第三章 その② プリムラ姫の社交能力

「プリムラ姫様、失礼します」


「ええっ、お入りになって」


 ドアを開けた瞬間、俺は言葉を失った。いや、声を奪われた。

 そこに居たのは、あの勇ましい姫さまでは無く、正真正銘のプリンセスであった。

 ベロアのような光沢のある青い生地 ところどころ散りばめられた小さな宝石達。

 決してゴテゴテしておらず、華やかさと落ち着きのあるドレスをプリムラ姫は身にまとっていた。

 ドレスの青色が、彼女の白い肌とブロンドの髪を引き立てている。

 あくまで主役はプリムラ姫自身だということを感じさせる良いコーディネートだった。


 艶めかしく凛としたドレス姿に俺はいつになく緊張を感じ、彼女が綺麗な人であることを思い出させた。


「どうかしら。アヤトさん」


「あっ……」


 彼女の問いかけに俺はすぐ答えられなかった。


「そのとっても、似合っています……」


「どうして俯くのかしら?」


「見ていられないのです」


「わたくしの姿、そんなに変かしら?」


 プリムラ姫が不安そうに聞いてきた。


「違うんです。姫様があまりにもお綺麗すぎて、俺……直視できないんです」


 あぅっ。また恥ずかしい発言を……。

 何だろう最近の俺……こんなにも自分の感情をポロッと出すような単純な人間だったのか?

 プリムラ姫と出会ってから、あの衝撃があってから俺の脳内回路が変わったのか?

 もう恥ずかしくて死にたい。


「あっ……ありがとうございます。そのように仰られると、わたくしも恥ずかしくなってきましたわ」


 俺はチラッと姫様の様子を見ると、あたふたしたそぶりを見せていた。


「もっ、もう結構ですわ! アヤトさんありがとうございました」


 俺は部屋から追い出されてしまい、代わりにエニシダさんが部屋に入っていった。


 

 ーーしばらく後、エニシダさんだけが部屋から出てきた。


「アヤト。お前、姫様に何をした?」


「えっ、どういうことです?」


「姫様が終始ご機嫌が良いのだ。満面の笑みでな。あのように浮かれている姫様を私は見たことが無い」


「別に大したことは。『姫様が綺麗で見られない』って言ったぐらいです」


「はぁ……。あのな、姫様は幼少の頃より私が身の回りのお世話をしてきたんだ。姫様に悪い虫が付かないようにと交友関係にも細心の注意を払ってきた。それをお前と来たら……。アヤト、言っておくぞ。姫様は王族でいずれ身分のある殿方と結婚するのだ。お前がいくら姫様に恋心を抱こうとも、それは成就しない。悪いことは言わないから早いうちに諦めろ。それがお前のためだ」


「エニシダさん。何を言ってるんですか? 俺は姫様に恋心なんて……」


 ウッと胸にこみあげて来た。少し苦しい。乗り物酔いが今になってきたのか? 


「どうしたのだ?」


「いえ、俺は姫様に恋をしているわけでは無いので安心してください。言ったでしょう? 俺は絵の修行でプリムスに来ているのだと。絵が上手くなることが俺の一番の目的です。そのためには色恋にうつつを抜かしている暇は無いんです」


「そうか。それなら良いのだが、くれぐれも姫様をかどわかさないでくれ。あのお方は男性に対して免疫が無いのだ」


「ずいぶんな言いようね。エニシダ」


 プリムラ姫がドアを開けて現れた。


「ひひひっ、姫さまぁ⁉」


「エニシダ。わたくしに男性の免疫が無いなどとよく言えましたね。わたくしももう立派なレディですのよ。それを今回の社交パーティで証明して見せます」


 姫様の瞳は自信に溢れていた。


「ねっ。アヤトさん!」

 

 プリムラ姫が俺にウインクを投げかけた。


「はっ、はい。そうですね」


 俺はまた恥ずかしくなってしまった。


「ふふふっ」


 プリムラ姫は上機嫌で会場に向かった。


 ――*――


 

 絢爛豪華(けんらんごうか)な会場は、色彩豊かな衣装と色めき立つ若者たちの声で騒がしかった。

 オペラ劇場のような高い天井と広いホール。

 ホールを取り囲むようグルッと多重構造の観客席が二階と三階に配置されていた。

 当然ながら俺たちのような従者は観客席からしか眺める事が出来ず、事の成否はプリムラ姫の華奢な肩にかかっていた。

 俺たちはプリムラ姫を送り出した後、観客席に向かうためホール入口を後にしようとしたとき、俺の肩に強めの衝撃が走った。


「ツッ、痛てぇな! おい、そこをどけよお前!」


「あっ、どうもすみません」


 どうやらすれ違いざまにぶつかったようだ。


「ボケッと突っ立ってんじゃねえよ。平民のくせに」


 俺を罵倒してきた男は、見るからに派手な燕尾服を身にまとい、ボタンやカフスにはこれでもかとギラギラした宝石を埋め込んでいた。とても趣味が悪い。

 さらに指や腕には高価そうな指輪や腕輪を装着して、いかにも成金のような出で立ちであった。


 体系も小太りで態度もふてぶてしく、どこか不機嫌そうな顔をしていた。


「お前、どこの国の者だ?」


「プ、プリムスです」


「あーあの田舎都市の。だからトロくさいのか」


「なっ、何だと」


 俺は拳を握りしめた。


「あっ? なんだお前、その態度は。俺に盾突こうと言うのか? そんなことをすれば大問題だぞ」


 隣に居たエニシダさんはそっと俺の拳を抑え、首を横に振った。


「くっ」


「お兄様、そのような下々の者に係わる時間が惜しいですわ。さぁさ、行きましょう」


「ふん! マツリカに免じて今日はこれで許してやる。今度からは気をつけろよ」


 マツリカとはこの男の妹のことだろうか?

 それにしても妹の方も派手な金色のドレスにキャバ嬢のような盛り盛りの髪型。

 いかにも中世の貴族のような姿だった。

 

 こちらはファー付きの扇のようなもので口元を隠したまま、蔑んだような表情で去っていった。


「くそっ。なんですかね、あの兄妹」


「あの二人は城塞国家ライナスの第一王子ゲルセミウム様と第一王女のマツリカ様だ。ゲルセミウム様の方は気難しくて有名でな。気に喰わない者は容赦なく処罰されるという噂だ。良かったなアヤト。あの程度で済んで」


 なんか権力を笠に着て嫌な感じだな。

 王族もあんなタイプが居るのか。

 そう思っていると、大きなファンファーレが会場に響き渡った。


「真王フルールドゥソレイユ陛下の御親臨!」


 すべての者が、一斉に沈黙し頭を軽く下げ壇上に注目する。

 侍女や従者たちは一同膝をつき、決して目を合わさぬよう深々と頭を下げた。


「バカ者。お前もするのだ!」


 俺もエニシダさんに頭を押さえられて、無理やり臣従のポーズを取らされた。


「皆の者よく来た。一同顔を上げられよ」


 真王の言葉につられて俺は頭を上げようとすると、


「お前はまだ頭を下げたままだ!」


 と怒られてしまった。


 ちらっと見えた真王の姿は、例えるなら賢者のような白髪のご老人。

 白く長い口ひげを蓄えていた。


「わが息子、娘たちよ。よくぞ参られた。エスパスフルーリ建国の祖たる初代国主ソル王も今日という日を天から祝福しておられるぞ」


 昔、一人の王が土地を子孫に分け与えて出来た国だから、真王にとってみれば、すべての王族は子供となるのか。妙な言い回しをする。


「お主たちのような若い力こそが今後のエスパスフルーリのさらなる繁栄を築くのだ。お互いに切磋琢磨して研鑽を重ねよ。国を善く治め民の声に耳を傾けよ。お前たち王族が王族たらしめるよう責務を十二分に果たせ」

 

 ノブレスオブリージュ高貴な者は責任が伴うというやつか。

 王族の皆が真王の一言一言を漏らすまいと聞き入っていた。


「さて堅い話はここまでである。今宵はわが子たちの最高の晴れ舞台となるように、料理、音楽、芸術すべてを一流品で揃えた。今宵が初舞台となる者もおろうが、心ゆくまで皆と語らい宴を楽しむがよい」


 真王が話し終え退席すると、皆は緊張が解けたのか一斉に歓談しだし、会場はガヤガヤと騒がしくなった。


 俺達もようやく型苦しい姿勢を解くことが出来た。


「はぁ……緊張して、どっと疲れた」


「お前という奴は。真王様からありがたいお言葉を賜ったにも関わらず、なんと不遜な」


「まぁまぁ、それにしても姫様の様子はどうですか?」


「そうだな……」


 エニシダさんは両手を眉に当てて姫様を探し出した。

 そしてしばらく姫様の様子を伺っていたようだったが、俺の問いかけに対する返事が無い。


「エニシダさん?」


「うっ、うむ。何というか……頑張っておられるな!」


「何ですかその感想。内容が抽象的なのでもう少し具体的に教えてください」


「えぇいっ。お前に王族のしきたりなぞ分からんから説明するだけ無駄だ!」


「えぇっ……」


 エニシダさんは

 「そこだっ!」「あぁ、もう少し!」「がんばれ姫様!」

 と一人白熱しているが、俺には遠すぎて何のことやらさっぱりわからない。


 エニシダさんに聞いても埒が明かないから俺も直接確かめよ。

 俺は会場の人からオペラグラスを借りて、プリムラ姫の様子を覗いた。


 すると姫は女性の王族に話しかけはするものの、すぐにそっぽを向かれる様子であった。

 話し掛けようとも避けられているようにも感じた。

 

 男性の王族はその美しさに最初は声を掛けてくるものの、数分と持たず別の王族に声を掛けに行く始末だった。


「あちゃー姫様。なんであんなに避けられてるの?」


「王位継承順位が低いからだ。他の王族たちはこの限られた時間の中で有力な王族たちとコネクションを築きたいと考えている。それに今プリムスの財政は魔物たちの襲撃により火の車。そのような国の王女と関係を持つなど、デメリットでしかないと判断したのだろう」


「そういう打算めいた付き合いって嫌だな……」


「その考えはわからんでもないが、子供の発想だ。いま会場に居る王族たちはお前より年下も多いだろうが、いかに自分の国を豊かにするかを一番に考えて行動している。その行動理念はもう大人と言っても過言ではない」


「それは俺がガキだと言いたいんですか?」


「人助けをするのであれば、まずは自らが助かってなければならない。と言ったまでだ。それが国同士であればなおさらだ。この場で安易に援助の申し出をしてしまい、自国も傾けば元も子もないと言っているのだ。逆に言えばプリムスの立場からすれば、いかに援助の申し出を取り付けるのかというのが最大のミッションとなる」


「それにしてもプリムラ姫の美貌で男性は寄ってきてるんですが、なんですぐ離れていくんですか?」


「それはっ……姫様はお話がちょっと苦手でな。姫様の興味のあることと言ったら、剣のことや戦術や戦略の話、そして農作物の話など、少し王族に対しては受けが悪いことが多くてな……」


「社交術(そういうの)を教育するのが、侍女たるエニシダさんの役目でしょうが!」


「仕方ないだろ! 姫様はこういう話を好まず、いつも剣の間合いや劣勢の布陣でいかに戦況を覆すか。などを嬉々とした瞳でお話しされるのが尊すぎて止められなかったのだ!」


「駄メイド」


「何か言ったかアヤト!」


「いや別に。でも剣や戦術の話なんて男も好きな部類だけどなぁ」


「お前も知っているだろう。姫様が予想以上にウブで男性に対して免疫が無いことを」


「あっ……」


 よくよく見ると、姫様は言い寄ってくる男性に対して、ほぼ下を向いたまま言葉を返せないでいる。

 あれでは話しかけてきた男性も立ち去ってしまうよな。


「姫様あんな体たらくなのに、なんで会場に向かう時は自信満々だったんですか?」


「それはお前に褒め……いや、そんなことはどうでもいい! あぁ、もどかしい!」


「あっフリージア姫発見。あれ? あっちからプリムラ姫に話しかけてきましたよ。でも何言ってるか全然聞こえない」


「私は読唇術で、何を話しているか理解できるぞ」


「ずるい! 俺にも会話の内容教えてくださいよー」


「ちっ、仕方ないな」


 そう言って、エニシダさんは声色も変え、情感たっぷりで会話の内容を教えてくれた。


 「演技しろ」とまでは言ってないんだが……。

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