第6話 朝ご飯

 「何かあるもので朝ご飯作るわね。」

 育子いくこは、ベッドから歩いて冷蔵庫の中を見た。ミネラルウォーターが数本、缶ビールが数本とマヨネーズとケチャップが入っていた。


 「え?冷蔵庫にあるものしかないけど。俺、太りたくないからさ、あまり買い置きしないんだ。下のコンビニで何か買ってこようか?」

 「それならいいわよ。朝ごはん抜きでも全然大丈夫よ。」

 「そうはいかないよ。俺、サンドイッチ食べたくなってきたな。」

 「それなら、スーパーが開くのを待って、ブランチを作りましょうか?あのね、フランスパンを一本使って、お野菜多めでサンドイッチ作ると美味しいわよ。」

 「ああ、『SUBWAY』のサンドイッチみたいになるのかな。美味しそう~。」

 「歩いて行かれるところに、スーパー、ある?」

 「五分ぐらい道なりに歩けば、『リジョイ』があるよ。」

 「じゃあ、そこに行って、いろいろ買ってきちゃいましょうか。少しだけなら冷蔵庫に買い置きしておいてもいいでしょ?」

 「そうだね。お姉さんの好きなようにしていいよ。」


 二人は玄関を出て、マンションのエレベーターに乗ってエントランスを通り抜けてマンションの外に出て、車通りのある公道に出ると左の方向に歩いて行った。はたから見ると、一回り年上の女性とツバメのカップルのように見えた。

 「俺たち、カップルに見えるかな?」

 育子は、この上ない幸せをめていて、言葉にならなかった。生きていて良かった、という言葉は、大げさな表現ではなくて、まさにこの時のために使う言葉だった。

 「誰かに見られたりしたらって、思ったりするけど・・・。」

 「お姉さんの旦那さんとかに?」

 「ううん、うちの旦那は公然と浮気しているの。だから、万が一旦那に見られたとしても何の問題もないのよ。あなたの彼女さんとか、お店の他の男の子とかに見られてもいいのかなって少し気になって・・・。」

 「え?俺、彼女なんかいないよ、今は。お店の関係があるから、公然とはできないけど、今のところはお姉さんオンリーかな。」

 「本当に?・・・あはは、嘘。本当に、じゃなくてもいいのよ。他にたくさんの付き合っている女性がいたって全然おかしくないもの。拓斗たくとは優しくてカッコいいから。私はその中の一人ってだけで大満足です。独占なんてしないから、安心してね。」

 「ええ?それは買いかぶりだよ。俺は何処にでも居る普通の男だよ。そんなにモテる男じゃないよ」

 拓斗は謙遜けんそんではなく、本当にそう思っていた。

 

 そんな会話をしているうちに『リジョイ』に着いた。

 「俺、朝『リジョイ』で買い物するのなんて初めてだ。店内が明るくて、新鮮だなあ。」

 「そうなの?私は休日は大体、朝のうちに買い物を済ませちゃうから、違和感はないわ。」


 フランスパンのバゲット、そしてレタス、トマト、スライスチーズなど、挟みたいものを選んで買い物かごに入れた。

 「お肉系は何がいい?ソーセージ、ロースハム、照り焼きチキン、ローストビーフ、鶏のささ身とか・・・拓斗は何食べたい?」

 「それなら、ロースハムがいいかな。野菜多めで。お肉よりもどちらかというと野菜メインな感じのサンドイッチがいいかな。あ、そうだ、久しぶりに牛乳が飲みたいな。」

 「そうね、たまにはカルシウムもらなくちゃね。」

 「なんだか、お姉さんと食事を作るために、こんなに健全な買い物をしてるなんて、俺の方こそ、なんだか夢見てるみたいだな。」

 拓斗は自然な笑顔を見せていた。


 拓斗の家に戻り、育子は腕まくりをすると調理に取り掛かった。

 レタスやトマトなどを洗って、バゲットサンドイッチを相応ふさわしい形に切って、大皿に盛った。

 「切って挟むだけだからね。なんてことはないわよ。あ!マーガリン忘れた。」

 「いいよ。ああいう製品は太る元だから、買わないようにしてる。味付けは、塩とマヨネーズでいいんじゃない?お好みでケチャップ、みたいな。」

 「それから、卵は良かったの?」

 「うん。卵も食べ過ぎると太るからね。俺の仕事のひとつに『太らない』っていう項目があるから。」

 「太ると、お客さんの数に影響するの?」

 「うーん、太っていても、人気のあるホストもいるとは思うけど。俺はあごのラインとか、太ももに影響するのが嫌だから、太りたくはないかな。だけど、お姉さんが作ってくれたサンドイッチは、今、ものすっごく食べたいよ!」

 拓斗が可愛らしく笑顔で言った。

 その笑顔は、育子だけに向けられているのだ。


 育子は、拓斗との出会いにあらためて感謝した。こんなに自分を満たしてくれる男性に出会ったのは生まれて初めてだった。拓斗のような人が、自分の恋人だったなら、他に何も要らないと、今の現状に完全に満足して浸っていた。結婚する以前の自分に戻れたような感覚で、二人で迎えた朝の幸せを嚙み締め続けていた。


 サンドイッチは、自分で好きな具を挟んで食べる、という方式にした。テーブルの上には具を乗せた大皿と、切ったバゲット、牛乳を注いだマグカップが乗っていた。テーブルの上には、大窓から差し込んだ朝の光が降り注いでいた。


 「いただきます!」

 拓斗は両手を胸の前で合わせて合掌がっしょうした。

 「いただきます。」

 育子も合掌して、フランスパンを手に取った。

 「俺は・・・まずレタスをたっぷり入れてー、次にー、スライスチーズ

を入れてー、次にー、トマトをー・・・。」

 「野菜たっぷりバゲットサンドになったわね。私はまずロースハムとスライスチーズを挟んでから、トマトとレタスを挟んで・・・最後にマヨネーズを蓋側のパンに付けて・・・。」

 「ああ、その順番で入れた方がいいな。レタスを先に入れちゃうと、みんな押し出されちゃって。俺もお姉さんと同じ順番で入れなおしてみようっと。」

 拓斗は、自分の取り皿に具を全て出して、育子と同じ順番に具を入れなおし始めた。


 「あむっ・・・・・・おいひい!」

 拓斗は一口食べて子供のような笑顔を見せた。

 「うん。美味しいわね。たまには大口開けてフランスパンにみつくのもいいわね。」

 育子も新鮮な野菜たっぷりの具を挟んだバゲットサンドイッチに笑顔で舌鼓を打った。


◇◇◇


 「あーっ、なんか幸せな朝って感じ・・・俺、あんまりこういう経験したことなくてさ、すっごい新鮮で。できたらまた、お姉さんに家に泊まってもらって、これからも時々、こういう朝を過ごしたいなあ・・・。」

 「ホント?私の方はいつだっていいわよ。嬉しい!」

 「っていうか、旦那さん、本当に大丈夫なの?朝帰りとか、何も連絡してなかったみたいだし。」

 「ああ、旦那の方が、毎日のように彼女の家に入り浸って無断外泊してるのよ。そういう生活がずーっと続いているの。住民票に同じ住所ってことで記載されているだけの関係で、全く赤の他人みたいになって、もう・・・そうね、十年ぐらいになるかな。離婚は面倒くさいでしょ?いろいろと。シェアハウスみたいになっててね。口きいてないのよ。もう何年もずっと。事務的なことは、ぶっちゃけ、折半してるお金の事は、筆談やメールでやりとりはしてるけど。あとはどちらかが死んだときに、死体と対面するだけ、みたいになってるわ。」

 「・・・ごめんね。そんな風になってるって知らなかったから、聞いちゃったんだけど。」

 「いいわよ。別に人に知られたって。夫婦って言ったって、いろんな形があると思ってるし、冷め切った夫婦上等、恥だとは思っていないわ。」

 そう言うと、育子は勢いよくバゲットサンドイッチにかぶりついた。


 「そういうことなら・・・俺と時々、こういう時間を過ごしてもらってもいいですか?」

 「こちらからお願いしたいくらいよ!拓斗の家で、美味しいサンドイッチを作って食べてるなんて。しかも朝に。もう夢のようだもの!」

 「夢のような時間って言えるような出来事って、人生でどのくらい、体験できるんだろうね。」

 「そうね。自分で掴みに行かなければ、いつまでも夢のような現実を味わうこととは程遠いまま、どんどん歳を取ってしまうんじゃないの?」 

 「自分で掴み取りに行かないと駄目だよね。俺もそう思う。誰かにしてもらうのを待ったり、祈ったりしているだけじゃね・・・。」

 「そうよね。自分でどんどん動いて夢を叶え続けていくことは、大切なことだと思うのよ。ご先祖様も、自分が幸せにしていることで喜んでくれるだろうし。」

 「ご先祖様かぁ。俺は、ちょっと疎いけど。俺は現世派かなぁ。親とか先祖を意識して生きてはいない。俺しかいないと思ってる。俺の運命を決めるのは俺しかいない、全部俺次第だって思って生きてる。」

 二人はいつのまにか人生哲学を語り始めた。

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