第4話『意味のある死』
二人は暫く何も喋らずに林の中を進んだ。
辺りは凶兆を予感させる静寂に覆われ、草を踏む音だけが彼らの頼りである。
月は、黒い雲の群れに隠れていた。
「なぁ……あと十分で助けが来るとか言ってなかったか?」
先に沈黙を破ったのは憂哲だった。
「あのまま襲撃に遭わなかったらの話よ。林の中に隠れたのはいいけど、このまま別働隊が見つけてくれるかは分からないわ」
「そうか……」
初めは追跡者を恐れて猛然と走っていたが、やがて体力に限界が訪れる。
気付いた時には、二人は駆け足さえ忘れて歩いていた。
こんな中、
「……なぁ」
「何?」
「……ごめんな」
そんな言葉が夜風に乗って木っ葉を揺らす。
ほんの少しだけ二人の会話に間ができた。
「何のことかしら?」
「いや……お前、あのグシオンさんと仲間だったんだろ? でも俺のせいで……とんでもないことをした、本当にすみませんでした」
憂哲は彼女の触発を避ける為に、言葉を選んだつもりだった。
だがその気遣いは理知のある少女に十分届いていた。
「今は自分のことを心配をしなさい。貴方のことは、私が責任を持って守ってみせるわ」
彼女の声には、確固たる使命感が宿っていた。だがそれを感じと、彼は益々落ち込んだ。
「お前達がどうして俺のことを、ここまで命懸けで助けてくれるのか知らねぇけど、お前にばっか責任は負わせられねぇよ。だから……もし自分が危ないと思ったら、真っ先に逃げろ。俺のことは見捨ててくれ。ここまでしてくれたんだ、裏切られたって文句一つ言わねぇよ」
彼の重たい声が、暗闇の林に木霊する。
リリスは短い溜息を吐くや、人差し指を遠くに向けた。
「ここまで逃げれば、暫く奴らに見つけられないわ。だから少し休ましょ。あの大きい木の近くなら、敵が来ても気付けると思うわ」
そう提案すると、二人は林の中で特に目立った大木へと辿り着き、土から突き出た根っこに腰掛けた。
最初はお互いに沈黙を貫こうとしたが、
「今なら、貴方の訊きたいことを聴いてあげれるわよ?」
「え?」
「このまま何も知らずに私に振り回されるのは嫌でしょ? 言ってみなさい」
リリスの方から、そんな話を持ち掛けてくれた。
「本当に……何でも訊いていいのか?」
「いいわよ、可能な限りだけど」
時間も限られている。だがら憂哲は真っ先にこの質問をぶつけた。
「お前は……何者なんだ?」
するとリリスは薄っすら笑みを零した。
「私の名前はリリス・テオロジア。アメリカに拠点を置くマフィア組織『テオロジア家』のボスの娘よ」
憂哲は思わず瞠目した。
「ま、マフィア!? しかも……ボスの娘!?」
「えぇ、それもアメリカをはじめ、ロシアやフランス、そして日本の裏社会でも、知らない人はいないほどの巨大な組織よ」
「マフィアなんて漫画とかアニメとかの架空の存在かと思ってた……」
「そんな訳ないでしょ。まぁでも、日本は他の国と比べて治安がずっと良いからね。そう思うのも無理はないのかもしれないわ」
「そう……かよ。で、そんな大物のマフィア組織が、なんで日本に来たんだ?」
その質問に対して、リリスは悩んだ様子で夜空を仰ぐ。
「そうね……まずここは日本ではないわ」
「え? ……は?」
余りにも衝撃的だった為、二度訊ねてしまう。
「今も言ったけど、日本は警察の力が強いからマフィアも表立って行動できない。あのテロリスト集団だって、日本であんな銃を乱射できないわよ」
「た、確かに……じゃあここはどこなんだ?」
「私の故郷、アメリカよ。ここなら多くの味方がいるしね」
「あ、アメリカ……ですか」
憂哲は、自分の初めての海外旅行がこんな形で実現されるとは思っていなかった。
しかしここで再び重大な疑問が過ぎる。
「なんで俺をアメリカまで運んだんだ?」
ここで彼女は視線を逸らした。
先程の話の流れだと、日本には味方が少ない上、治安が良すぎて行動できないから自分をアメリカまで運んだ、という風に解釈できる。
憂哲の中では、海外で銃撃戦に巻き込まれるより、日本で穏便に暮らしておいた方が、リスクを負わずに済んだのではないかと考えたのだ。
「あのテロリストは只者ではないわ。現に月影家殺人事件は、彼らが引き起こしたって言ったでしょ? 私の推測になるけど、あの時貴方がそのまま帰って、警察に取り調べを受けていたら、暗殺されていた可能性が高いわ」
「そうなる前に、俺を助けたってことか? わざわざアメリカまで?」
「えぇそうよ。でもね、貴方を私の別荘で安静にしていたことがすぐにバレてしまった。アイツらは大量の爆弾を仕掛けて、私の就寝時刻に合わせて爆破しようとしたのよ」
「別荘で? ……あ、じゃああの時の爆発は……」
「幸運にも早く相手の罠に気付いたわ。でも下手に動いたら相手も勘付いて、更なる襲撃を仕掛けると思ったの。だから爆破の直前で逃げることにしたの。でも相手は予想以上に行動が早かった……情報が筒抜けだったのかしら……おかげでグシオンは……」
最後の独り言を呟くリリスの表情に、怒りが垣間見える。
「そういや、お前達は俺に恩を返すって──」
「先に私の質問に答えてくれる?」
突然リリスが質問を遮った。
「私に色々質問したんだから、私からも良いわよね?」
「お、おお……(理由は聞かれたくないんだろうな)」
憂哲はそれで納得すると、彼女が質問した。
「貴方、死にたいって思わなかったの?」
思わず声が出なくなる。
最初は何を言ってるのか理解できなかったが、彼女は言葉を付け足す前に、何となく分かった気がした。
「貴方は志望校の合格発表日に大切な家族を失った。それだけでも辛いことなのに、世間の目は冷たかったでしょう。家の壁はスプレーで「人殺し」と落書きされて、マスコミや迷惑系配信者からは常に標的にされた。さらに近所には邪険にされ、挙げ句の果て児童保護所でも相手にされなかったのでしょう」
「………」
「なのに、貴方は死ぬことを選ばなかった……何故?」
その時、憂哲は悩んだ。
よく考えれば自分でも不思議な話だった。
「確かにな。死んだら楽になれただろうな。誰からも嫌なことをされず、愚痴も吐かれない日があればなって、何度も思ったさ」
「だったら死ねば良かったじゃない──」
リリスが反論したと同時に、憂哲は言った。
「でも、それは『意味のある死』じゃないんだ」
これが彼の答えだった。
「意味のある……死?」
リリスは当然ながら言葉を飲み込めず声に出した。
「死ぬからには『意味のある死』がいい。人が生まれたことに意味を見出すように、俺はいつか死ぬ時には意味があると思ってるんだ」
「それが……死のうとしなかったのとどう関係があるの?」
「……あそこで自分から死ぬのは『意味のある死』じゃないって言うか……どう説明しようか……」
「要は死にたくなかっただけってこと?」
「いや、それは違……いや、違うのか、半分正解ってところか?」
「何で自分も分かってないのよ」
二人は追っ手のことを忘れかけていた。
憂哲が自分のことにも関わらず悩み続けていると、
「でも……理想の死に方って言うのかしら。ただの一般人が、そんな死生観を持ってるなんてね」
リリスがどこか呆れた顔で話し始める。
「お前にもあるのか……俺みたいなの」
「そうね……私の理想は……『絶望だけが残る死』かしら」
予想外の返答に、憂哲は思わず戸惑ってしまう。
「え? なんで?」
「私は生まれた時からマフィアだった。その時点で、いつ死んでもおかしくない世界で生きる運命なの。仲間が死ぬところを何度も見てきた。でも気付いた時には、彼らの顔も名前も忘れるようになった。その中に、ボスの娘である私を守る為に死んだ仲間もいたのにね。そんな私に幸せになる価値なんてあると思う? ないでしょ? だから何一つ報われない絶望的な最期じゃないと、自分自身を許せないの」
「お、おう……そうか……」
リリスは不意に俯き、その長い黒髪で顔を隠した。
「……矛盾してるわよね」
「え?」
「自分では『絶望しか残らない死』を望んでるのに、実際は死ぬのが怖くて、今日も仲間を犠牲に逃げて、今こうして理想の死に方を語っているのよ。ホント、自分が情けなくて息が詰まるわ。……貴方もそう思う?」
「……まさか」
憂哲は全くそう思ってはいなかった。
むしろ途端に申し訳ない気持ちになった。
いつ死んでもおかしくない世界──それは裏社会のことなのだろう。ボスの娘ならば、自分から望んだ訳ではないのに、そんな辛い日々を送っていたのか──、
「それでいいんじゃないか」
「……え?」
「俺だって死にたくても、理想の死に方じゃないからって生きてんだよ。それでお前やグシオンさんにとんでもない迷惑を掛けてたけど、だからって死ぬつもりなんてさらさらねぇよ。そんな理由で死ぬことの方が、俺はずっと迷惑な気がするからな」
その時、今まで静かだった夜風が忙しく吹いて、
「……多分だけど君は『死にたい』んじゃなくて『生きたくない』んだよ。だから自分のことを矛盾してるって勘違いしてるんじゃないか?」
木っ葉はパラパラと舞い散る。
彼女は黙っていたが、その目がゆっくり見開くのが、その黒髪の隙間から見えた。
突然、憂哲の声色が変わった気がした。それだけじゃない。
今まで「お前」と言っていた彼が、何故か「君」と呼称したのだ。
その変化に困惑するほどの違和感を覚えたが、
「『死にたい』と『生きたくない』ってどう違うの――?」
彼女がそう訊ねるや否や、
「……は? 知らねぇよ。急にどうした?」
憂哲の声色が元通りになっていた。
それを当の本人は気付いていないようで、
「貴方……何を言ってるの?」
「それはこっちの台詞だよ。……まぁいいや。とにかく生きろ。境遇が辛いからって死のうとするな」
「……」
彼女は鋭い眼で憂哲を正視する。
「……何だよ」
「前々から思ってたけど、貴方って随分な変わり者ね」
「そうか? 俺からしたらお前も大概だぞ」
「私は仕方ないじゃない。マフィアだもの」
「そのマフィアを理由にするの、重たくて突っ込みしづらいから止めないか?」
いつの間にか、二人は気兼ねなく話せるようになっていた。
「それにしても、このまま林の中を彷徨っていても意味がないわ。早いところ別動隊と合流しないと――」
「おい、アレを見ろよ」
憂哲が怪しみながら指を差した。
その方向の先には、この真夜中にはそぐわない複数の明かりがあった。
それらは不規則な動きを見せ、それが二人の警戒心を強める。
「言ってた別動隊……ではないよな?」
「そうね、そもそもこんな中から探し出すとは思えないわ」
追手はすでに彼らの近くまで迫っていた。
虚構のフィロソフィア @NAGANO24
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