第五章 その① リリィさんの画廊にて

 休日を利用して俺は商業国家ハボターナに訪れた。

 

 ハボターナは砂漠地帯の玄関口でもある都市で、今日もカラッとした暑さだった。

 気温と砂ぼこりが舞うので、ハボターナに向かう旅人は日差しを避ける帽子と砂除けのコートが必須アイテムだ。

 すれ違う旅人は、ターバンやメキシカンハットを被り、マントやポンチョを羽織っている。

 地元民は、それを「軟弱者が身に着けるものだ」と言わんばかりに素肌をさらし、帽子もかぶらず闊歩している。


 プリムスとハボターナは国家間が近く、馬を乗り継げば二日もあれば行ける場所だった。

 そのためプリムスとの交易が盛んで、プリムス製の農作物も多数取り扱っていた。


「おい、そこのダンナ! 旅の土産買っていかねーか!」


 街道を歩いていると行商人たちが、道行く旅人たちに声を掛ける。

 商人が売る商品は様々だ。何の肉かわからない食品や盗品と思われる宝飾品、爬虫類や昆虫を干した漢方の材料など。

 

 この国家の特徴は「金を持つものがすべて得る」

 商業国家らしい非常にシンプルな国是だ。

 力も名誉も権力も恋人も命も、金さえ積めば手に入る。だから金持ちこそが正義。貧乏人は家畜にも劣る。

 初めにこの街に来たときは、この主義と雰囲気に良い印象を持たなかった。

 皆がギラギラと殺気立ち、いかに自分が這い上がるか、いかに他人を蹴落とすかという意思で満ち溢れているように思えたからだ。

 だが何度か通ううちにその考えは変わった。

 こいつらはただ自分の欲望に忠実なだけなのだ。そうわかった途端に人間らしく思えて考えが変わった。

 ある意味本能的で混沌に満ちているこの国は、慣れてしまえば悪くはない。 

 ただ、片時も気が休まる事はないが。

 

 そんな国の中で唯一気を休められる場所が、リリィさんの画廊であった。


「こんにちはー」


「あっ、アヤト―。いらっしゃーい。会いたかったよ―」


 明るい声で出迎えてくれるリリィさん。

 悪戯っ子な表情では無く、本当に屈託のない笑顔で俺を歓迎してくれてた。


「はー。長旅疲れたー」


「ちょっと待っててねー。ボクお茶を持ってくるよ」


「お構いなく」


 リリィさんは奥へと入っていった。


 ポンチョを脱ぎ、ふぅー。と一息を入れて商談用のいすに座った俺は、空いた時間で画廊の絵を見つめていた。

 この世界の絵は、宗教画や肖像画が多い。

 初期フランドル派のような、緻密でディティールに凝った作品も多く展示されている。

 写実主義の絵の正確さにこだわる姿勢は非常に好感が持てる。写真が無い世界では、情景を正確にとらえて絵に写すということは歴史的にも世界を知るという点でも非常に重要な意味を持つから、この世界でも重宝されている。

 ルネサンス美術のような絵画も所々見られる。遠近法による立体感と神話主義に基づいた作品が多い。

 特に「ウルビーノのヴィーナス」や「ユピテルのイオ」に似たような女神の裸体を描いた作品もあり、目のやり場に困る。

 どの絵も庶民では手が出せない値段だった。

 この世界では、絵画は金持ちしか手に入れられない一種のステータスのようなものだから当然か。


「はーいお待たせ―。リリィちゃん特性ダークエルフ汁でーす」


「リリィさん。そのネーミングやめて。想像力が悪い方向で加速するから」


「えー。体に良い薬草を十種類ブレンドしたダークエルフ秘伝のお茶なだけだよ」


「いや、そうじゃなくて、リリィさんの液が入っているのではと」


「アヤト、もしかしてボクが媚薬とか危ない薬入れてるとか思ってないか?」


「うん」


「いいから、黙って飲め!」


 リリィさんが半ば強引にお茶の入ったカップを突き出してきたので、俺はしぶしぶダークエルフ汁と言う最悪なネーミングのお茶を飲むことにした。味の感想は結構……旨い。

 このお茶、苦々しいと思ったら意外とすっきりした味で「こういう味だ」と表現できないのがもどかしい。


「はーっ。生き返りますね。ネーミングセンスはだけど」


 リリィさんは俺の対面に座り、頬杖をつき両足をぶらぶらさせながら、俺がお茶を飲むところをうれしそうに眺めていた。


「何か良いことでもありました? にやにやして」


「別にー」


「ところで、最近の景気はどうですか」


「まぁ、ぼちぼちかなぁ。それなりに経営は安定しているし、お得意様もちょっとずつ増えているし」


「へー。順調じゃないですか」


 俺達は他愛無い話をその後続けたが、そろそろ本題に移ることにした。


「では、本日の品はこちらですが、いかがでしょうか?」


「おぉーこれはまた、独特なモノを描いてきたね。星を見下ろす構図とは。夜景もただ黒一色じゃなくんて、どこか騒々しさと言うか賑やかさを感じるし」


 俺が描いたのはスカイツリーからの夜景だった。

 絵の構図的には、夜景が星のように写るため、星を見下ろすという表現も間違ってはいない。


「アヤトの発想にはいつも驚くよ。どうしたらこのような絵を思いつくんだい? まるで実際に見てきたようだよ」


 実際に見た風景なんですけどね……。


「まぁ、才能と言うか記憶力のなせる技と言うか?」


 ただ見てきたものを模写しているだけだから才能と呼ぶにはおこがましいけど。

 この世界の人たちには、こういう絵は珍しいようだ。


「それじゃあ、これいただくね。ありがとー」


「ちょいちょいちょい。リリィさん。忘れ物」


「あっ、感謝のキスね。忘れてないよ」


「違うちがう。お金。作品代金」


「ちっ、目ざとい奴め」


 この人、舌打ちしたぞ。目ざといのはどっちだよ。


「はい。代金」


 リリィさんはしぶしぶ金貨が大量に詰まった袋を俺に渡した。


「おお、これこれ」

 俺は金貨を目の前にして気分が盛り上がった。

 これで好きな画材を買えるし、ゲオルグと飲みにも行ける。残りはアトリエのために貯金してー。


「アヤトぉ、どうせ全部は使わないんだから、ボクにも分けてくれよぉ」


「だーめーでーす。これは将来に向けての貯蓄分も入っているんです。でもそうですね。リリィさんにはいつもお世話になってるし、今日は俺のおごりでどっか行きませんか?」


「えっ! ホント⁉」


 リリィさんが机を乗り出し、目をキラキラさせながら俺に顔を近づける。


「どうですか? 忙しくなければ」


「うん。行く行く!」


 こくこくと頷き、リリィさんは急ぎ身支度を整え、閉店の準備に取り掛かった。

 旅の荷物は店に置かせてもらい、俺たちは街へと繰り出した。


「えへへぇ」


 リリィさんは、店を出た瞬間から腕を絡め身体を密着させながら、俺と街を練り歩いた。


「ちょ、リリィさん歩きづらいって」


「えぇー、この方がアヤトもうれしいだろう?」


 確かに胸の感触が腕に伝わり、悪い気はしない。


「確かにうれしいですけど、暑苦しい。それに恋人でもない男に胸を触れられるっていうのは、リリィさんも気にするんじゃない?」


 キョトンとした表情で俺を見上げるリリィさん。

 不思議そうに見つめる瞳は童顔のリリィさんをますます子供のような印象にした。


「あははははっ。意外とウブなんだねアヤト。ボクは気にしないよ。だってアヤトだもん」


 それはどういう意味だ?

 俺は異性じゃないという意味だろうか。


 その後、俺たちは商店や画材屋、雑貨や骨董を扱う店に立ち寄り、さまざまな意見を交わした。

 芸術が大衆に広く行き渡っていないこの世界で、絵のことや造形の話で盛り上がれるリリィさんは俺にとっても貴重な存在だった。

 ダークエルフは長命種でもあるから、これまでの絵の歴史も教えてくれる。


「で、ゲラルトって言う画家が、抽象派の主軸だったんだけど、世間にはまだ理解されなくって、異端者扱いされて放逐されちゃったんだよ。それ以降、写実派が幅を利かせるようになってーー」


「抽象画って、ある程度絵の技術が無いと、何が良いのかわからないところがありますよね」


「そうそう。魂の主題が絵の中に隠れているというか、テーマを探し出す部分が若干謎解きに近いんだよね。絵にそういう要素を取り入れたのは面白い発想だったのになー」


 リリィさんと俺は近くのパブに入り、キャフェというコーヒーのような物を飲みながら話し合っていた。

 このキャフェという飲み物、苦みと酸味がありハーブの匂いも若干するのだが、後味が口に残らず、コーヒーほど後味が残らない飲みやすい飲料であった。

 ちょっとダークエルフ汁に似ている。


「やっぱり暑い日にはキャフェに限るね」


 リリィさんはこの飲み物にドバドバと糖蜜を入れて飲んでいる。

 その飲み方がとても気に入っているらしく、飲むたびに長い耳がぴくぴくと反応している。


「ところで、リリィさん。あの豪商とはその後――」


「……」


 リリィさんの手が止まった。


「すみません。言いたくなければ構いません。俺も余計なことを聞きました」


「いや、いいんだよ。もう関係は切れたよ。完全に」


「そうですか。それなら良かった」


「ねぇ。それもこれもアヤトのおかげなんだよ」


 リリィさんが、テーブルに乗せていた俺の手を握る。

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