第五章 その⑨ アヤト目醒める

 あの映像が気になる。

 店に戻った俺は、ずっと、うわの空だった。

 そんな俺を見かねて、リリィさんは用事を提案した。


「アヤト、ボクの絵でも描く? 気分転換になるかもよ」


 考えていても仕方ないので、その案に乗った。



 リリィさんが準備を終えたようで、2階から「もういいよ」と声が上がる。

 部屋の中では、下着姿のリリィさんがベッドに座り、俺を待ち構えていた。

 早速、準備に取り掛かる。キャンバスを覆っていた布を取り除き、俺は絵の具を練りながら、作成中の絵を眺めていた。

 リリィさんの裸婦画も今日できっと完成する。完成したら、リリィさんに告白の返事をしなければならない。

 筆先を、そっとキャンバスに下ろし、色を塗っていく。

 絵を描く時はいつも無心になるのだが、今日に限って全く筆が乗らない。

 焦って失敗しないように、そっと慎重に筆を進める。

 一筆なぞるたびに、一時中断。こんな調子だったので、とてもスローペースだった。


「ねぇ、アヤト。筆を動かすたびに、ため息つくの止めてくれない? なんか傷つく」


「えっ! そんなことしてました?」


 リリィさんが指摘するまで、そんな失礼なことをしていたとは知らず、少し意気消沈した。


「重症だね、こりゃ」


 リリィさんは呆れた様子で寝返りを打ち、うつぶせになって足をブラブラさせる。


「アヤトさー。ほんとにおかしいよ?」


「すみません」


「やっぱり、まだ姫様が好きなの?」


「……」


「あのさ、アヤト。プロポーズしといて今更だけど、ボクは君が好きだ。出会ってからずっと、君を愛している」


「えっ! あっ、ありがとうございます」


「これが、ボクの気持ち」


 リリィさんは照れることなく、真っ直ぐ、俺に伝えた。


「キミは自分の気持ち、ちゃんと伝えた?」


「いえ、してないです……。気持ちを伝えずに去るのが、クールかと思って」


「あー……出た出た。男特有のカッコつけ。そういうのが一番ダサいんだよ」


「ダサくは無いでしょっ! 余計な希望を与えない方が、彼女のためでしょっ!」


「ホントに好きじゃないなら、それでもいいさ。だけど、アヤトは振った側なのに、今も未練たらたら、まるで振られた後みたいじゃん。そういうのがダサいって言ってんの」


 辛辣だが正論だった。俺はプリムラ姫への想いを全く断ち切れていなかった。


「姫様も辛いだろうね。こんなバカな奴に、本心どころか嘘をつかれて、逃げるように居なくなられて」


「だから、それは……」


「絵のこと以外はバカなくせに、そういうときだけ小賢しくなるんじゃないよ」


「俺なりに必死に考えたんです。小賢しいなんて、心外だ」


「だけど、姫の気持ちはどう? アヤトが自分の気持ちをちゃんと伝えたうえで、潔く諦めるか、茨の道でも愛を貫くか、彼女にも決めてもらうべきだった。しかし、アヤトはそれをさせなかった。キミの親愛なるプリムラ姫ってのは、あんたに依存して何も決められないほど、未熟な人間なのかい?」


「俺だけじゃなく、姫も侮辱するな! いくらリリィさんでも、それ以上言ったら許さない」


「ボクのことを『許さない』だって? アヤトは、もっと許してはいけない奴が居るだろ」



「嘘をついて、正直な気持ちから逃げた自分を許すなよっ!!」



「っ!!」


 気迫がこもった叱責に、心臓がドクンと大きく脈打った。


「やっと目が覚醒めた? なら、もうやることが出来たはずだ」


「リリィさん、ごめん」


 俺は、まず謝った。


「リリィさんの裸婦画は未完成のままで、終わります」


「そう……」


「ありがとう。とても刺激的な経験でした」


「……その絵、どうするの?」


「そうだな。未完成品を納めるわけにはいかないし」


「じゃあさ、ボクの部屋に置いといてよ。そして完成させたくなったら、またいつでも描きに来て。ボク、アヤトがおじさんになっても、おじいちゃんになっても、ずーっと待ってるからさ……」


 リリィさんが俯いて答える。


「でも、タイトルは入れてほしい……」


「わかりました」


 俺は黒い絵筆でタイトルを書き、そしてキャンバスに布を覆い被せた。




 道具の片付けが終わり、リリィさんの部屋を立ち去ろうとしたとき、リリィさんが俺を呼んだ。


「アヤト!」


「はい?」


 彼女は自分の唇を、俺の唇に重ねた。


「へへぇ」


「あっ、あの……」


「どうだった? ダークエルフの味は?」


「初めてだったので……びっくりして味わう余裕も無く……」


「やった。姫様の先を越せた。アヤトの初物ゲットだ。これで姫様に一矢報えたかな?」


 リリィさんは、体が痛くなるほど強く抱きつき、その小さな顔を俺の胸にうずめた。


「「……」」


 しばらくの沈黙の後、身体を離し、何かが書かれた羊皮紙の書簡を俺に渡した。


「これは何ですか?」


「今、ハボターナにはキャラバン隊が来ている。このキャラバンは、地竜を飼っている。地竜なら足も速いし、スタミナもある。地竜の足を使えば、今から真都に向かっても明日には着くはずだ。キャラバンの隊長とは顔見知りだから、これを渡せば話は付く。絵の前払い代わりだ」


「リリィさん……。何から何まで……。これまで、本当にありがとうございました!」


「うん。ボクもアヤトに出会えてよかった!」



「それじゃあ、行ってきます!」


 ――*――


 キャラバン隊に事情を説明し、リリィさんの書簡を隊長に見せると、満面の笑みで、俺をキャラバン隊に参加させてくれた。


「リリィ姉さんにはお世話になってな。姉さんからの頼みとあっちゃ、断るわけにはいかねぇ。行くぞお前ら、真都サークルローズへ出発だ!」



 ――ハボターナを出発して、二時間。


 地竜の脚は確かに速かった。地竜はトカゲのように四足歩行で進むので、厳密にはドラゴンでは無く、ドレイクに分類されるらしい。

 地竜がけん引するほろ付き荷車の中で、俺はいろいろと考えた。

 あんなに手酷く振ったのに、どの面下げて会えばよいのか。

 プリムラ姫への想いを伝えて、その後どうするのか。


 そう考えて、ハッとした。


 リリィさんの言ってたこと、もう忘れかけている。

 俺は絵しか能の無いバカなんだ。

 言葉を重ねたところで、ロクなことにはならないのは目に見えている。

 会って、その時想ったことを伝える。ただそれだけだ。


 考えることを止めた代わりに、俺は手を動かすことにした。

 俺は絵しか能の無いバカだから。

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