第一章 その② 姫と侍女と盗賊と

 プリムラ姫の視察は続いたが、特筆すべきは人気のすごさだ。

 街のみんなが彼女見たさにどんどん群がってくる。

 だが、エニシダさんの殺気やプリムラ姫の高貴なオーラに阻まれ、取り巻き達は一定の距離を保っていた。

 俺もプリムラ姫の護衛役を買って出た手前、姫をずっと観察しているわけにはいかなかった。


「少し休憩しましょうか」


 プリムラ姫が我々というか、俺を気遣って休憩を申し出てくれた。

 取り巻きから離れるために袋小路の人目に付きにくい小さな噴水のふちに姫様は腰かけた。


「お二人ともお掛けになって」


「それじゃあ遠慮なく――」


「待ちなさいアナタ。姫様、我々は従者です。

 従者が主君と一緒に座するなどあってはなりません」


「まぁまぁ、そんなこと言わずに、エニシダさん」


「あなたは主従という言葉を覚えなさい」


「わたくしは構いませんのよ。それよりわたくし、アヤトさんのことが知りたいわ」


 姫のブルーの瞳が大きく輝いた。宝石みたいでずっと眺めていたい魅力を持っていた。


「どうしてアヤトさんはあのような場所で、一人逃げ回っていたのかしら? どうして絵がそんなにお上手なのかしら?」


 俺は迷った。

「異世界からの来訪者だ」と漏らしてもよいものだろうか……。


「俺、遠い国から絵の修行で来たんです。ほら、寒冷国家のリリウムってところ」


「まぁ、リリウムですの? 確かにリリウムは芸術が盛んですものね。

 でも、どうして食料も持たず、バッグ一つで旅をなさっていたの?」


「えぇっと、俺、旅の途中で盗賊に襲われまして、

 命からがら逃げ伸びたところで、魔物に遭遇してしまって」


 俺は今ある異世界の知識をフル活用して嘘をついた。

 まだ俺が異世界からの来訪者だと告げるには、情報も知識も圧倒的に不足していてリスクが高い。


「まぁ。それは災難でしたのね」


「だけど、その後プリムラ姫様にお助けいただいたのは不幸中の幸い――いや不幸中の奇跡でした」


「アヤトさんは大袈裟ですわ。わたくしはお困りしている方が居らっしゃったから、微力を尽くしたまでですの」


「ちょっと待ってください姫様」


 エニシダさんの目付きが鋭くなった。


「確か寒冷国家リリウムから来たと言いましたね。

 1か月前リリウムは冬期。

 おいそれと旅が出来るような季節ではありません」


 エニシダさんは俺に対して疑いの目を向ける。


「それに絵の修行に、プリムスを選ぶのも合点がいきません。絵を修行するのであれば、芸術国家アンセリウムや水上国家ニンフ、真都しんとサークルローズが一般的な候補です。それなのに農業国家のプリムスに芸術を学ぶのはおかしいです」


「エニシダ」


 姫様がエニシダさんの名前を呼び、にっこりと微笑んだまま黙った。


「姫様、申し訳ございません。

プリムスを侮辱するつもりは毛頭ございません」


 あっ、姫様怒ったんだ。これはエニシダさんの完全な失言だな。


「俺、プリムスの長閑のどかな風景が好きで、それを絵にしたいなと常々思っていたんです。広大な畑の収穫作業や、色とりどりの花畑など――描きたい場所がいっぱいで、プリムスを選んだのです」


 エニシダさんの失言を上手く利用して取り繕ったが……。

 はい。それも嘘です。

 俺は、目の前のプリムラ姫が描きたいだけです。

 さっき話した景色は、プリムラ姫の背景には確かに似合うと思うけど。


「素晴らしいわアヤトさん。プリムスをそんなに気に入ってくださっているだなんて。今度、ぜひわたくしに、その絵をお見せいただけませんこと?」


「わかりました。出来れば、その場にプリムラ姫も映り込んでいただけると、風景画もさらに華やぐのですが」


「馬脚を現したな三流画家。お前は、なんだかんだ言ってプリムラ姫様を絵のモデルにしたいのだろう。姫様は人気だから、その絵を売ればさぞかし金になるだろう」


「ちっ、違う! 俺は純粋に絵の――」


「そうやって動揺しているのが確かな証拠だ。

 それに私の最初の疑念は晴れていない。

 お前がどうやってリリウムからここまで来られたのか説明してみろ」


「そっ、それは」

「アヤトさん?」


 俺は答えに窮した。

 プリムラ姫の大きな瞳が、不安そうに俺を見つめる。

 たまらず目を逸らすと、袋小路の入口の方から、誰かに見張られているような気配を感じた。


「すみません……」


「やはりあなたは何か隠しているのですね。姫様、彼に近づいてはなりません」


「アヤトさん……」


「路地の入口。誰かが付けてきています……」


 俺は小声で、プリムラ姫とエニシダさんに注意を呼び掛けた。


「確かに……あなたへの尋問に集中していて、気付くのが遅れました」


「エニシダ。相手はどれほど居らっしゃるのかしら?」


「しばしお待ちを」


 エニシダさんは目を閉じ、気配の察知に集中している。


「物音や状況から察するに、入口に三名。

 屋根を伝って三名ほどが、こちらに接近しております」


「目的は何ですか?」


「わたくしの誘拐が目的と存じます。身代金目当てかと思いますの」


「あなた、これを」


 エニシダさんは、装飾も施されていない護身用のダガーを俺に向かって投げ渡した。


「私は不届き者達を撃退しますので、それで姫様をお守りなさい」


「それには及びませんわ。わたくしはわたくしで戦います」


「いけません。姫様がいくらお強かろうと、御身に何かあっては一大事です。戦闘はわたくしにお任せいただき、姫様は御身を守ることに専念してください」


 突然〈ピュー〉と口笛が響いた。


 すると三人の盗賊達が、一斉に俺たちの周りに降ってきた。


「ヘッヘッヘッ」


「姫さん。いけませんぜ、そんな少ない人数で視察なんて」


「しかもこーんな薄暗い場所で休憩なんて「攫ってください」って言ってるようなもんだぜ」

 

 賊は見るからに悪党ヅラをしていた。

 身のこなしも軽く、少し湾曲した形状のナイフがいかにもな感じで年季が入っていた。


「さぁ、大人しく俺達に付いてきてもらおうか」


 袋小路の入口に待機していた3名も合流し、俺達は挟み撃ちの体制になってしまった。


「下がれっ! 姫様は、お前たちのようなクズが触れて良いようなお方ではないぞ!」


「おうおう、侍女さんが張り切っちゃって。あんたもそこそこ美人だから、奴隷商にでも売ってやるよ」


「ゲスめ……」


 エニシダさんが一人敵陣に飛び込むと、徒手空拳で一人二人とバッタバッタと敵をなぎ倒していく。


 だが敵もエニシダさんの実力に怯むことなく立ち上がり、応戦していく。


「エニシダさん、すっげー」


 感心している場合じゃなかった。

 後方の三名も続々と襲い掛かってきた。

 俺は敵のナイフを必死にかわしながら、こちらも小さいダガーを振り回す。


「アヤトさん。わたくしも加勢いたしますわ!」


 プリムラ姫がレイピアを構えると、とてつもなく鋭い殺気が伝わり、俺は背筋に緊張が走った。


「姫さんが一丁前に剣なんて危ねえぜ!」


 盗賊達は、プリムラ姫にも牙を向いた。

 しかし、あくまでプリムラ姫を傷つけることなく無力化することが彼らの狙いだ。

 そのため、必然的に彼女の獲物……つまりレイピアに目標を定めてナイフを振るった。


 プリムラ姫はそれを予測していたようだった。

 一人の盗賊がレイピアに強い衝撃を与えたその反動を利用してレイピアの速度を上げて、隣に居た盗賊を一人倒した。


 自分の力を利用され一瞬動きが止まった盗賊に対しても、

 プリムラ姫は間髪与えず斬りかかり、あっという間に戦闘不能にした。

 プリムラ姫強すぎる。

 俺、護衛しなくてもよくない?


「ごめんあそばせ。次はあなたの番かしら?」

 

 最後に残った盗賊も、プリムラ姫の華麗な剣捌きと圧倒的な強さの前に敵もジリジリと追い詰められていた。


「遅くなりました。姫様」


 そう告げたエニシダさんの後方には、死屍累々の盗賊達の山が築かれていた。


「形勢逆転です。大人しくお縄に付きなさい」


「くっそ……」


 残りの盗賊は形勢が不利になると見るや否や、仲間を置いて逃げだした。


「待ちなさい!」


 エニシダさんは、盗賊を捕まえるために後を追っていった。


 エニシダさん。おーい、プリムラ姫の護衛は……。まぁいっか。

 それにしても、王女を狙うなんて不敬な奴らだな。

 プリムスは治安が良い方なのに。


「こういう輩は何処にでも居るんですね」


「えぇ……。どの時代も、あのような社会に適合できない方達は現れますの。罪には罰を――それはわかっているのですが、あの者を捕らえて罰をお与えしても、決して犯罪が減るわけではありませんの」

 

 どの時代も……か。確かに俺が居た時代でも、この問題は解決出来ていないな。


「あのような方々が犯罪に手を染めずとも暮らしていけるような社会を作っていくことが王族の使命と存じます。ですが、このようなことをお父様やお母様にお話しすると『もっと現実を見なさい』と仰るのです。アヤトさんもわたくしのこと、理想だけを語る小娘だとお思いでしょうか?」


 プリムラ姫が物憂げに笑った。

 俺には王政とかわからないけど。


「あなたの笑顔は素敵です」


 ポロッと、つい本音が出てしまった。


「アッ、アヤトさん。突然、何をおっしゃるのかしら⁉」


 プリムラ姫は俺のバカな発言に慌てふためいていた。


「いえ、あのすみません。つい思ったことが口から出てしまいました」


 異世界に来る前の俺なら、こんな言葉は出てこなかった。

 鬱屈した気持ちを、湧き出す感情を人前では出来る限り抑え、それを絵に昇華させて伝えている“つもり”だった。

 

 だけど、姫様の悲しそうな顔を見ると素直に言葉が出てしまった。 


「理想を掲げることって大事なことだと思います。俺も理想の絵を完成させるために、いつも絵のことばっかり考えています。だけど、俺もまだまだ理想に程遠くて……。でも、ちょっとずつでも成長して、理想に近づいていることを実感している時は、たまらなく嬉しくなります。姫様にも似た経験があると思いますが?」


「似た経験? わたくしがですか? それはどのようなところを見て仰っているの?」


「さっきのみんなの笑顔です。姫様が来るだけで、みんな喜んで持て成すなんて為政者冥利に尽きますよ。俺の居た国なんて、トップは不祥事でコロコロ変わるし、マスコミはこぞって上げ足を取りに来るし、ネットではお上の批判ばっかりでうんざりしますよ」


「ますこみ? ねっと? 気を悪くなさらないでね、アヤトさん。わたくし、世情に疎いから、あなたの仰ることがよく理解できないわ。それにアヤトさんの居らっしゃったリリウムの王様は長い間、王位を譲っていないと存じるのですが?」


「あーっ! 違うんです。トップっていうのは美術協会のトップでして、決して王族批判とかでは無いんです!」


 しまった。余計なことを話してしまった。

 この世界は王族の威光が強いから、表立って批判をするのはまずい。


「でも、ありがとう存じます。アヤトさんとお話しして、少し元気が出ましたわ。ここのところ魔物の動きが活発になり、農地も荒らされることが多数報告されていますの。そのことを考えると、わたくしも少し憂鬱でしたの」


「あぁ。それで初めて会った時、あの二つ頭の、えぇっと……」


「オルトロスでしょうか?」


「そう、オルトロス。あんな魔物が街道に現れることを嘆いていたのですか」


「そうですの。あの魔物は普段はプリムスの荒野にしか現れず、人の気配を嫌うのですが、あのように街道へ現れ人を襲うなど……。しかし領地と領民を護ることが王族の使命と存じます。このようなことで、凹たれていられませんわ」


「うぅ……くそ……」


 プリムラ姫との会話中、倒したはずの盗賊のうめき声が聞こえた。


「死ね! アマぁ!」


「姫っ!」


 とっさに身体が反応した。


「アヤトッ‼」


 うぐっ……。あ、まずい。

 腹、刺されたかも……。ナイフがもろに入った。

 ムチャクチャ痛い……。これは死んだ。


「キサマぁ!」


 プリムラ姫は激高し、一太刀で盗賊を切り伏せたみたいだが、

 俺は刺された腹が痛すぎて、あおむけに倒れてしまった。


「アヤトさん! アヤトさんッ!」


 俺の名を呼んでいるのかプリムラ姫……。

 あぁ顔が近い。本当にキレイだ。

 もっと髪の一本一本や肌のキメ細やかなところまで存分に眺めて、思いっきりスケッチしたいなぁ。

 

 だけど……その悲しそうな顔だけは減点だ。

 

 君には笑顔が似合う。


「どうなされましたか姫様!」


「エニシダ! アヤトさんが! わたくしを庇ってアヤトさんが!」


 エニシダさんも戻ってきたか。なら安心だ。

 まぁ俺が居たところで、こうやってプリムラ姫の肉壁にしかなれなかったわけだけど。


「姫様、お代わりください。ちょっと失礼しますね」


 エニシダさんが、俺の身体をモゾモゾ探っていた。

 ちょっとくすぐったい。

 少し顔がにやけてしまう。


「これは……」


 うへへへぇ……。

 犬がお腹をさすられて喜ぶ理由が少しわかったかも。


「おいバカ。起きなさい」


 エニシダさんが俺の頭を小突いた。

 酷いなぁ、俺もう死ぬんだから起きられるわけないじゃん。


「何を大げさな顔をしているのです。お前は、スカラベプレートを下に着こんでいるでしょうが」

 

 あっ。そうだった。

 スカラベプレート――つまりこの世界に生息する巨大な甲虫の外骨格を加工したプレートを中に装着していたことをすっかり忘れていた。

 確か精霊の加護も付与エンチャントしているとかゲオルグが言ってて、強度がある割に軽いから、装備している実感が薄いんだよな。

 甲冑を脱いでそれで満足しちゃって、これ脱ぐの忘れてた。


「お前が負った傷は、せいぜいプレートが割れた隙間に入り込んだ刃による刺し傷。

 それも表皮を切った程度の浅い傷で、薬を塗れば治ります」


 そう言われると確かに刺されたというインパクトが強すぎて、血がドバドバ出たとかそういう感触は無かったな。

 エニシダさんの言葉で俺は何事もなく起き上がることが出来た。


「いやー死んだと思ったんだけどなぁ」


「鍛え方が足りないだけです。

 身を挺して姫様をお守りしたことだけは褒められますが」

 

 エニシダさんに初めて褒められた。なんか嬉しい。


「アヤトさん。ご無事で本当に良かったわ」


 プリムラ姫は胸に手を当て、ほっとした様子だった。


「いえ、姫様が無事ならば俺はそれで。でも姫様が激怒したときは驚きました」


「えっ! あの……その件はお忘れください。わたくしもあの時は突然でしたので……」


「『キサマぁ!』なんて、すごく迫力があって。かっこよかったです!」


「アッ、アヤトさん! 余計なことを仰らないでくださいまし!」


「姫様。また乱暴なお言葉を使われたのですね。気が高ぶられていたことはお察ししますが、常日頃から申しております通り、優雅で上品な言葉遣いを心がけるよう――」


 エニシダさんはくどくどとプリムラ姫にお説教を始めた。

 これにはさすがの姫も恥ずかしそうに黙って聞いていた。


 

 ――*――

 

 その後、盗賊達は全員衛兵に引き取られ、俺は門番をサボった罰として、近衛兵長からありがたいスパルタ特訓を受けることとなった。

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