第13話

「なんか、こう、ボウッとするなぁ」

ザインが漸く目を覚ます。集まっているロン達が視界に入り、立ち上がると同時に、木陰からアインリッヒの方へ向かうと、ジーオンがアインリッヒの治療に当たっており、それを見守っているロン。彼の気配に気がつき、振り向いたロカがいるといった構図だ。ロカと目が遭う。すると、彼は視線を逸らし、申し訳なさそうに、急にクスクスと笑い出す。ロカの笑いと同時に、ロンとジーオンも振り向き、ザインがそこにいることに気がつくと、口の中に笑いをため込み、懸命にそれを手で押さえ込んでいる。頬が今にも破裂しそうだ。

「ユリカ……」

その中でただアインリッヒだけが、真面目な顔をして、彼の目覚めを受け入れた。だが、アインリッヒのその一言で、三人が大爆笑になる。ロンが面白がり、汚れるのを構わず、腹を抱え込み、のたうち回って、笑い転げている。

「わ!笑うなぁ!!俺だって気にしてんだ!」

爪先立ちになり、怒鳴ってみるが、三人の笑いは止まらなかった。

「す、済みません!でも、変に隠すからですよ。考えれば、貴方だけフルネームが解らなかったのですから、その反動で……」

ロカが笑いながら、必死の弁明をする。背を丸めて、両腕で腹を抱えて、目尻に涙をためながら、笑いをこらえる。

「だぁ!オヤジが、俺が生まれたとき、女の子が生まれることしか考えて無かったんだよ!!そのまま俺に、名前付けやがったんだ!仕方がねぇだろ!!」

こうやって、ムキになって説明し出すことが、またおかしい。アインリッヒも、そんな彼がおかしく感じ、周囲にも吊られ、思わずクスリと笑った。

「あ!アイン、今笑ったろ!」

「そんなつもりじゃ、だが、そう子供のようにムキになって怒ることもあるまい?」

と、言いつつ、微笑みに、口元がゆるんでいる。堪えてはいるが、笑いが口の隅から漏れて止まらない。

結局、アインリッヒが漏らした一言がきっかけとなり、ザインの呼び名について説明を求められたことから、彼女は「ユリカ」の所以を、話すところとなった。そして、結果がこれだ。

「ユリカ」発言については、ザインはひどく、気分を害したが、馬に跨ると、先ほどの状況の整理に入り始める。ただし、エスメラルダには跨れないままだ。ロードブリティッシュの手綱を取り、背にはアインリッヒが凭れている。ただし、鎧のままなので、ザインとしては嬉しくない。が、仕方のないことだ。アインリッヒが自分自身の全てを受け入れることに慣れるまでの間だ。彼女は未だ、剣士として使命を受け旅立った自分を意識している。そのために女として、扱われるのはいやなのだ。使命を果たす己だけを見て欲しいのだ。プライベートな時間でない限り、彼女は鎧を脱ぐことはない。

「ユリカ」

アインリッヒがザインを呼ぶ。周囲が僅かに小うるさく笑い出す。

「外野!五月蠅い!……。で、何だ?」

「ユリカと呼んでは、ダメか?」

話は複雑ではなかった。ただそれだけのことだが、切ない声だった。気を遣っているのがわかる。何よりザインがそう呼ばれることを嫌がっていることを、思ってのことだ。ならば、ザインと呼び直せばいいだけのことだ。しかし、それを確認すると言うことは、彼女なりにそれなりの思いがある。

ザインは小声で言う。

「と、特別だからな」

「ユリカ……」

愛おしさの隠るアインリッヒの一言。照れに顔が真っ赤になってしまうのだった。鎧の中から湯気が上がっている。今、アインリッヒにある、「男」の善の部分は、ザインという小さな世界にしか存在しない。

彼女にとって漸く少し開いた扉なのだ。

瞬間、ザインの思考が、アインリッヒのことだけに傾いたが、すぐにリザードマンが出没した事情を、思考し始める。そして、一つの推測が成り立つ。だが、此処では言わなかった。言えない理由もあったが、馬上では、意見しづらい。

遠回りをしたせいもあり、サウスヒルに着いたのは、翌日の夕方であった。


サウスヒルでは街の宿ではなく、ロカの屋敷に宿泊することになる。ロカは少しホッとした顔をしている。やはり自宅というのが一番落ち着く場所なのだろう。

「アインリッヒ。済みませんが、屋敷に入る前に、鎧だけ脱いでいただけますか。流石に、大理石のゆかに傷が着いちゃいますから」

ロカは穏和に当たり障りのない言い回しで、そう言う。今のところ、ロカに険しさが見られない。旅に出てからずっとだ。心が穏やかなのか、絶えずニコニコとしている。

「承知」

アインリッヒがそう答えると、彼はにこやかな顔を、更ににこやかにする。

屋敷に入ると、屋敷中の人間が彼を迎えに来る。しかし、中にはどう見てもメイド等でない女性がいる。その女性達が、ロカの周囲を取り巻く。

「ロカ様。早いお帰りでしたね」

と、口々にその様なことを言い出す女性達。見方を変えればどことなくハーレムを作っているように見える。

「あれは、汚れだな。うん」

そう断定するロンだった。


体の汚れはあるが、とりあえず食事である。シャイナ家は、彼、そして彼の両、親多数の召使い、先ほどの意味ありげな女性達がいるが、この時は、両親と、五大雄のエンブレムを持つ彼らだけが食卓を囲む。

「どうです。当家の食事は」

珍しくロカが仕切っている。

「ああ、ウメェ!」

ザインがワイルドにがっついて食べる。食欲の鬼と化している。他の者は育ちがよいので、食器が小うるさくガチャついているのは、ザインの周囲だけだった。だが、不思議と浅ましさは感じない。本当に食を楽しんでいると言った感じがして、見ていても美味しそうだ。

〈ま、この話は明日の明日でも良いな。ロカも寛ぎたいだろうし、変にみんなを惑わす事もしたくない。それに、自然に話せる展開にもって行かないとな……〉

だが、頭の片隅で、皆に話す展開にどう持って行こうかと、考えた。その瞬間だけ、ザインの顔が真面目になる。口だけは間抜けにたくさんの食べ物で詰まっているが、思考が食べ物に集中していない。それに気がついたのは、真横で、ずっと彼を見続けているアインリッヒだけだった。

「うん美味い」

しかしすぐにそう言いながら、食に没頭し始めるザインだった。

そして風呂場だ。いかにも戦場を駆け抜けたと言わんばかりの体をしているのは、ロンとザインだ。とてつもなく広い風呂場で、いかにも雑談するために作ったと言わんばかに半円に凹んだ部分に、彼らは屯する。残念ながら、アインリッヒはいない。別湯に入っている。女湯では、彼女が怒るため、あえてそう呼ばざるを得なかった。

「なぁ、風呂上がりに、いっぱい引っかけながら、こうジャラジャラっと……」

ロンが湯面をテーブルに見立て、牌をかき混ぜる仕草をする。

「良いノォ。じゃが、儂等には……」

釘をさすジーオンだが、それを責める気配はない。すっかり乗り気である。

「解っています。重要な使命があるのでしょう?」

「ああっと俺は一寸……」

ザインは、仲間に引き込まれない内に、そうそうと風呂からも上がろうとする。だが、ロンが立ち上がろうとする彼の足を払い、再び湯船に沈めてしまう。

「つき合い悪いのは、嫌われるぞ!理由くらい言って行け」

「ねぇよべつに……」

行動とは裏腹に、さらっと言葉をながして言うロンに、顔の上半分だけ、湯船から頭を出し、反抗的な視線を送る。

「なら、ハンチャンだけつき合え」

ハンチャンと言っても、長ければなかなか終わらない。強引に誘うロンだった。迷惑と思わないザインだが、出来ればベッドの上で、考え事をしていたい。

だが、実際一局打ち始めると……。

「へんだ。誘ったこと後悔するなよな、今更!」

「くそう!なんで素人のお前が、こんなにに強いんだ!?」

カモだと思っていたザインは、堅実に上がり、時には大胆な捨て牌で、周囲を惑わせ、大きな手で上がって見せたり、小さな手で逃げてみたりと、多彩に動く。何より、当たられない。

「あ、もうそろそろ、終わりにしません?」

と、ロカが場の途中で、こんな事を言い出す。彼が時計を見ると、ロンもジーオンも時計を見る。

「そろそろ寝るかな……」

「儂も歳だし。この辺で……」

強引に誘った筈のロンやジーオンまで、席を外す。だが、時計は未だ十時を回った程度だ。

「おいって!」

まるで裏をあわせたように、皆がテーブルから離れ、ザインが、一人だけ席についている。

「あ、そうだ。皆さん、コレに部屋の指定がありますので、どうぞ」

ロカが思い出したように、メモを皆に配る。それから、彼は自分の寝室に戻る。ロンもジーオンも、ザインをひとりぼっちにしてしまう。大きな柱時計の振り子が時を刻む音だけが、妙に耳に触る。テーブルの上には、放り出された麻雀牌たちが、放り出されていた。

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