第五章 その⑩ エニシダ

 翌日、地竜はその名に恥じぬ働きを見せ、無事に真都サークルローズへと到着した。


「ありがとうございました。それでは後のことも、よろしくお願いします」


 俺は、キャラバン隊の人達にお礼などを述べた。


「イイってことよ! 商売ついでに送っただけだ。ちょうどよい暇つぶしだよ」

 

 隊長が威勢よく答えて、去っていった。


 首都サークルローズは、まるでお祭り騒ぎだった。

 以前訪れたときは、賑やかさはありつつも、真王のお膝元である、という自覚からなのか、ハメを外したような雰囲気は無かった。だが、今回はそうではない。

 街の人に聞いてみると、今回の主催者が、スカーレッタ姫であるため、彼女の派手好きに真都も染まっているとのことであった。

 喧騒の中、俺はプリムラ姫の試合結果が、とても気になっていた。

 中心の広場に張り出されていたトーナメント表を見ると、プリムラ姫の名前は残っており、決勝まで駒を進めていた。

 絶不調でも勝ち続ける姫は、すごい。

 俺の不安も杞憂だったかな。と思っていた。

 しかし、対戦相手は、主催者であるスカーレッタ姫だった。


「おい。今日の試合、どっちに賭ける?」


「バーカ。そんなもん、スカーレッタ姫一択だよ」


「だよなぁ。相手のプリ……何とかって姫は、昨日ボロボロだったもんな。あんな傷だらけで、まるで闘志が無いし、なんであんなのが残ったんだか」


「そうだよ。準決勝でもほぼ引き分けみたいなもんだろ。相手が先に倒れただけで、その姫も続けて倒れたじゃねーか。あんなのまぐれ勝ちも良いところだ」


「もしかして、その姫、決勝棄権するんじゃねーの?」


「つまんねー。そんなことしたら興醒めだよ。スカーレッタ姫に恥かかせた奴として、一生許さねー」


 市民のプリムラ姫に対する批判も相次いでいた。

 会場へ急がなければ。


 

 真都の闘技場は、現代の陸上競技場のような、いわゆる長円オーバル形の建物。

 会場の周りには出店や商店、賭け事に興じる者達で溢れかえっている。

 あまりの群衆の多さに、会場に入りこむのも一苦労だった。

 会場内は、闘技場を観客席が取り囲むアリーナタイプであり、観客達が二人の戦乙女の登場を、今か今かと待ち構えていた。


 試合が始まるまでに、プリムラ姫に会って、誤解を解かないと。

 今の状態で試合に臨めば、本当に死んでしまうかもしれない。

 焦る気持ちとは裏腹に、人の流れに押されて、なかなか会場内を探索することが出来ない。

 決勝開始の時刻が迫るなか、長円オーバル形の廊下を必死に探索する。

 やっとのことで、控室につながる細い廊下を発見した。

 しかし、廊下の入口には見張りの兵士が一人立っていた。

 だが、俺も元衛兵。どうすればあの手の輩をあしらえるかなど、容易いことだ。


「たっ、大変だ!」


 俺は芝居がかったセリフで兵士にすがりついた。


「どうしたのだ」


「あそこで男達が会場の熱気に当てられて、喧嘩を始めたっ! それが段々エスカレートしてきて、軽い乱闘騒ぎになっているんだ!」


 俺は、大衆が集まっている場所を指差しながら、必死に訴えた。


「うーん? ここからでは何も見えんぞ?」


「俺も殴られたんですよ! ほら、ココッ!」


 俺は右頬の青あざを見せ、殴られたことをアピールした。


「わかったが、俺もここを離れるわけには……」


「そんなこと言ってる場合じゃないって! 俺がここで監視しているんで、応援を呼んで来て下さいよ!」


「わっ、わかった。すぐ呼んでくるから待ってろよ!」


 いっちょ上がり。


 俺は右頬を手ぬぐいで拭った。即興の特殊メイクだったけど、うまく騙せたな。

 独居房のような小部屋が左右に立ち並ぶ細い廊下を駆け抜け、ひときわ重厚そうで、歴史を感じる木製ドアがある部屋の前に辿り着いた。多分、ここがプリムラ姫の控室だ。

 そして、扉の前にはエニシダさんが待ち構えていた。


「アヤト、なぜここに居る?」


「決まっている。プリムラ姫に会うためだ!」


「私は、接見を禁じると伝えたはずだがな……」


 エニシダさんが、仁王立ちで見据える。ここから一歩も通さない気迫を感じる。

 これまでのコメディリリーフのような印象を一蹴する、暗殺者のような殺気。


「エニシダさんこそ、なんで大会に出席させたんだ!」


「そうだな。姫様はお前と離れて、一時的にショックを受けられているが、それも時が解決してくれると思ったのだが、相当心に傷を追われたらしいので、無理やりにでも試合に出ていただき、気を紛らわせようとしたのだ」


「それで、あんなにボロボロになってたら意味が無いだろ! エニシダさんは、姫様が心配じゃねーのかよ!」


「私も止めたさ。だけど、試合が始まれば、私の言うことなぞ、聞いてくれなくてな」


「あんた姫様のこと、何もわかっていない! 何が『本物の姫様も見てほしい』だ。

 姫様は、剣のことは誰にも譲れないんだよ。どれだけ辛かろうが、気丈に剣を振るうんだよ。あの人は生粋の負けず嫌いなんだ」


「そんなことは判っている。だが姫様には、そのうち剣もお捨ていただかなければと思っていた。今日、スカーレッタ姫に完膚なきまでに叩き潰されれば、剣への自信も折られ、情熱も冷めるだろう」


 舌戦の途中、会場に歓声が上がった。


「始まったか……」


「もしかして、アンタ」


「そうだよ。この部屋には誰も居ない。姫様はすでに闘技場に向かわれた後だ」


「なっ……」俺は怒りに声が震える。


「いい加減にしろっ! 俺のこと散々使い倒して、挙げ句、こんなだまし討ちみたいなことまでして、何の恨みがあるんだ!」


「すべては姫様のためだ」


「そんなこと言って、アンタ、姫を絶望に陥れるような真似ばっかりじゃないか!」


「そうだ。私のプリムラ姫様なのだ。姫様は私の望む、いつまでも手にかかる姫様で居ていただかないと」


 エニシダが、恍惚とした笑みを浮かべた。


 この人、狂ってる。

 

 これ以上話をしてもラチが明かないと悟った俺は、道を引き返そうとした。


「待て。お前は会場に近づけない」


 エニシダが拳を構えた。


「俺を殺すんですか?」


「いいや。今日一日、眠ってもらうだけだ」


 エニシダが、じりじりと距離を詰める。


「どうした、逃げないのか?」


 そんなことしても無駄だ。たとえ逃げたところで、きっと追いつかれる。


「逃げませんよ。逃げないって決めたから」


「じゃあ、おとなしく眠れ!」


 目にも止まらぬスピードで、俺の懐に入る。


「遅い」彼女の拳がみぞおちを狙う。


「くっ」俺はぎりぎりでボディーブローを避けた。


 続けざまに蹴りを放つエニシダ。

 それも何とか避けたと思ったが、少し脇腹をかすめた。

 間髪入れず、ラッシュが続く。

 一撃一撃がどれも強力なため、腹筋に力を入れ、顔を腕でガードし、一撃でノックダウンしないように細心の注意を払った。


 突然、ラッシュが止んだ。


「アヤト、愛している」


 かと思えば、急な告白に「えっ?」と、俺も返事してしまった。

 やばい! と思ったが、直後に回し蹴りが腹部を直撃し、俺は壁に叩きつけられ、倒れた。


「やっぱりちょろいな。アヤトは」


「……」


「こんな言葉にすぐ反応する。いくらでも言ってやるぞ。アヤト好きだ愛している。アヤトの全てが欲しい。アヤトに抱かれたい。アヤトに無茶苦茶にしてほしい」


「お下品ですよ。エニシダさん」


「お前……喋れるのか。渾身の力で蹴ったんだがな」


 服の中にプレートを着ていて助かった。とはいえ、衝撃で脇腹がジンジンするが。

 壁にもたれかかっている俺に、近づいてくるエニシダ。


「じゃあ、これで終わりだ」


 彼女がこぶしを振り上げた瞬間、俺は絵の具の元となる顔料をエニシダの顔に投げつけた。


「うわっ! なっ! なんだこれは!」


 エニシダが慌てふためき、必死で顔をこする。

 しかし、こすればこするほど、青い顔料が広がり、エニシダの顔が真っ青になっていった。


「顔をこするのやめた方がいいですよ。顔料には毒性が含まれている物もあるんだから。こすって目を傷つけて失明……なんてことも有り得ますよ」


「くそっ、くそっ!」


「早く水で洗わないと、皮膚がただれて、おぞましい顔になるかもね。そうなったら、さすがのプリムラ姫も近づかないでしょう」


 エニシダはわなわなと震え出した。


「姫様の美しい姿を二度と見ることも、近づくことも出来ない生活でもいいんですか? 俺なら耐えらえないなー」


「くっ! お前、絶対、そこで待っていろよ!」


 エニシダは青い顔を晒したまま、走り去った。


「……バカだな、あの人」


 俺は、観客席へと急いだ。

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