35. “精霊のゆりかご”の調査1

『なんかよー、そんな経ってないはずなのに、すっげえ久々な気がするぜ』

「まだ半月経ってないしな、信じられないことに」


 なかなかに濃い半月であった。300年ほど生きているが、間違いなく十指に入るほどに。

 セレはこちらに落とされた時――魔法で頭をかち割られそうになったことをふと思い出し、なんとなく蟀谷(こめかみ)をさする。足場に踏みつけた木の枝が、心なしか大きく揺れた気がした。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「んー……これが“キッカの実”、か?」

『俺はその絵と同じに見えるなあ……合ってんじゃねえか? ングッ』

「喉詰まらせるなよ」


 携帯食を齧りつつ、エナと図鑑の写しを睨みつける。抜かりのなかった教授様に渡された素材リストの一つを、借り受けた“魔力遮断グローブ”でいくつかむしり取った。


 道中で採集は一切せず、移動すること二日ほど。現在地、ボレイアス大森林深部入口付近。二度目の侵入だからか予定より幾分か早くに到達した。

 エナの寝床とやらはセレと出会った場所のさらに奥にあるらしい――以前のデアナまでの道程を逆走してきたが、どうやら定石の攻略ルートではないようで、森に多く入っているという狩猟者ハンター達とは一切出会わなかった。北門からは大きく外れた方角なので致し方ない。


 ボレイアス大森林は探索に数か月は掛かるというが、深部に近付くにつれ草木が鬱蒼と生い茂り、侵入者を拒むかのように足場が非常に悪くなる。この中を団体で移動するのは確かに骨が折れるかもしれない。このルートは定石ではないため、単に踏みならされていないだけかもしれないが。


「こんだけあれば十分だろ……エナ、他に心当たりはあるか?」

『うーん…………こっちの花は、見たことある、ような? どこだったかは覚えてねえな……寝床の近くだっけな……』

「別に無理に思い出さなくていいぞ。これは“見かけたらついでに”って話だしな」


 “ついで”にしては多すぎる気もするが。宿に連絡し、適当に携帯食を買い込んで即出立したが、あの見送りの熱の入りようといったらない。

 “精霊のゆりかご”のついでに怪魔、おまけにその他上級素材――間違いなくセレの持ち込んだ彗恵樹すいけいじゅの実、その他深部素材を見たせいだが、どれだけ飢えているというのか。


『あいつら、よくもまあ、あんなにポンポン出てくるもんだな』

「……ああいう賢い奴らはな、敵に回すと怖いんだ。物のついでで機嫌が取れるならそれに越したことはない、そう思っておいた方がいい」

『なんだよそれ怖っ……』


 魔力遮断グローブ――魔力のないセレにはおそらく不要な物だが、それと同じく貸し付けられた保存容器に木の実を入れ、同じく貸し付けられた拡張ラージバッグに突っ込んだ。

 価値の高い植物は採取の際、魔力遮断グローブはほぼ必須らしい。ごく稀にその逆、一定の魔力が必要な場合もあるが、大抵は採取者の魔力が干渉しないようにする、とのこと。そういえばどこぞの魔草農家でも聞いた話である。


「よし、じゃあ行くか。この先で合ってるよな?」

『ああ、大丈夫だ。森の奥は魔素がもっと濃くてよ、怪魔共も俺達を見つけられねえんだ。だから皆、森の奥に寝床を構えるのさ』

「ふぅん……魔力が見つけづらくなるのか――」



 ――――…………。――。――……。



「――……何か来るな。でかいぞ」

『エッ……な、なんだ、怪魔か⁉』

「だと思うが…………様子がおかしいな。暴れてるのか?」


 キッカの大樹の枝の上、姿勢も低いまま感覚を研ぎ澄ます――耳に捉えたのは地面を殴り付けるような。感覚的には獣竜種程度の大きさ、一体分。

 どうも動きが不自然だ――直進ではなく、不規則に緩急をつけ蛇行しながらこちらの方角に進んでくる。


「……何かに追われてるのか? 喧嘩にしては動きすぎてる気がするが」

『俺にはさっぱりわかんねえ…………おっ、音は聞こえてきたな……なんか、でかくねえ?』

「例の犬の倍はあると思うぞ」

『ゲェッ……』


 周囲の樹々はもれなく樹高が高いため、視界はそれほど良くはない。耳と鼻、知覚範囲をさらに研ぎ澄ます。

 樹々のさざめき、大地が揺れる音――獣の血の臭い?


「……怪我をして正気じゃなくなったか? エナ、フードに入っとけ」

『おっ、おう』


 動きが変わった。こちらの方角に直進してくる。気配をさらに鎮める――樹々の隙間、ようやくその姿を捉えた。


 緑葉を大きく揺らしながら、樹々の間を縫うように移動する巨体。大樹の根にその剛脚を掛け、その長い体を器用に前へ前へと進める。体高30メートル、全長60メートルほどだろうか。

 鰐のような大顎に尖角、巨躯を覆うまだらの鱗。刺々しい皮膜の連なったトサカが胴から尾先まで伸びている。地を踏みしめる太く短い四つ足――否、それらより目を引くのは、赤の目立つ頭部の裂傷、胴に広がる火傷のような痕。

 そして――。


「あれは――――エナ、落ちるなよ!」

『おうよッ』


 怪魔は気付く様子もなく、その首を晒したまま傍らを通り過ぎようとしている――好都合だ。枝から幹へ、一気に跳躍する。勢いをそのままに、大幹を足場に大きく跳んだ。

 グリップを握った右腕を、無防備な太首目掛けてそのまま縦に振り下ろす。ドッ――刃が硬肉に触れる音。金色オーラを纏った重剣の一振りは、斬撃の形そのままに“肉塊”へと


 ズッ――パァンッ! 派手な音を鳴らして怪魔の首が裂ける。しかし、それに気を取られてもいられない。宙に跳ねた首――その少し遠く、角に人形ひとがたを捉えた。


 裂けた肉から血が噴き出るのを待たずに地面を蹴る。宙に無防備に投げ出された人形を左腕で鷲掴む――人、おそらく女性。

 角の根元付近、枝分かれた先。力なく怪魔の動くがままに揺さぶられていた――腹を貫通はしていないものの、傷は決して浅くないだろう。



 大木の根の陰に人――獣人族の女性を足を上向きに横たえる。比較的軽装、太もものベルトにはナイフが下げてあった。狩猟者ハンターだろうか。


「エナ。お前、は治せるか?」

『お、俺、そういうのはしたことねえから、ちゃんとできるかわかんねえぞ』

「じゃあこれ以上血が流れないようにできるか? 体温が下がらないように維持することは?」

『そっ、それならできるかもしれねえっ』


 女性の胸にエナが乗ると、体が淡く光を帯びる――流血の勢いがぐっと落ちた。首にそっと指を添える。顔は紙のように白く、脈は弱いものの、生きている。エナが状態を維持できるのなら助かるかもしれない。

 女性は胴体を覆う皮鎧を身に付けていたが、あの尖角には意味をなさなかったようだ。セレはナイフで女性の腹付近の皮鎧を裂いた――内臓は零れていない。ひとまず安心しつつ、どうしたものかと考える。


 こういう類の瀕死の人間を前にすると、まずやることは止血と保温だ。そして、いつもならその場で簡単に縫合してやるところだが。エナがこのまま状態を維持できるなら、布で患部を包んで担いでいった方がいいかもしれない。


「……いや、とりあえず縫うか。エナ、今から傷を――」

『んっ? どうした?』

「何か来る」


 小さな気配が1、2――5。こちらの方角へまっすぐ向かってくる。

 またあの時のように血臭に釣られた怪魔の類だろうか。ひとまず腹を覆うように女性に布を被せ、地に突き立てていた愛剣を引き抜き土を払う。

 ぐんぐんと気配との距離が縮まる。姿勢を落とす――セレは森の中、気配を溶かした。


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