43. “精霊のゆりかご”の調査9

 ――獲物に攻撃を加える回数は、できる限り少ない方がいい。

 下手に浅い傷を増やして暴れられるのは厄介だ。失血を狙うのであれば、太い血管の通るところを確実に狙うのがいい。

 可能ならば“首”を狩るのが一番いい。胸や腹でも動きは止まるが、首を落とせば確実に死ぬからだ。



「アアァ――ァアアアアアアアッッ――――!」



 バキンッ! ブチブチブチブチッ――バツンッ!



 霧の森に響く咆哮――まるで洞窟の中を反響しているような、不思議な叫び声だった。酸を吐き続ける巨亀の喉は、声を外に吐き出すことはできないらしい。


 甲羅からを裂き、肉を裂き、骨を砕き、その対に突き抜けるまでその巨躯を喰らいつくす――対象それが連なったひとつの“個”である限り、その牙は内を伝ってどこまでも突き進む。

 甲羅に引っ込んだとしても、そのは肉に沈んでいるのに相違ない。首の付け根に当たりをつけた斬撃は、寸分違わずその首を刈り取った。


『オ――……オオ――――ッッ!!』

『よっしゃあ――ッ! 真っ二つだぜっ!』


 首側のが派手な音を立てて大地を揺らす。精霊達は揃ってフードから飛び出して雄叫びを上げている。

 ――あれだけの巨体だというのに出血がほとんどない。愛剣を背に収め、警戒を解かぬままその巨骸の断面を観察する。もとより異常な個体だったので何の参考にもならないだろうが、職業柄、生物における未知の現象には関心がある。


『おお……っ、嵐みてえな魔力がなくなったぜ!』

『よしっ! あとはあいつらだけだな!』

「――ああ……しかし、どうやって取り出すか」


 巨骸の背を歩きながら思案する。精霊達がいるらしいのは最頂部に生えた細樹の真下、この巨体のど真ん中。巨亀の死で魔力の奔流が収まり、セレにもようやく精霊達の魔力を感じ取ることができた。

 弱々しくはあるものの、一塊に集まっているからか不安定さは感じない。彼らが自力で出てこられるならそれが一番いいのだが。


『ヌーン……こんだけでっかいののど真ん中だと、出てくるのも大変そうだしな』

『なあなあ、適当にぶった斬るのは駄目なのか?』

「んー……今なら位置も把握したし、できなくは――うん?」


 気のせいだろうか。細樹が光っているような――否、気のせいではない。そして異変はそれだけではない。

 足元の草木が萎れていく。それに呼応するかのように、細樹が光を増していく――巨骸の中央から、魔力の塊が浮上していく。


「これは……」

『おおっ! あいつら、まだ元気あったんだな!』

『みてえだな! セレ、あいつら自力で出てこれそうだぞ!』


 巨亀に根を張っていた草木が枯れ落ちるにつれ、魔力が大きく、力強くなっていく。まるでかのような――。


 ゆっくりと昇ってきた魔力が細樹に辿り着くと、より一層輝きが増した。幹の中央、光の玉のようになっている。

 出るとはいっても、どのように出てくるのだ。幹を斬ってやった方がいいのだろうか――セレが逡巡していると、細樹が根の方から萎びていった。いつの間にか、巨亀の甲羅には草木の一つも残っていなかった。



 ビキッ――ピキキッ――――パキンッ!



『ふわっ…………や、やっと出れたよぉぉっ』

『ああ、外、外の空気だ……』

『ウウゥ、ワアアアアアン』

『ヒグッ……ヒグッ……』

『お腹……お腹が空いた……』

『うう……ん、ガラ? エナもいるじゃねーか』


『おーっ! お前ら!』

『ふんっ、元気そうじゃねえか…………グスッ』


 弾けた枯樹から大小合わせて10体ほどの精霊が飛び出した。大きいものはセレの腰ほどもあるかもしれない――エナはこの中では一番小さいようだ。

 巨亀から魔力を取り返したようだが、それと体力は別問題らしい。皆ぐったりと横たわっている。エナと瞳を潤ませたガラが心配そうに飛んでいった。


『うー……ガラ達が助けてくれたの?』

『違う、俺達じゃねえ――いや、エナの手柄ではあるのか?』

『フフンッ、俺がセレを連れてきたからだぜ!』

『セレ? 誰?』


 『こいつだぜ!』とエナが頭頂部に飛び乗ると、いつぞやに見た反応が十倍ほど重なった。甲高いのも混ざってさらに喧しい。人慣れしていないのはどの精霊も変わらないようだ。


 騒々しい精霊達はひとまず横に置き、セレは足元の巨大な死骸をやや呆然と見下ろした。

 押し付けられた時はさすがに使わないだろうと思っていた、あの舞台の天幕の如き魔導梱包布の出番なのかもしれない。そもそも持ち帰ったとして、開封できる場所はあるのだろうか――いつも面倒事は後から来るのである。少々憂鬱になり、セレは浅く息を吐いた。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




『ねえねえ、歪みの向こうってどんなところ?』

『あたしたちみたいな精霊はいないの?』

「少なくとも私は見たことがないな――こら、シャツに潜るな」

『だって後ろから押してくるんだもんよー』

『すっごーい、はやーい!』


 精霊はとても軽い生物であるらしい。エナ単体ではなんとも思わなかったが、これだけ纏わり付かれてもほぼ重さを感じないのは驚いた。

 ――そう、纏わり付かれていた。現在、精霊達の集落に向けて移動する最中である。フードに収まりきらないものに背に張り付かれ、不器用なのか縮むことができないらしい精霊を小脇に抱え、セレは枝から枝へと跳躍した。




『見たことあるよ』

『あるねえ』

『集落にいっぱい生えてるやつじゃん』


 セレの本来の目的は“精霊のゆりかご”である。少々脇道に逸れてしまったが、霧の森の奥まで来たのもそのためである。

 騒ぎが落ち着いたので例の図鑑の写しを精霊達に見せたところ、なんともあっさりとした回答が返ってきた。『あったっけ……』『俺達あんま戻らねえしなぁ』と話しているエナとガラは外住ほかずみである。そんな事より食欲が勝るようで、セレの与えた木の実を無我夢中で齧っていた。


 はたして精霊達の本拠地らしい場所に人が立ち入ってもいいのか――気にしていたのはセレだけだったらしく『欲しいなら取りに来ればいいじゃん』と満場一致で決まってしまった。彼らはもう少し警戒心というものを持つべきではなかろうか。


『いいじゃねえか。確実にあるってわかってんなら、そっから貰えばよ』

「まあ……それが一番ではあるけどな」


 精霊達の集落というのは巨亀を屠った場所からさほど遠くなかったようだ。移動すること二日ほど、霧深い中でも薄らと影が見えていた大樹――頭三つ程突き抜けて大きい樹がそうらしい。

 大樹の傍、その荘厳な巨影を見上げる――首を痛めそうだ。一本芯がある直立した幹に、太いと言っても足りない根がそれに巻き付くように地に伸びている。苔生こけむした表皮の厚さがより一層その年輪を感じさせ、いっそ近寄りがたくなるような威圧を与えていた。


「……本当にここが集落なのか?」

『うん! 中にいっぱいいるよ!』

『外からはわかりにくいんだよな。中に入ったらわかるぜ』

「中……?」

『えっとね、上からでもいいけど、下からでも入れるよ』

『こっちだよ~』


 魔力が感じられない――“集落”だけあって相応の場所であるらしい。

 何体かの精霊が先行して道案内をしてくれるようだ。目的地に着いたのだから他の精霊も降りてほしいのだが――元の大きさに戻った精霊達を張り付けたまま、セレは大樹の根元へと歩を進めた。


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