2. 謎の巨獣

「ほんっとうに、あのクソジジイと関わってからろくな事がない……」


 あの辺境の町に移り住んで、まだ一か月。

 もともと身軽で場所にはこだわらない質ではあったが、ここ数年はさらに移動の間隔が短くなっていた――しつこいにも程がある総長クソジジイのせいで。


 総長のせいといっても、直接的な被害はそれほどあるわけではない。せいぜい無自覚でこちらを煽ってくるのに拳で応えてしまい、ルール無用の泥試合に発展する程度である。

 惚けた顔で「そうだ! 今ならさらに総長マントと総長ベルトをプレゼント! どうだ、移籍したくなったろ?」などと抜かした時は苛立ちが振り切れて頭の心配をしてしまったくらいだ。本当に、そんな程度で終わっていれば、これほど煩わされることもなかっただろうに。


 総長を撃退して終わりならまだいいが、その二次被害がさらに始末に負えない――問題は総長が去った後に起こるのである。

 総長トップ七黒星保持者さいこうランクの戦いを目撃してしまうと、必ず一定数は感化されてしまう者がいるのだ。セレが巨獣狩り組合所属の堕欲者グリードで、周囲には“巨獣狩り”が多かったのも都合が悪かった。



 巨獣狩りとは、巨獣――暴威の化身たる巨躯の獣達が人々を脅かさぬよう、時には間引き、時には迎え撃つのが仕事である。

 巨獣はその生存競争の苛烈さから生態系がころころと変わり、それに対応するには知識、技術、自己鍛錬、あらゆるものへの貪欲さが不可欠だ。だから巨獣狩りは危険を顧みない命知らずも多いが、同じく向上心の高い者も多い――半端者は早々に脱落しているだけとも言える。


 また、巨獣狩りは危険ハイリスク高収入ハイリターン故に拝金主義だと思われがちだが、実は巨獣の脅威から人々の生活を守ることにやりがいを持つ者がかなり多い。一攫千金を夢見る者は大抵、危険リスクの高さと必要技能の多さに心折れて辞めていくからだ。

 つまるところ、粗野に思われがちな巨獣狩りは真面目で勤勉な者が多いのだ。そんな彼らが目の前で見せつけられた実力差に何も感じないはずもなく――。


 一難去ってまた一難。押し寄せる挑戦者・弟子志願者――それまでセレを容姿で侮っていた者まで目の色を変えて押し寄せてくるのだ。また、彼らは非常に諦めが悪かった。もとより身の丈の数倍もある巨獣に立ち向かう者達である。粘り強さと負けん気はピカイチだった。

 しつこい巨獣狩り達を相手にするのも面倒で別の支部に転属、総長襲来、殴り合い、押し寄せる巨獣狩り達、転属――これを繰り返すこと数年。前回など僅か三か月の滞在である。


 ジジイの頭を集中的に殴ったら記憶すっ飛ばないかな――物騒なことに思考が向き始めたセレは、いい加減現実に向き合うべく頭を振った。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




(見たことない木に……木の実に……植物……だめだ、さっぱりわからん)


 探索すること暫し――。

 巨獣狩りとして各地を転々とし、巨獣の住まう森や山に入ったことも数えきれないほどある。巨獣狩りの常として情報収集は怠らず、その中には植生に関する知識も当然ある。

 足元の植物の葉に触れる。背の高さはそれなり、少なくともこの場所は温帯に近い地域だと思われる。しかし、視界に入ってくる緑に見知ったものは一つとしてない。


 ゆっくりと周囲を見渡す。獣の足跡が大小いくつか見える。巨獣のいない森である可能性も考えてみたが、そんなに場所であるなら、知っている植物が一つもないというのがどうも腑に落ちない。

 思わず深いため息をつく。タイミングが大変よろしくない。本来ならば今頃、報告書を提出して下宿に帰っていたはずだった。報告書を書きついでに食事は済ませていたのは幸いだが、久々にちゃんとした寝床で眠るのはそれなりに楽しみだったのだ。これが人による犯行ならば熨斗を付けてお返しせざるをえない。


「嫌がらせならこの上ないな……うん?」


 ざわざわと森の空気が揺れるような感覚――そうだ、この“空気”もおかしい。森の中なのに空気が汚いとかそういうことではなく、まるでのような重み。

 ざわめきが増すほどに肌が粟立つ。質量のある風が体を撫ぜていくかのようだ。


 感覚をさらに研ぎ澄ませ、知覚範囲を広げる。ここに落とされてからずっと捉えている生物の気配が一つ――そして、かなりの速さで向かってくる巨獣に似た気配が一つ。なかなかの俊足らしく、ぐんぐんと距離が縮まる。

 接敵まであと、3、2、1――。背の愛剣にするりと手を掛けた。



「――グルオォォォォォォォッ!」



 轟く咆哮。巨影が体に覆い被さる――慌てることもなく、迫る凶爪を捉える。

 無残に引き裂かんと振り下ろされた前足を避けざまに地面を蹴る――巨木もかくやというそれを足場にさらに飛ぶ。の残滓がその軌跡に追い縋る。

 グリップを握る右腕を振り抜き、もはや腕の延長である重剣が音もなく空を斬る――狙いは寸分も狂うことなく、そのまま獲物の首に食い込むと、ドンッ! と大きな音を立ててその肉を二つに割いた。


 緑を割いて現れた獣は何が起きたかわからなかっただろう。獲物を喰らうべく大きく開けた口をそのままに、その首は高らかに宙を舞い、地面を派手に揺らした。

 分かたれた首から下どうたいをするりと躱し、血を払うと剣を鞘に戻す。数瞬遅れて横倒れになった巨骸に顔を向けた。

 重量も兼ね備えた爪、上顎から突き出た牙、頭には今まで幾度も獲物を貫いてきたであろう剛角。毛並みはなかなかに鮮やかな色をしている。金持ち連中に受けが良さそうだ。


(図体はあるくせに毛は柔らかめ……剛獣種でもないな。獣種か?)


 死骸を検分し、思考を巡らせる。巨獣は図体が大きくなるほど硬く、そして賢くなる傾向が強い。例外はあるものの、単独で動くものは大体それに当てはまる。


 一番弱く、最も数が多いのは獣種。体毛が硬化し、刃が通りにくくなるのが剛獣種。さらにそこから知能の高さが加われば獣竜種、体毛が鱗のように発達すれば竜種、さらに硬化し甲殻になったものが殼竜種。陸上の巨獣は大まかにこの五段階に分けられ、上に行くほど個体数は少なくなる。

 目の前で事切れた四つ足の獣は、体高20メートル、体長25メートル少しと言ったところか。大きさだけなら剛獣種の中でも上位くらいだが、体毛は柔く滑らかだった。


 この大きさで“獣種さいじゃく”であるなら非常にまずい。巨獣の大きさと強さはその生息域と生態系の規模に比例する。殼竜種さいじょういが存在するならば、一体どれほどの大きさになるというのか。急ぎ本部に報告し、全巨獣狩りに通達しなければいけない案件である。

 それをするにも、まずは巨獣狩り組合の支部にたどり着かなければならないのだが。さらに増えてしまった問題にセレが頭を抱えていると、もう一つの気配――この詳細不明の場所に来てからずっとセレを気配に動きがあった。



 パサパサ――。



 研ぎ澄ました聴覚が音を拾う。鳥の羽ばたきというには軽い。かと言って虫というには重くて遅い。そんな音がゆったりと接近してくる。


 やはり妙な感じだ。先程の巨獣といい、この小さな気配といい、この森の空気といい、セレの知らない“何か”が混じっている。

 気配の輪郭がぼやけて、まるで霧を掴めと言われているかのようだ。今のところ体には特に影響はないようだが――。



 パサパサパサパサ――。



 一瞬考え事をしている間に、謎の気配の持ち主がやってきたようだ。目的地はやはりセレここだったらしい。小型のようだが油断はしない。人間エサを嗅ぎつけてきたか、住処に戻ってきたか。

 木々の隙間から小さな影。現れたのは――。



『――! ――――――――! ――――――!』



「……………………はい?」


 呆気に取られ、間の抜けた言葉がぽろりと落ちる――常になくぽかんとしたセレの前に現れたのは、白くて丸い鳥――のようなものだった。


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