第二章 その④ プリムラ姫と口ゲンカ

 花畑でのふれあいも終わると、日が暮れ始めた。

 そろそろ城に戻らないといけない時間となった。


「姫様、帰りましょうか」


「えぇ、そうね」


 プリムラ姫と商業区画を戻る途中、俺はある人とばったり会った。


「おんやぁ、そこに居るのはアヤト君じゃないかー」


「あっ、リリィさん」


 リリィさんは、会うなり俺の腕を組み胸を押し付けてきた。

 ダークエルフ特有の浅黒い肌と、胸があふれる露出が多い服装に目が言って仕方がない。

 長いエルフ耳が体に触れて少しくすぐったい。


「今日はお務めお休みなのー? お兄さぁん」


「いえ、とある方の街の案内役を……」


 俺は後ろのプリムラ姫に目をやった。

 リリィさんはそれだけでいろいろ察したらしい。


「ふーん。訳ありの人って感じかねぇ? しかも女性だね」


「んっ⁉ よくわかりましたね!」


「その人、マントで全身を隠しているけど肩幅の大きさは隠せないもんだよ。

 お尻もキュートだし。ボクの見立てだとかなりグラマーだね。歩く仕草からエレガントさが伝わるから訳ありの高貴な人間。というのがボクの推理。どうだい?」


 さすが長命種のダークエルフ。観察眼が鋭い。


「もしかして、アヤト君のコレかーい?」


 リリィさんが、ゲスい顔で小指を付き立てる。


「うわぁ。その顔ゲスの極みって感じ。すみませんが粗相があると大変なんで、リリィさんはご退場いただきたく――」


「おいおいおい、ずいぶんつれないねぇ。キミとボクの仲じゃないか。二人であーんなに激しい夜を過ごしたっ

ていうのに」


 何言ってるんだか……。

 パブで二人とも泥酔して美術や芸術論について夜通し語り合かしただけだ。

 翌朝目覚めるとリリィさんは居ないわ。

 持ち合わせの金は足りないわ。

 マスターには怒られるわ。で散々だったんだぞ。


「はいはい。そうだ。あの時の飲み代、割り勘で!」


「ボクぅ、そんな昔のこと分かんなぁい」


 リリィさんは目をパチパチさせて、猫なで声ですり寄ってきた。


「ぶりっこしててもダメです! というか70歳でソレされてもイタイだけですよ」


「アッ、アヤト! お前、歳のことを言うのは卑怯だぞ! ボクだって気にしてるのに!」


 種族の寿命が違うんだから気にすることも無いのに……。

 それにリリィさんは俺から見ても十分若々しい。

 見た目もかわいい系だから、十代と勘違いされるぐらいの容姿をしている。


「実際若く見えるんだから、気にしなくていいじゃないですか」


「ホントかい? いやぁ、アヤトくんに言われると……えへへぇ。それじゃあ、もしキミとボクとが一緒に歩いていると……カップルだと思われても……違和感は無いのかなぁ?」


「まぁ無いかも。あっ、リリィさんが好きな人って人間族ですか?」


「どうかなぁ? それは乙女の秘密でぇす」


 はぐらかすことでも無いのに勿体ぶっちゃって。


「じゃあすみません。俺達はここで失礼します」


 絡めた腕を離すと、名残惜しそうな顔をするリリィさんだった。


「全くアヤト君たら強引。それじゃあねぇ。ボクの王・子・様!」


「はいはい。また絵が出来たら店に持って行きますから」


「んー! 愛してるわぁ、アヤトくぅん!」


「何言ってんですか。あんたが愛してるのは、俺の絵を売って得た、カ・ネ!」


「良いじゃないか。キミがボクの王子様であることには違いないんだよ」


 どこまでが本気で、どこまでが冗談かわからない人だ。

 それがリリィさんの魅力でもある。

 あの人の悪戯っ子のような笑顔も絵に残したいものだ。


 ――


「アヤトさん。あの方とお親しいようでしたが、どなたですか?」


 背中からボソッと、プリムラ姫が呟いた。


「あぁ、あの人はリリィさんと言って、商業国家ハボターナで画商を営んでいるんですよ。俺も描いた絵を卸しているので」


 リリィさんとは、プリムスの画廊でたまたま会ってからの顔見知りだ。

 以前、経営が苦しい。って言ってたので、優先して絵を卸したら、よく売れたそうで、なんかやたらと感謝された。

 それから懐かれているというか、からかわれているというか。


「そうですの……」


 プリムラ姫、妙に暗い声だな?


「いやぁ困りますよねぇ。いくら70歳と言っても見た目は十代ですので、あんな風に絡まれると、ドキッとしちゃいますよ。ははっ……」


「そう……ですの」


 俺は背中から寒気を感じた。

 これはまぎれもなくプリムラ姫の殺気だ。


「もしかして、敵が居るんですか? この前みたいな賊がどこかに?」


「敵? いいえ、黒猫が横切っただけですの」


 プリムラ姫は満面の笑みで答えた。

 まるで能面のようだった。

 そう、何か怒ってらっしゃることは明白である。


「あの……俺、何かしましたか?」


「あらっ? アヤトさんは御自分が何かをなさったご自覚があるのですか?」


 自覚が無いから困ってんだよ……。


「すみません。姫様を待たせちゃって」


「よろしいんじゃないかしら? あのお方にとってアヤトさんは王子様らしいので、そのように振舞って差し上げればよいのでは?」


 言葉に棘がある。

 よくわからないが完全に地雷を踏んだ。


 あれか? 従者の癖に色恋にうつつをぬかすなとか?

 わたくしを差し置いて他人と談笑するなど言語道断とか?


 俺とプリムラ姫はその後、しばらく沈黙したまま歩き続けた。


「姫様!」


 意を決して、プリムラ姫に話しかけた。


「俺、絵のことしか知らない人間なんで、姫様の機嫌が悪くなった理由が分からないんです。たぶん俺が何かしたせいだと思うので教えてくれませんか?」


「まぁ⁉ わたくしがいつ、あなたの行動によって気分を害したとお伝えしたのですか?」


「いや、そう見えたもので……」


「アヤトさんにわたくしの何が分かるのですか?」


 それを言われると……。

 ただ俺は姫様をよく観察していたんで、怒っているかどうかぐらいはわかるさ。


「何となくそう思ったんです」


「何となくで判断なさらないでください。失礼ですわ!」


「そうやってムキになって反論するところが、すでにいつもの姫様じゃないだろ……」


 あっ、しまった。完全なる失言!


「アヤトさん、その発言は無礼ではないですか!」


 プリムラ姫の白い頬が真っ赤に膨れている。

 これはもう収拾がつかない。


 あーもう、どうしてこうなるのかなっ! 

 俺はムシャクシャして、自分の頭をワシャワシャ掻いた。


「ちょっと待っててください!」


「王族に対して命令とは、ずいぶんな御身分ですわねアヤトさん」


「はいはい、すみませんすみません」

 プリムラ姫の挑発を心の中で謝罪しつつ、軽く受け流して背を向けた。


「その態度は何ですか。わたくしの話をちゃんとお聞きなさい!」


「姫様の話しはちゃんと聞いてますよ……」


 わかってますって……。

 もうちょっと待って。あとで全部聞くから!


「いーえ、聞いておりません!」


「聞いてますよ!」


「聞いてないから言ってるの!」


 急にタメ口かよ。

 だけど、あともうちょっと……。


「もう! 聞いてる⁉」


「……」


「うー……わたくしの話を聞きなさいよぅ……」


 次は駄々っ子か。


「はいっ。出来上がり!」


 俺はくるっとプリムラ姫の方に向き一枚の絵を手渡した。


 画家たるもの、どんな時でもいつでも鉛筆とノートは携えておくべき。

 その心得を忘れなかった俺は、口論の最中、即興かつ即行で絵を描いた。


「これはっ……」


 姫様は静かになった。


「わたくし……と、プリムラの花……」


 俺は花畑ではしゃぐ彼女の姿が頭に焼き付いて離れなかった。

 それを表現した。

 鉛筆の迷い線も多いラフ画レベルの雑な出来だけど。


「アヤトさん! これ――」


「姫様にはやっぱり笑顔が似合いますね」


 雑でも『描きたい』という想いだけは絵に乗せた。


「もぅ。あまりにもお話をお聞きにならなかったので、わたくしのことを嫌いになられたのかと思いましわ」


 プリムラ姫は、ほんのりと涙を浮かべた笑顔を向けた。


「俺の方こそ姫様に嫌われたかと思いました。喧嘩別れは嫌ですからね」


 今日は楽しかったから、お互い笑顔で帰りたいんだ、俺は。


「アヤトさん。申し訳ありません。わたくしも意地になっておりましたの。アヤトさんがあの女性の方とあのように親しくお話しされていたので、つい」


「えっ、それだけで?」


「……もう、アヤトさんなんて知りませんわ!」


 また怒らせてしまった……。俺ってバカ……。

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