26. 「それはもはや退化だろ」
「これは試作品なんだが、この前お前が言ってたように使ってない時は潰して嵩張らねえようにしてみたんだ」
「こんなペラいので大丈夫なのか? 火に掛けたら消し炭になりそうな……」
「当然問題ないぜ。しなやかで火に強い
「はぁー……魔導具はさっぱりだが、すごいな。適当に言っただけなのにこんな風になるのか」
「消費者目線の意見の方が案外参考になるもんよ」
『あの大喰らいの蛇がこうなるのか……』
ぺこぺこぺこ。
不思議な手触りをした革製の鍋を、なんとはなしに触る。まさか酒の席でのたわ言が形になるとは思わなかった。
先日の夜、野外での食事の話になり、セレは携帯食しか持ち歩かないと零した。すると、美味いものを食いたくないのかと問われたので、調理器具は嵩張るからいらない、ポーチに入るもので特に困ってないと返したのである。
そして、魔導具なら保存袋は便利だ。嵩張らないし、空になったら潰せる、と――そんな一言から、まさか鍋が革袋になるとは想像もしなかったが。
「遥か昔は水筒だって革だったんだ。鍋が革になってもおかしくねえだろ」
「いやそれはおかし――まあ、実物が目の前にあるわけだが」
「時代を逆行したのか……」
縁と側面の一部、底が硬くなっていて、ぱきりと折り曲げれば鍋を
輪と棒をくっ付けた、フライパンの縁を型どったような形状のフレーム。輪の部分に革鍋をすぽっと嵌めて固定すれば、なるほど、一端の鍋に見える。見た目はいささか頼りないけれど。こちらも折り曲げて収納できるらしい。
大きめのテーブルに所狭しと並べられた試作品の数々。サイズからしてコップと思わしきものは、1センチほどの厚みに五、六枚ほど重なったように見える。とんでもない枠圧縮である。
北門通りの魔導具店、ウェセタ工房はゲオルグの職場である。この店の店員はほぼ
休日の午後。資料室にでも行こうと思ったが、声を掛けられたので立ち寄ることにした。なお、リィン達は昼食後の二度寝中である。
「――これはいいな。普通のバッグや小さめの
「違いねえ。後は鍋に注ぎ口を付けたら杓子もいらねえ。嵩もグッと減るうえ相当軽くなる」
「自立式の焼き網と合わせて売るのはどうだ。大きさを合わせて、足で鍋を抑え込む感じで、厚みを1セルメット以下に――」
男二人、顔を突き合わせて実に楽しそうである。ロジはウェセタ工房の店主と懇意であるらしく、こうして工房に顔を出すことも多いのだという。
デアナに来て三日目の夜、朝鳥亭での飲み比べで完勝してから、ロジも交えてくだらない世間話に興じる程度の仲になった。もちろん酒は片手に装備して。
その時話題になるのは主に魔導具のことである。作り手に売り手、消費者を交えての会話はなかなか面白い。魔導具店は見ていて楽しいので時たま覗くこともあったが、それとはまた違った切り口だ。
テーブルに並ぶ試作品を物色する。エナが試作品の隙間を縫うように歩いているが、小さいせいで試作品の山に埋もれているのが少し面白い。
『あの蛇も丸呑みばっかでアホだと思ってたが、こんなふうに役立つなら悪くねえな』
(魔物も使いようだな……)
正直なところ、セレは“野外で調理をしてでも美味しいものを食べたい”という感覚はよくわからない。魔導具は便利だとは思うし、素晴らしい技術だと感心もするけれど。携帯食も十分美味しいと思うのだが。
似ていると感じることも少なくない二つの世界だが、こと“野外活動”に関しては大きく違う。具体的には、野外活動中の小憩に関しては。
かの世界は“どれだけ削れるか”を重視する。巨獣は血の気が多く、ひとたびその領域に入ったならば休む暇などありはしない。匂いで巨獣を集める可能性もあるので食事を悠長に摂る時間などない。
だから巨獣狩りは“食事、睡眠の隙を探す”ではなく“必要な食事量、睡眠時間を減らす”方向にシフトしていく。その結果生まれたのが無駄のない身体活動、代謝コントロールによる熱量消費軽減などの技術である。
逆に、こちらの世界は“いかに充実できるか”を重視する。
このように極端な差が生まれた原因は、やはり“魔術”という存在の有無だろう。
真っ先に思い付くのはエナの<
しかしそれ以上に大きいのはやはり“魔物除け”という技術だ。この世界には魔物除けの魔導具が広く普及しているらしく、休憩時にはその処置を施した陣地を確保するそうだ。匂いや気配すら軽減するというそれらがあるならば、確かにこの野外活動用魔導具の充実ぶりも納得である。
『――程よいサイズ感……むっ!』
(む?)
『これで風呂に入ればいい感じじゃね!?』
(…………それをお前の浴槽にするってことか?)
『それだ! これならいい感じに体を半分だけ……おお、寝転ぶのもありだな! 壁も低い!』
ボウルのようなものにころころと入っていたエナが声を上げた。どうだ! という顔をして横たわってみせる――とてもフィットしている。
言わんとしていることはわかる。風呂桶はエナには大きすぎて、内からでは周囲も何も見えないだろうとは以前から思っていた。しかしこれは――。
(――調理前?)
『誰が鳥肉だアァン!?』
(いや、うん。いいと思うぞ、ぴったりで)
『褒められてる気がしねえ……!』
エナごとボウルを持ち上げる。改めて、この軽くて薄いものが燃えないという事実に感心する。鉄の鍋すら要らないのなら、いつかは――。
「――火すら要らなくなったりしてな」
『火? “料理”にはいるんじゃねえのか?』
(いや、魔導具って何でもできそうだし……さすがにないか――)
「…………鍋に付与するのはやめた方がいいな。耐久も心配だが、素材も付与も鍋どころじゃねえもんが必要になりそうだ。それなら台の方をいじった方がいいな」
「は?」
「革の次は火を使わない時代に戻るのか? ……面白いじゃないか。これだから商売ってやつはやめられないんだ」
「いや、それはもはや退化だろ……」
消費者というのは無茶なことを好き勝手に言うものである。しかし、それに変化球で応える職人達も大概なのかもしれない――未踏のロマンに情熱を燃やす男達を見ながら、セレはぺこぺことボウルを鳴らした。
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