邂逅
1. 七黒星の巨獣狩り
「こっち手伝ってくれ! “殻”が剝がれない!」
「おー、わかった!」
「こっちは終わった! “爪”の切断は完了だ!」
男達の活力に満ちた声が鬱蒼とした森に響く。
彼らが囲うのは、樹々をなぎ倒して森に鎮座する巨大な“山”。大地に雑然と猛り狂った跡を遺したモノ。
それに
「あとは運んで終わりかー……。俺、“殻竜種”を解体するの初めてだ」
「俺もだっての。…………
「あぁ……解体終わってもまだ信じられねえよ。“七黒星”がこの町に来たなんて」
「俺もだ…………もっとでかくてごつい、いかにも強そうな奴だと思ってた」
“山”の
解体をしに現場へ向かった時も腰が抜けそうになったが、解体を終えた今もまだ信じられない――この一軒家より大きな殻や牙の持ち主を、自分達より二回り以上も小さい、少女のような女が狩ったのだと。
遠くに見える殻の
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
耳を擽る喧騒が一瞬、ぴたりと止んだ。
報告書の束を纏めていた手を止め、顔を上げる。少々年季の入った扉を後ろ手に閉じる人物を認めると、整えた紙束を脇に避け、声を掛けた。
「ウィンカーさん、お疲れ様です。戻られていたんですね」
「ああ、お疲れ」
「もう遅いですし、今日くらい報告書は後回しにすればよかったでしょうに」
「いや、こういうのは先に始末するに限る。時間が経つと、どうもやる気がなくなってしょうがない」
好奇、憧憬、嫉妬、畏怖――姦しい視線を物ともせずカウンターに近付くのは、ここ最近、この町の口さがない世間話の一角を占める女である。
職業柄、無骨で威圧感のある者達が集まるこの場所において、女は異質だった。成人を迎えたか判じ難いくりくりとした双眸が目を引く顔に、小柄で華奢に見える体躯。そんな輪郭を飾るのは、なんともこの場に
人によれば少女とも捉えかねない姿で、身の丈の半分を超える剣を背負い、腰のベルトにはいくつかの鞘を下げている。不釣り合いなはずのそれらに不思議と違和感を覚えないのは、女の持つ雰囲気があまりにも熟達していて、むしろ装備の方が女に馴染んでいるからだろう。
「こちらとしては助かりますがね。ではお預かりします」
ん、とこちらに報告書を寄越した女は、大仕事を終えたばかりだというのに、まるで数日前の出立の時と変わらぬ様子である。漏れはないはずだ、と独り言ちながら頷いて、少々くせっ毛のある薄紫のショートヘアをふわりと揺らしている。
その様子からは到底、あわや町が滅びるところだったのを防いだとは思えない。長く受付業務を勤める男が出会った中で、女は最も優秀な“巨獣狩り”だった。
「報告はこちらにも来ています。八十年ぶりの殼竜種だったそうですね。……ウィンカーさんがいてくれてよかったです。こんな辺境の町には殼竜種に対応できる巨獣狩りはいませんから」
「それはそれで問題だぞ。巨獣の生態系は変化が激しい。最低でも
「ウィンカーさんは転属ですからね……この機会に組合本部に掛け合うよう、上に提出します。ウィンカーさんからの進言と言えば流されはしないでしょうし」
「いっそ連盟の方から“
「無茶を仰る。ああ、そういえば速達が届いていますよ。その連盟の総長様から」
「ゲェッ……」
ここ辺境支部の母体である巨獣狩り組合。さらにその総本山である
連盟本部所属の
「やめろ見せんな捨ててくれ。あのクソジジイの幻聴が聞こえそうだ」
「名誉なことだと思いますがね。栄転じゃないですか、連盟本部所属なんて。しかも総長様直々のお誘いなんでしょう?」
「あああああ呼ぶな! 湧いて出てきたらどうすんだ寒気がする」
「総長様は虫か何かですか」
二の腕を擦る女は心底嫌そうだ。この辺境くんだりに来た理由というのが、総長――曰く、クソジジイの勧誘から逃げるためだというから、よほどしつこく追いかけ回されたらしい。
女は深くため息をついた。
「私は身軽なのが向いてるんだ。連盟本部なんて行ってみろ、絶対面倒な仕事が増えるに決まってる」
「確かに、
「絶対に嫌だ。
風の噂では連盟総長は現在、自分の後継――次期総長を探しているらしいが、末端の職員風情に事の真偽などわかるはずもなく。仮に目の前で懊悩する女が
「っていうか早すぎんだろ、こっちに来てまだ一か月なんだぞ。なんでもう嗅ぎ付けてんだよ暇なのかよ」
大仕事の後ですら見せなかった疲労感を漂わせ、カウンターを肘置きに頭を抱える女の背後――ふと、目が留まるものがあった。
それは、男には
「大体、なんで巨獣狩り専門ってわかってんのにわざわざ本部に引っ張りたがるんだ、いい加減にしろよ」
よほど溜まっているのか、今までの鬱憤をつらつらと吐き出す女は気付いていない。はっとするが、目の前で起きている現象を何と表現すべきか、言葉に詰まる――渦は、小柄な体をすっぽりと覆うほどになっていた。
「一体どこなら平穏に過ごせるんだ……この際どこでもいい、どこでも」
「あっあの、ウィンカーさん、」
後ろに――という言葉は、閃光に目を焼かれて出てこなかった。
視界が明滅する。にわかに溢れた喧騒が消え、しんとした空気が耳に痛い。
「――七黒星の
「いや、いくら最高ランクでもさすがにそれは無理――無理、だよな?」
誰かの呟きが鼓膜を震わせる。未だ不自由な視界の中、ぽつりと落とされたその声が、やけに静寂に響いた気がした。
――何かに後ろから
「うわっ――――ッ!?」
浮遊感。
何かが体に纏わりつくような感覚は消え、振り抜いた姿勢のまま宙に投げ出されたのだと知覚する。
くるん、と体を捻り着地した。体感的に、それなりの高さから――なぜ? 平地にいたはずなのに。
今まで感じたことのない
「――……いや、どこでもとは言ったけどな」
本当にどこだよここ――――。
知らない空気、知らない植物、知らない
七黒星の巨獣狩り、セレ・ウィンカーは、突如として放り出されたこの状況に、ひしひしと感じる面倒事の気配に思わず笑ってしまった――否、笑ってしまいたかったが、失敗して頬をひくつかせるのだった。
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