなければ、力ずくにでも自分を奪っても、不思議はないと思った。現に父は、そうして女中を抱いている。

道徳観と己の気持ちの板挟みになり、困った笑いを浮かべているザインが可愛く見える。では、自分はどうなのだろうか、アインリッヒは心に問う。唯一自分を女として見る事を許した男性が、こうして目の前にいる。先日は、邪魔が入った。今はどうか。「抱かれたいのか?」。ただ抱かれたくはない。あの時は過去の傷という共感があった。普段平然と生きている彼も、その傷を未だ克服しきれていない。何かの罪悪感に苛まれているのは、自分だけではない。彼は己を憎みながらも、その事を自分に教えてくれた。あの時は、それを一つにして、互いの痛みを、分かち合おうとしただけにすぎなかったのではないか。それだけならば、同情であり、愛ではない。

「ユリカは、私を抱きたいのか?」

ストレートな問いかけだ。振り向き、一歩前に進み出したアインリッヒが、彼の嘘のない答えを求めている。

ザインの笑いが止まった。

自分自身を誤魔化し、良くも悪くも逃げることの出来る形を作ろうとしていた事に気がついたのだ。男性自身の性に責任を押しつけ、己を庇い、もし拒まれても、そのまま笑って去ることが出来るように。

「抱きたい」

ザインは、彼女を抱きしめると同時に、声を掠れさせ、彼女の耳元でそっとささやく。それが彼自信の本当の答えだった。

「なら、どうして奪わない?」

また問う。

「お前を、傷つけたくない」

それも真実だった。だが、「抱きたい」と、そのあまりに己に正直すぎる言葉が、彼の理性の箍をを外す。呼吸が荒くなり、彼女の頬にしきりにキスをするザイン。

ザインにとってそれが明確な愛でない事は、アインリッヒにも解る。言葉巧みな「愛」は、通用しない。だが、彼に求められていることが、苦痛であるかと、己に問いかけると、それは「NO」と、返ってくる。

「私もお前に抱かれたい」

そのころには、ザインは既に彼女の上半身を外界に曝し、背を強く抱きしめ、自分のほうへを引き寄せ、その唇から肩口を、幾度も唇で撫でていた。

「はぁ……」

ザインの唇が彼女の胸方に走らせた時だった。アインリッヒは、大きく背を逸らし彼の頭をそっと両手の中に包み込んだ。気が狂うほどの心地よさが、彼女を襲う。

「足に、力が……」

アインリッヒは、懸命に砕けそうな腰を立たせようとしている。

「大丈夫」

そう言ったザインが、アインリッヒの肌を唇で撫でながら、彼女の太股辺りを抱き、グイッと持ち上げる。アインリッヒは、無理なく胸元へ来たザインの頭を、両腕で包み込んみ、その奥から、破裂しそうな激しい動悸を彼に伝えた。

「ベッドへ……行こう」

「いいとも」

ザインは、このまま乱れあうことを考えた。だが、アインリッヒがベッドを望む。そこへ辿り着くには、三十秒も掛からないだろう。その時間が過ぎゆくのがザインには、遅くも早くも感じられたのだった。

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