44. “精霊のゆりかご”の調査10

『――あっ! ほんとに帰ってきた!』

『わぁーっ!』

『フエェェェェン、よかったぁぁぁぁ』

『オカエリ〜!』


 ――大樹の根を少し登った先、洞のように見えた穴。そこを通り抜けると、驚くほどに明るく広大な空間が広がっていた。


 草花が青々と生い茂り、花の香りを乗せた風が柔らかくそよぐ。まるで小さな森のように樹々が空間を埋め、その隙間には泉のようなものさえ見えた。足元は土の感触――これでは外と変わらない。さしずめ“精霊の森”といったところだろうか。

 樹の中に森があるというにわかには理解しがたい景色に、セレは暫し目をぱちくりとさせた。体に張り付いていた精霊達は散り散りになり、各々仲のいい精霊の下ではしゃいでいる。


『久々に戻ったけど全然変わってねえな』

『ああ。いざ戻ってみると“帰ってきたんだなぁ”ってなるよな』

『違いねえ』


 大樹の中はまるで吹き抜けのビルようで、幹の一部が出っ張って階層を作っていた。そこからさらに樹が伸びて、外周を囲うように天を埋めている。

 しかし、光源であるはずの上部が覆われているはずなのに、不思議と中は昼間のように明るかった。薄暗い霧の森とは雲泥の差である。


『セレ? どうした?』

「――……いや、何でもない。少し驚いただけだ」

『なんか驚くようなもんあったか?』

『ああ、精霊がいっぱいいるからか? 皆こっち見てんもんな』


 よくわかっていないらしいエナの言う通り、ひとしきり騒いだ精霊達はじっとセレを観察していた――好奇心と警戒心が半々といったところか。


 精霊達は皆エナと同じく鳥のような見た目をしていた。丸っこいもの、寸胴なもの、平たいものなど鳥(?)であるものも多いけれど。

 見つめられるのをなんとはなしに見つめ返していると、囲う精霊達の中から一体がトトトッと抜け出してきた。桃色の丸っこい精霊である。


『あのね、長老が呼んでたよ。エナも一緒においでって言ってたよ』

「長老?」

『うん、あのね、お話したいんだって』

じいが? あー、爺ならセレのことも、あの怪魔のことも知ってそうだしな』

『うん、長老言ってたよ。“ヒズミから来たヒトが怪魔をやっつけて、精霊みんなを連れて帰ってきてくれる”って』

「……その長老殿は、随分と物知りなんだな」

『あの爺は物知りだぜ。爺だからな! 呼んでるって話だし、行ってみようぜ』


 軽いエナに先導され、精霊の森の中を歩く。滅多に見ないヒトだからか、あちらこちらから精霊達が顔を覗かせ、興味津々といった様子を隠す素振りもない。

 何故か後ろを付いてくるものまでいる。それどころか背をよじ登る猛者まで――やはり警戒心が足りていないのではなかろうか。いちいち剥がす気にもなれず、精霊達を張り付けたまま森を進む。




 人が通るには少々狭い樹々の間を抜けると、開けた場所に出た。清らかな水で満たされた泉の中央に小島のような丸い陸地。背の高い樹木が植わり、瑞々しい果実がたわわと実っている。


 ――その樹木の下、ひと際大きな姿があった。



『おお、来たか、来たか』



『元気そうじゃのう、エナや。そして――初めまして、稀有なヒトよ。わしの名はトト・ズミという。皆からは長老などと呼ばれておるよ』

『久しぶりだな、爺』

「――初めまして。私はセレ・ウィンカー、今は狩猟者ハンターをしている」


 縦横2メートルはありそうな巨体。フクロウのような顔をしているが、その体を覆う斑の羽は綿のようで、見るからに柔らかそうだ。

 その内から感じる魔力は、精霊の森の誰よりも大きい――たっぷりと蓄えた白い胸毛と髭を揺らし、トト・ズミと名乗った精霊は『よっこいせ』とセレの方に体を向けた。


『適当に座っておくれ――さて、セレと呼んでもいいかのう。わしのことはズミと呼んでおくれ』

「ああ、わかった」

『うむ、うむ。まずは、同胞を救ってくれたこと、礼を言う。わしらはてんで戦うことには向いておらんでの、あれがのを待つくらいしかできんかった』

「いや、あれは仕事の一環で――“壊れる”?」

『あれは精霊の力に耐えられる器ではなかった。ましてや、あれだけ欲張って喰っていてはのう……ただの“成り損ない”じゃよ』


 重厚な気配を纏ったまま、ズミが肩を竦めるような仕草をする。やれやれといった様子は、老練の中にどこか愛嬌を感じさせた。

 “壊れる”――確かにあの怪魔は異質であった。精霊を喰らい急激に力を得て。酸に草木、見るからに異常な容貌に成り果て――背筋を薄ら寒いものが走る。セレは無言で相槌を打った。


「ズミは……私のことも知ってるんだな」

『ホッホッホッ。セレがこちらに来た時から知っておるよ。それなりに長生きしておるからのう、この森の中で起きたことは大体わかるんじゃよ』

「へえ……すごいな。ここから出てって見たわけじゃないんだろ?」

『うむ、うむ。いやはや、驚いたぞ。歪みから放り出されて怪魔に襲われたかと思ったら、一振りで仕留めてしまうとは。なんとも腕の立つヒトがやってきたもんじゃとの』

「巨獣狩り――こっちで言う狩猟者ハンターに似た仕事をしてたからな。ああいうのには慣れてるんだ」

『なるほどのう……あれを仕留めたのもさもありなん、か』


 『ホッホッホッ』と大きな体を揺らして笑うズミは、エナに“爺”と呼ばれるだけあって好々爺然としている。精霊達の長らしい聡慧さと年長者としての温厚さ――敵ではない、だが油断ならない。セレはズミをそう評価した。

 ズミはひとしきり楽し気に笑うと、『それにしても』とセレの肩に止まるエナに顔を向けた。


『早々にヒトの町に向かったのには驚いたぞ、エナや』

『あ? なんでだよ爺』

『全く、お前というやつは……歪みの話をお前に教えたのは誰じゃ?』



 ――――…………。



『てっきり歪みについて、わしに聞きに来ると思っておったのにのう』

『しょっ……しょうがねえだろっ! …………やっとチャンスが来たって浮かれてたんだよ』


 エナがバツが悪そうに縮こまった。エナの言い分もわからなくもないが、さすがに呆れを含んだ視線を隠せない。

 同じ感想だったらしいズミが息を吐くと、『わしもそれほど知っているわけではないが』と髭を揺らした――思いがけない幸運だ。セレに“見逃す”という選択肢などない。


「知ってることがあるなら、ぜひ聞かせてほしい。どんな情報でも構わない」

『わしが詳しく知ることができるのは、この森の中のことだけでのう。それでもいいなら構わんよ』


 あっさりとしたズミの対応に、セレは内心少し戸惑った。ズミも含め、ここにいる精霊達は驚くほどにセレに友好的である。

 エナを連れているからか、彼らの仲間を助けたからか――これらも十分理由になるだろうが、単純に精霊という生物がフレンドリーなだけの可能性もありそうだ。エナを見る限り。

 セレの心情など知る由もなく、ズミはその丸い目を閉じ、語り掛けるように言葉を紡ぎ出す。



『わしの知っている範囲じゃと……前回の歪みは遥か昔、ヒトがまだ争いをしておった頃にできたという事。そして、その時――地形を変えるような異変が起こり、セレとヒトがこちらに渡ってきたという事』



「……同じような?」

『うむ。セレと同じ、金色の力を纏った戦士じゃったと』

「――――!」


 遥か昔、この世界に堕欲者グリードが来ていた――?


 無意識に顎に手を当てる。それは偶然なのか、何かの意志が介入したのか。ズミは“異変”が原因だと言ったが――。

 先人の詳細も定かでない今、いくら頭を捻っても何もわからない。セレは目線で続きを促した。


『その戦士はこちらの世界の争いに加わっていたようじゃの』

「……戦争に参加したのか?」

『うむ、うむ。南の方のな。どこに味方をしたのかだのは知らんが』

『へえー、セレと同じってことは、そいつも強かったのかぁ』

『そこまではわしも知らんのう』

「そいつは、その後――戦後はどうなったんだ?」

『それもわからん。わしが知るのは、南から流れてきた精霊から聞いた話じゃしのう。この世界に骨を埋めたか、己の世界に戻ったか……』

「……そうか」


 ズミは“遥か昔”の話だと言った。堕欲者グリードと周知され始めたのは比較的近年の話なので、まだ<カルマ>という名称すらなかった時代かもしれない。仮に時代を特定できたところで、その頃の失踪者などセレが知るはずもないのだが。

 しかし、堕欲者グリード自体は少ないとはいえ現代ではそれなりに存在するのだ。<カルマ>を扱えるであれば尚更――もちろん過去にも存在しただろう。やはり気にしすぎなのかもしれない。


『もしこれ以上のことを知りたいなら、各地の精霊を訪ねるとよいじゃろう』

「精霊を?」

『うむ、うむ。わしと同じように長く生きておるものもおるしのう。南のローゼスの方じゃと、当時のことを知る者もおるやもしれん。エナを連れていくなら、なんとなく場所もわかるじゃろうしの』

「……なるほど、参考になった。ありがとう」



 “ローゼス”、“堕欲者グリード”、“戦争”――そして“精霊”。



 思いがけず、今後の行動指針ができてしまった。こちらの世界に来て約一か月、いろいろあって“こちらの世界のことを知る”という第一段階すら碌に進んでいなかった気がするが、ここに来て大きな進展である。


 ただ闇雲に旅をするよりは遥かにいいだろう。歪みのことにしろ、件の先人のことにしろ、人の町を巡っていても辿り着けなかったに違いない。

 今自分にできるのは、とにかく手当たり次第に情報を得ることぐらいだ――元の世界に帰る以前に、そもそも何故この世界に来ることになったかすらわからないのだから。


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