第五章 その② 回想……リリィさんとの出会い
――リリィさんと初めて出会った日、それは異世界に転移してから、一カ月ぐらい後。
ぼちぼちと絵も売れ始めた頃、プリムスに画材があまり無いことを知った俺は、画材を探してハボターナにまで足を延ばした時だった。
――*――
その日は雨だった。
ハボターナは、乾いた土地にある国だったが、たまにスコールのような大雨が降る。
しかし、年に数回しか降らないので、俺はある意味運が良かったのだろう。
「ちょ! こんな土砂降り聞いてないよ!」
旅のマントであるポンチョを着ていたとはいえ、ここまで雨が多いと水浸しになる。
豪雨の中、俺は走り回ってある家に飛び込んだ。
俺はそこを空家だと勘違いした。
まるで人が住んでいないかのようながらんとした内装。
ところどころ絵画が飾っているが、それはアンティークの一種だと思った。
床はひび割れ、テーブルにはホコリが目立ち、天井にクモの巣が張ってあり、手入れも行き届いていない。
「誰だーい?」
奥から、気だるそうな声がするとともに家人が歩いてきた。声の主は小柄なダークエルフであった。
少女は、ダークエルフ特有の目鼻立ちの良さと琥珀のような褐色の肌を備えていた。
しかし、体はやせ細っていて、髪はボサボサ。目つきは鋭く、声は疲れ切って、しゃべるのも嫌だという感覚が伝わる。
服も乱れ、全体的にボロボロな姿を俺に晒していた。
まるで浮浪者と会話している気分。
「すっ、すみません。急に雨が降ってきたもんで、雨宿りをさせてもらいました」
「そうかい。だけどここはボクの店だよ。用が無いなら出ていってくれないか? 商売の邪魔だよ……」
おおよそ客商売とは思えないような応対をする少女に最初とても戸惑った。
だがここで出ていったら、また雨宿り先を探さなくてはならない。それに“これ”が濡れるのは避けたい。
「雨が止んだら出ていきますので、少しだけ居させてもらえないでしょうか?」
「だめだ。お前もそうやって油断させて、僕の画廊を食い物にするつもりだろっ?」
どこか陰りのある声に不安を覚えるとともに、ここが画廊であることを彼女から聞いたのは幸いだった。
「画廊? ここは絵を売っているんですか?」
「見ればわかるだろ。お前の目は節穴か?」
そう言われても……。このホコリを被った絵画たちが売り物だとは到底思えない。
例えるなら、空家にする際、居住者が絵画を捨てるのが面倒で放置した。としか見えなかった。
「画廊ならもうちょっと絵を大切に扱ったほうが」
「いいんだよ。どうせ売れっこ無いんだし」
「それはどうかわからないです。だけど、こんなホコリまみれの画廊では売れるものも売れないですよ」
「ウルサイよ! どうせ絵なんて……絵なんて……うぅぅ……」
そのまま彼女は泣きだした。
なぜ泣いたのかはわからないが、彼女の涙は俺を混乱させるものでは無いことだけはわかった。
涙を流し、床にうずくまる彼女を立ち上がらせて、さっとホコリを払った後、椅子に座らせた。
彼女をよく観察すると、体中至るところに怪我を負っていた。
しかも拘束された後なのか、麻縄で縛られた跡が手や足、首元についている。
火傷のような跡も、点々と体のあちこちにある。これって――
奴隷……。
俺は真っ先にその考えが浮かんだ。人を人として扱わない制度。この世界にも当然制度があることは聞いていた。
奴隷の用途は、買い主のための労働力から性処理まで、多岐にわたる。
だが彼女はそれとは違う。なぜなら自分の家を持っているからだ。奴隷は自分の家を持てない。
「ここは僕の画廊だ」と彼女はそう言っていた。
泣き崩れる彼女に俺はずっと付き添った。別に憐れんだわけでは無いが、なぜか放っておけなかった。
しばらくすると、彼女は泣き止み、恨めしくこちらを睨みながら話し始めた。
「お前、なんでまだ居るんだよ……」
「雨がまだ止んでないので」
「嘘だ。この辺のスコールは短時間ですぐに止む。もうとっくに雨なんて降ってない」
「降ってますよ。アナタの顔に」
すると、彼女の頬にスゥー。と涙が伝った。
「何なんだよ。初対面のくせにキザなセリフ吐きやがって。ボクを口説いているのか?」
「気になるんです、この画廊とあなたが。絵が好きな者同士の直感と言えばいいのか」
「何が直感だ。ただのボロい家と小汚い女が一人。お似合いの状況で引っかかる部分なんて無い」
ダークエルフの少女は、気丈に答える。俺は彼女の瞳に何と答えればよいか考えた。
「俺は絵が好きなんで画廊にもよく行きます。画廊というのは、展示場であり商談会場です。そこには隙あらば絵を売ろうしたり、画家を売り込もうとする商人が必ず居ます。そういう場は芸術の場でありながら、どこか商売の臭いが漂うんです。
だけどここはそんな臭いを感じなかった。家の作りや壁の質感、採光の取り方をすごく計算しているなと思ったんです。商売は二の次で、絵が好きで、それを存分に見てもらえるように、くつろいでもらえるようにという空気が残っていました。だから俺は、最初ここを画廊だとは思えなかったんですよ」
ダークエルフの少女は、ハッとした顔で俺を見つめた。そしてまた泣き出した。
「ここは……お父さんが残してくれた画廊なんだ。だけど、ボクの代になってから、なかなか経営が上手くいかなくって。それで……それで……豪商にお金を借りたんだけど、それでも上手くいかなくって、そのうち借金が返せないようになって」
彼女は辛い心境を吐き出すように話した。
「踏み入った話だけど、その体中の傷は、それと関係ある?」
「……この画廊を売り渡すか。借金を返すか。さもなくば。さもなくば……」
――その身を持って奉仕せよ。ということか。どおりで彼女がボロボロな訳だ。
「そこまでして頑張る必要はあるのか? この家は確かに素敵だと思うけど、自分を売ってまで守るような価値があるとはとても……」
「嫌だっ! この画廊は絶対に手放すもんか!」
彼女は、捨てられた犬のように怯えながら俺に吠えた。
……やばいのに足ツッコんじゃったなぁ。
今日はいろいろと画材を手に入れて、骨董屋とか見て回って、ちょっと飯食って、息抜きのつもりだったのに。ついでに、この絵をどこか。
この絵を……。ったく、しゃーねぇな。
「それならさ、この絵あげるよ」
俺はポンチョの中から大事に仕舞っていたある絵を彼女に見せた。
「なんだ。この絵は?」
「新進気鋭の作家の絵さ。まぁ俺の絵だ」
「キッカイな絵だ。なんだよこの手に持っているへんてこりんな箱は。風景も教会や民家ですらない。この女が着ている服も見たことが無い」
その絵は、教室で女子高生がスマホをいじっている姿だった。
「こんな絵、売れるわけない……」
「いやいや、意外と物珍しさに愛好家は飛びつくかも」
「バカ言うなよ。ボクはこう見えても画商だぞ。審美眼ぐらいは備えている」
「それなら、なお俺の絵の良さはわかるはずですよ」
「お前、自信過剰だな。まぁ置いといてやるよ。どうせ売れないけど」
「そりゃ売れませんよこんな店じゃ。まずは掃除です」
「お前、初対面のくせにズケズケ言うな。そこまで言うならお前がやれ」
「あんたの店でしょうが。ほら、やりますよ」
「めんどくさ」
俺と彼女はその後みっちりと画廊を掃除した。
最初しぶしぶ付き合っていた少女も自分の家が綺麗になっていく実感を得ると、どんどんと熱を上げて取り組むようになった。
もともとの家の作りが良かったため、キレイになった画廊は当初とは比べ物にならないほど絵を飾るのに適した空間へと変貌した。
「やっぱり俺の見立て通り、なかなか立派な画廊だったんですね」
「『だった』とは何だ。今も立派だ」
彼女の瞳に少し生気が戻った気がした。
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