第3話『弱者を笑う夜』
4月21日、16時48分――。
私立西条高等学校の職員会議にて、
「1年A組の閏間 憂哲くん、そしてリリス・テオロジアさんが行方不明となって3日が経ちました」
先生の一人が話し始めた。
「しかし未だに見つかっていません。先週の金曜日、閏間くんが家に帰っていないと保護者から連絡を受け、警察が近隣の住民から聴き込みましたが、誰一人目撃していないと……」
「閏間さんとリリスさんが同じ日に行方不明になったんですよね? リリスさんが何をしていたか分かっていないんですか?」
「彼女は授業に出席していましたが、放課後に図書室で本を借りて以来、どこに行ったのか分かっていません」
「学校の防犯カメラはどうなっていたんですか?」
「それが、わずか数分間だけ映像が切られていました。もしその時間内に二人に何かあったとしたら……何らかの犯罪に巻き込まれた……のかもしれません」
「誘拐……かもしれません」
「そうでしょうが……分かりません。もしかしたら、閏間くんがリリスさんを誘拐したとも考えられますし……」
「防犯カメラを止めることなんて、彼にできたのでしょうか……?」
「……」「……」「……」「……」「……」
先生は沈黙を貫いてしまった。
不審な点がたくさんあって、そもそも彼らは犯行に巻き込まれたのかさえ不明瞭なままだったからだ。
「……困ったな」
すると今まで静聴していた学長の
「閏間 憂哲、いや月影 憂哲が行方不明になったせいで、彼が本当に殺人鬼だと見做す一般人が増えてしまった。このままでは、我が校の評判は下がり続けかねない。『犯罪者を生んだ名門校』……不合理な言葉だが、世間ではそう受け取られるだろうな」
この懸念は、多くの先生が感じていたことだった。
現代は怖い。今やインターネットであらゆる情報、意見を共有できるようになり、大勢の人間が一つの話題に喰らいつく社会なのだ。
月影家殺害事件は、まさにその一例と言える。
未だに犯人が捕まっていないのも彼らにとっての魅力かもしれない。
だが何よりも、「その犯人が月影家の長男だったら」という空想が、彼らの関心を駆り立てていた。
彼らは真実などを求めていない。そっちの方が「面白い」から、唯一の生存者さえ貪るのだ。
「こうなれば……我が校が彼とは無関係だと大々的に知らしめる必要があるな」
周囲にざわつきが起こる中、常盤学長は断言する。
「もし閏間 憂哲が明日の授業に参加しなかった場合、彼を強制的に退学させる」
忘れてはいけないが、憂哲の通っているのは私立学校。
公立高校と違うこと、それは営利的な目的──つまりは多くの生徒から充実した教育を与える代わりに金を稼ぐことにある。
将来的な経営難に陥るのであれば、それ相応の決断も下さなければいけない。
「ちょっと待って下さい! まだ彼が犯人かも分かっていないんですよ!?」
この判断に抗議する女性教員がいた。
彼女は憂哲やリリスが配属された1年A組の担任だった。
「それはあの一家殺害事件のことを言っているのですか? それとも今回の事件のことですか?」
何故か丁寧語で質問を投げ掛ける学長には、彼女が噤むほどの絶妙な圧があった。
「百歩譲って、あの殺人事件の犯人が彼ではなかったとしよう。だが今回はどうでしょうか? 聞けば、彼は行方不明になる前まで、随分な嫌がらせや誹謗を受けていたそうじゃないか。それが彼の精神が崩壊する理由となり、無関係なリリスさんを拐った……そう考えることもできますよね?」
「ですが……それもまた同じです。彼が誘拐犯と決めつけるのは……」
「だったら何ですか? 彼女が彼を拐ったのですか? 何の為に? どうやって? 説明できるものならしていただきたい」
「……分かりません」
その女性教員は反論できなくなっていた。
「問題ありません。明日彼がいつも通り通学したら、その時に事情を聴けばいいのです」
「……ッ」
明日彼が来るという保証はないのに──彼女はそのことさえも言うことができなかった。
そんな時、彼女の隣にいた一人の先生が、
「きっと戻って来ると思いますよ」
突然そんなことを言い出した。
無論注目が一気にその先生に集まる中、彼は会議の場に不相応な笑い声を上げるや、こう告げた。
「だって、生徒を信じることが教師の役目でしょう。だから私は、閏間くんが二つの事件の犯人だと一切思っていません」
すると常盤学長が鋭い目付きで静かに睨む。
「随分と生徒想いのようですが、あまり身勝手な発言は慎んでいただきたい」
「機嫌を損なわれたのであれば申し訳ありません。ですがこれだけは理解していただきたい」
すると先生は三日月ができるほどの口角を上げた。
「生徒とは、いつだって教師の理解を超えた行動をする生き物なのです」
会議はそれ以上の進展を見せることなく終わった。
◇◼︎◇
同日、午前1時44分──。
「グシオン、急いで」
その合図と同時に、車は一気にスピードを上げた。
三人の乗っている車は、深い森を潜り抜けたところで、そのまま林道を疾走する。
不気味なほどに真っ暗な夜が、彼らを見下ろしていた。
「アイツ等は何者なんだ? 仲間か?」
心の中では分かっていても、憂哲はそう訊ねた。
「いえ、あれは名の知れたテロリスト集団よ。もっと言えば……貴方の家族を殺したのもソイツ等よ」
「……は?」
その発言に、思わず開いた口が塞がらない。
時間がゆっくり進んでいるような感覚に陥った。
目の前に犯人がいるという混乱、目の前に猟奇的殺人鬼がいるという恐怖、ソイツ等に対する怒り、そしてソイツ等を許せない──と心の底から沸き起こる殺意。
彼女の言葉を噛み締めるほど、彼の感情は徐々に黒く、しかし明確なものに変わっていく。
だが次の瞬間、
「伏せて!」
そう叫んだ直後、車窓のガラスが勢いよく破裂した。
憂哲は反応に少し遅れるも、リリスが咄嗟に彼を覆うように伏せたおかげで無傷で済んだ。
「リリス様、憂哲様、手荒くなります。ご注意を」
するとグシオンが冷静かつ大胆にハンドルを動かし始める。
当然車内は騒がしくなるが、今の奇襲から畳み掛けるように、一台の車がこちらまで突っ走ってきた。
やはりその上には、拳銃を構える人の姿があった。
だがグシオンはそれを逆手に、その車を横から攻撃する。
唐突な仕返しに相手の車はコントロールを失い、その間に距離が生まれる。
しかし他の数台の追手が、未だに三人を脅かし続ける。
「この短時間でここまでの兵隊を……?」
リリスがそんな独り言を呟く。
しかしこの後、彼らにとって予想だにしないことが起こる。
「おい、あれって……」
憂哲は伏せていた状態から顔を上げていた。
そして彼は、こちらに向かって拳銃を構える二人の人物を目撃する。
「……先を回られたようね」
同時に、無数の弾丸が前方に砲発される。
瞬く間にフロントガラスは砕け始め、数発ほどが貫通して補助席などに当たる。
だがグシオンは怯まずアクセルを踏む。
段々と余裕を失った二人は、止むを得ずその車の突進を躱してしまう。
これにより、彼らは幸いにも車内で蜂の巣にされる危機から脱却してみせた。
だが背後からは依然として車が追っかけてきている。
しかも車はもう傷だらけだ。次襲撃にあったら、間違いなく機能しなくなるだろう。
そんな時、
「どうやらここまでのようです」
グシオンがそんなことを告げ出した。
「何を言ってるの、グシオン?」
リリスが問い出すが、グシオンは突然ハンドルを勢いよく回転させる。
シートベルトを外していた二人は、その力に抗えず、リリスのいた右側の座席へと押し出されてしまう。
そして車は林道を遮るように、盾になるかのように、その場で急停止した。
「私がここを食い止めます。お二人はなるべく遠くへ」
「は? ……嘘だろ?」
グシオンの唐突な指示に、憂哲は狼狽える。
「あんな人数、しかも銃を持ってる奴らに敵う訳が──!」
「分かったわ」
すると彼の否定をかき消すように、リリスが彼の提案を許可した。
「お前……何を言って?」
憂哲は分かっていた。
突然車を停止させたのは、自分とリリスを逃がす為で、グシオン自身がその犠牲になろうと……だがそれを、彼女も把握しているようだった。
「貴方は私達の心配より、自分の心配をしなさい」
彼女は一見確固たる想いを宿しているように振る舞うが、その表情からは微かにやるせなさが残っていた。
「やるからには最善を尽くしなさい」
「かしこまりました。銃弾を食らわないよう、しゃがんで移動して下さい」
そうして二人とグシオンは車を壁に右側の座席から降りるが、グシオンは懐から拳銃やら閃光手榴弾を取り出し、その場で迎撃態勢に入る。
二人は言われた通り、被弾しないよう腰を屈めて車から遠ざかっていく。
後ろでは土砂降りの弾丸に交え、視力を奪うほどの眩い光が放たれていた。
その間、憂哲の中では、
(これで良かったのか……)
そんな解せない気分に引っ張られていた。
月影家……ひいては俺の為に、どうしてここまで危険な判断を下すのか、どうして迷いなく受け止められるのか。
彼らにとって、このくらいの絶望は当然なのか?
だとしたら……俺は一体何だ?
家族を殺されて、誰も味方がいなかっただけで、自分を見失っていた俺は、どれほど惨めなことか。
もしかしたら、俺と初めて会った時、コイツは内心見下していたのかもしれない。この程度で自暴自棄になっていた俺に、呆れていたのかもしれない。
俺は、ここまで心の弱い奴だったのか──。
「――ん? 月影くん? ねぇ聞いてるの?」
暫くしてリリスが呼びかけていることに気付いた。
「あぁ……問題ない」
それに憂哲は重たげな口調で応答した。
「このまま林道を行っても意味がないわ。林に隠れるわよ」
グシオンの城壁が崩されるのは時間の問題だった。
憂哲はそれを察して頷くと、リリスは漆黒の溶け込んだ林の中へと向かい始める。
そして彼も向かおうとした、その時、
ドカァン──!
少し遠くから爆発が聞こえた。
その轟音に反射的に背筋が凍る。
状況を確かめたかったが、その恐怖と焦燥感に突き動かされるまま、決して振り返ることはなかった。
前進しろ──。
そう激励するかのような轟音が暫く耳の中に残っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます