3. トト・エナ
『――、―――――――? ―――』
喋ってる。何と言っているかはわからないが喋ってる――。
セレはぽかんとそれを見つめた。
鳥、だと思った。それと同じ生物は見たことがないので断定はできないが。
手のひらサイズ。白い。丸い。尾羽と翼羽は黒く――否、内から見える風切羽は虹色がかった水晶のようで美しい。
セレと同じ目線で滞空し、落下してしまわないかと不安になる頻度で羽ばたいている――本当に、小さいとはいえなんでそれで飛べているんだ。
『―――、―――――――――――――――』
「いや……何訴えてんのかわかんないから……」
鳴き声というには規則性があり、真っ直ぐにセレの方を向いて懸命に話しかけている様にも見える。言葉によるコミュニケーションができる生物なのだろうか。敵意は特に感じられなかった。
つぶらな瞳に小さな嘴、ふわふわと柔らかそうな体毛。巨獣の森には小型の生物もいるが、ここまで貧弱そうですぐに死にそうなのは初めて見る。巨獣だけでなく、小動物だってより速く賢く進化するのが常なのだが、先程のようなゆっくりした飛行とこの
あれだ、鼻垂れた子供のよだれと手垢で黒ずんでそうなぬいぐるみ、一頭身のひよこみたいな――鳥(?)に対してかなり失礼なことを呆然と考えていると、白い体がすいーっと近付き、セレの頭にちょんと止まった。
「おい、何――――――――ッッ!?」
ガツンッ――――!!
――
油断した。あまりにか弱そうな外見に、動きに、喋る様子に、敵意のなさに――普通の生物ではないとわかっていたはずなのに。何たる無様か。
頭の芯から揺れるような痛み。ガンガンと煩いそれは、若かりし頃に体験した猛烈にひどい二日酔いよりさらにひどい。打たれ強さには自信があるが、さすがに頭の内を鍛えた覚えはない。
『――! ――――!』
ああ、うるさい。お前のせいで頭が割れそうだ。
膝をつき、蹲ったセレの周りをクルクルと旋回する気配。バサバサと先程より喧しい。まるで慌てふためく人のような動きに、この危機的と言える状況にも関わらず笑ってしまいたくなった。
『――! ―い! ―丈夫か!?』
「……っるさいな、声、でかいんだよ……」
『やっぱり無理なのか!? 死ぬのか!? 死ぬなよ生きろ! 頑張れ!』
「勝手に、殺すな、クソが……」
『ん? 生きてるよな? 喋ってるよな!? ――あぁよかった、うっかりやらかしちまったかと思ったぜ……』
「だから、声、でかいって」
――待て、誰と会話している?
痛みはまだ残る。頭の中をぐちゃぐちゃにされたようでふらつくが、何とか心を落ち着かせる。
『頭も頑丈とは恐れ入った。お前本当に強いんだな! なあ、あの
「……………………」
『ああ、そうだ。自己紹介をしなきゃな。俺の名はトト・エナ! ダンディな精霊さ。エナと呼んでくれ』
「……いやいや、鳥が人の言葉を喋るとか……」
『お前の名は? 上手くいったならもう話せるはずだぜ、こっちの言葉をよ』
「お前ちょっと黙ってくれない?」
頭痛がひどくなった気がして、セレは本日何度目かのため息をついた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『改めて自己紹介するぜ。俺の名はトト・エナ。ボレイアス大森林に住まうダンディな精霊さ。エナって呼んでくれよ』
「……セレ・ウィンカー。セレでもウィンカーでも好きな方で呼んでくれ。あとダンディって自分で言うもんじゃないだろ」
セレは考えるのをやめた。目の前の生物――エナといきなり会話が成立した謎もひとまず後回しにする。わからないことを煮詰めたところで何も解決しないのだ。
『じゃあセレって呼ぶぜ。よろしくな』
「ああ。……お互い初めましてで気が引けるが、先にいくつか質問させてほしい。なにせ私は今、自分自身の情報くらいしか持ち合わせてないんでな」
『ああ、いいぜ。何でも聞いてくれよ』
エナは気さくな性格のようだ。セレと会話が成立してご機嫌なようで、何でも聞いてくれと胸を反らしている。
とにかく今は情報が足りない。いろいろ考えるのは情報が出揃ったその後だ。
「まず、ここはどこだ? あと、ボレイアス大森林って言ってたが、それはどこの国にあるんだ?」
『ここがボレイアス大森林だぜ。あと、国というよりは……大陸だな。ボレイアス大陸の北を覆ってるのがボレイアス大森林だ。俺の生まれ故郷さ』
「……んな大陸もでかい森も聞いたことないぞ」
少なくともセレの知る世界地図にはそんな名前の大陸も森もない。しかし、そんな馬鹿なことをと切り捨てるには、目の前の
『そりゃセレはあの歪みの向こうから来たんだから知らねえかもな』
「歪みってさっきも言ってたな。歪みの向こうってどういうことだ?」
『歪みってのはそのまま歪みさ。
「そんな穴に落ちた記憶は――……おい待て、“この世界”ってどういうことだ」
『この世界はこの世界だ。セレがいた場所とは違う世界ってことだな』
「………………………はぁ……」
天を仰ぐ。
荒唐無稽だ、非現実的だと言い捨てたいが、冷静な部分で納得してしまう。
ここが“違う世界”ならば辻褄が合うのだ。見覚えのない植物も、馴染みのない空気も、不可解な巨獣も、目の前の“精霊”と名乗るお喋りな生物も。
そういうのは寝物語の中だけにしてくれって言いたいけど現実なんだよなぁ――セレは深くため息をつくと、そわそわした様子のエナに向き合った。
「中断して悪かったな。話に戻るんだが、その歪みってのはよくある話なのか? エナは詳しいみたいだが」
『いや、早々起こる話じゃない。あと詳しいっつっても、大昔に境界の歪みから迷い込んできた奴がいるってのを聞いたことがあるだけだからな』
「大昔?」
『ああ。随分と大昔に、大事故のせいで発生した歪みの穴に落ちたって話だ』
「落ちる……さっきも言ったが、私は穴に落ちた記憶なんてない。背後から引っ張られたと思ったらこの森に落ちたんだ」
気配もなく、敵意も感じられず、碌な抵抗もできずにこちらに落とされた――不快さに眉を寄せる。町中とはいえ、完全に気を抜くというのはありえないことだ。それでも陥ってしまった現状に、警戒を抜けられたという事実に、遅ればせながら怒りに似た何かが沸々と湧き上がる。
『引っ張られた? ……引っ張られたってことは、引っ張られたんじゃねぇか?』
「どういう意味だ?」
『
「いきなり背後から引っ張られたからとりあえず殴ろうとした」
『お前顔に似合わず物騒だな……』
「なんで引いてんだよ」
失敬な。気配もなく突然後ろに引かれたら反撃するのは当然ではないか。
エナは咳払いのような動きをして目を逸らす。鳥らしき見た目のくせにいちいち人間臭い奴である。
『世界の境界に穴を空けるレベルの魔術か魔法か。事故が原因なら大騒ぎになってそうだしな……つまり、セレはこの世界に引き込まれたが、抵抗して、この森に落ちたってことになるのか?』
「……“魔術”に“魔法”、か。本当に御伽噺じみた世界なんだなここは」
『セレの世界には魔術も魔法もないのか?』
「ないな。もしかしたらあるのかもしれないが、少なくとも私は今まで聞いたこともない。……まあいい。現状どうにもならないし、私をここに落としやがった奴は後々落とし前をつけるとして」
『何する気だよ怖っ……やっぱ物騒だろお前』
「エナ、お前とこうして話せているのも魔法のせいなのか?」
あの頭が割れるような痛みが治まり、平常心に戻るにつれてわかったこと。単純にエナの言葉が理解できるようになっただけではない。理解し、話し、そのうえで言葉を頭の中で文字に起こすことができるようになっていた。
巨獣狩りとして各地を転々としていたセレは転属先の言語を勉強することもあった。しかし、大抵口語には次第に慣れていくものの、読み書きには最後まで手こずらされるものだった。それを知るからこそ、苦労もなく言語を扱えるようになったということに妙な感動を覚える。
こちらに引き込まれたのは腹が立つし、あの痛みはいただけないが、魔法というのはこれほど便利なものなのか――。
『ああ、俺の魔法だぜ。でも知識――経験で得られるものを頭にぶち込むなんて、あの時はやきもきして早まっちまったんだが……よくよく考えりゃあ相当無茶だったんだよな。脳みそぶっ壊れなかったのが奇跡だ。セレが頭の中まで頑丈でよかっ――――ッタタタタタタアッッッ!』
「お前何してくれてんの??」
『わ、悪かったって、イタッ! 指! イタッ! ごめ、ッタタタアッ!』
――前言撤回。やはり魔法なんぞろくでもない。
ため息は幸せが逃げるんだっけか――手のひらサイズの柔らかい体を指二本でソフトに絞りつつ、セレは幾度目かのため息を吐いたのだった。
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