第2話『止まることなど知らない』

「──月影くん、起きなさい」


 名前を呼ばれているのにも関わらず、憂哲は寝たフリで無視していた。


(なんでアイツがいるんだよ……)


 目を瞑っていても分かる。

 その鬱陶しいくらいに可憐な声が、彼にとっては不幸を招く悪魔の囁きだった。


「はぁ、仕方ないわね……」


 ソイツは突然喋らなくなった。

 だが直後、カチッ、カチッ、カチッ、──と、危なげな音が鼓膜を震わせた。


「おいおいおい、それだけはやめろ!」


 それが憂哲の脳裏に危険信号を迸らせ、そのまま彼を起こしてしまう。


「……何のことかしら?」


 眼前には例の少女がいた。

 だが彼女の手には折りたたみ式の定規が握られていて、


「机に置きっぱなしだったから片付けようと思っただけなんだけど」


 そう言うと、作業机の引き出しの中に入れてみせた。

 憂哲は(完全にしてやられた――)と言わんばかりの顔で見つめていた。

 カッターナイフの痛みを知っている自分を無理やりにでも呼び起こす、狡猾な罠にはめられたことを理解したのだ。


「……紛らわしいことするなよ」


「勝手に勘違いしたのは貴方の方でしょ?」


「……っ」


 その正論に、憂哲は何も言い返せず、意地悪く彼女から視線を逸らす。

 だが暫くしてから、自分の予想していなかった事実に気付かされる。


「ここは……どこだ?」


 そこは学校の保健室でも、病室でもなかった。

 全体的に薄暗いインテリアに、赤いカーペットやら多くの観葉植物で装飾されていて、その天井にはシャンデリアが吊るされている。

 しかも満身創痍の自分は、いかにも高級そうなソファで横たわっている。


 その光景に驚きを隠せなかった憂哲だったが、


「私の部屋よ」


「なるほどな……今何て言った?」


「私の部屋よ」


「は!?」


 少女の衝撃的な発言に、さらに混乱してしまった。


「貴方、思ったよりも怪我してたし、保健室に運んだら色々と面倒だし。だから貴方を私の部屋まで運ぶことにしたのよ」


「おいおい何だよそれ……」


 少女は淡々と説明してくれたが、かえって憂哲を困らせた。


「運んだってどういう……っていうかそもそも、君は一体誰なんだ?」


「はァ……まぁいいわ、どの道いつかは話すつもりだったし」


 少女は溜息を吐くと、仕方なさそうな顔で答える。


「私の名前はリリス。貴方と同じ1年A組の生徒よ。よろしく」


「リリス……? 変わった名前だな」


「本当なら始業式にあった自己紹介の時点で知ってることよ」


「生憎と、自己紹介で他人の名前を覚えたことはない」


「そうでしょうね……でも今は、そんなことを話している場合ではないわよ、月影 憂哲」


 するとリリスは、憂哲の名前を口にした。


「あの時も、さっきも俺のことを『月影』って言ってたよな。……何で本当の苗字を知ってるんだ?」


 これが何気に彼の一番知りたい疑問だった。

 するとリリスは先程の机から紙束を取り出し、そのまま憂哲の前に差し出した。

 そこには以下のように書かれてあった。


 ──


 月影 憂哲

 誕生日 2009年 11月12日。出身 神奈川県 横浜市

 父 月影 将兵と母 月影 咲羅の間で生まれ、次男 月影 泰平が生まれたのを理由に、2014年 7月中に、東京都 江戸川区へ転居

 

 2015年 4月8日、江戸川区小中一貫校 安芸河内アキコウチ 学園に入学

 入学当初より成績は徐々に下落 一時期は週に平均4回の不登校

 

 2023年 10月21日、 私立西条高等学校の文化祭に参加

 2024年 6月22日、私立西条高等学校オープンSスクールに参加

 私立西条高等学校を第一希望に決定

 体育祭や文化祭等の学校行事に不参加、11月以降における出席日数は1日のみ

 2025年 1月11日、一次試験(面接試験)受験

 2025年 1月18日、一次試験合格

 2025年 2月25日、二次試験(筆記試験)受験

 2025年 3月14日、二次試験合格


 同日、月影家殺害事件 発生――


 被害者

 父 月影 将兵(43)、母 月影 咲羅(40)、

 長女 月影 愛(13)、次男 月影 泰平(10)


 死亡推定時刻

 12時 42分


 死亡理由

 ナイフで刺されたことによる臓器損傷、および出血多量

 

 猟奇的殺人鬼による犯行か、犯人は未だ逃走中

 長男 月影 憂哲(15)を容疑者と推定


 月影家殺害事件 発生後、

 『#月影家』でSNS上の注目を集め、月影 憂哲が犯人とみなすユーザーが拡大

 住所の特定、ポスター等による嫌がらせ、動画配信者による迷惑行為、さらに近所からのクレームが相次ぐ

 2025年 3月21日、『江戸川区NPO法人 晴れの園』の所長 閏間 謙三ケンゾウが月影 憂哲を引き取り、閏間家で生活する

 この時点で、月影 憂哲の姓は『月影』から『閏間』に変更される

 2025年 4月 10日 月影家の葬式に参加、参列者は6名

 2025年 4月18日(金) 午後15時に取り調べ予定


 ――ざっと自分のことについて簡潔に、しかし丁寧に書かれていた。


「……自己紹介でこんなに喋ってないと思うが?」


「手間暇かけて調べたのよ。で、これで疑問は解消した?」


「いや、まだだ」


「……あんまり話している余裕はないのだけど、他に何か?」


「他に何か? ……じゃねぇよ! 普通の高校生がここまで調べ上げられる訳がないだろ! しかも最後のやつなんて――!」


 その時、憂哲は言葉を失ってしまう。

 途端に沈黙してしまった彼に対して、リリスは首を傾げる。


「どうしたの?」


「この取り調べってやつは本当にあったのか……? この日に」


「ええ、そこに気付いてくれるのなら、まだ貴方のことを評価できるわね」


「4月18日って……まさか」


 その日付に、彼は覚えがあった。


「ええ、私と貴方が初めて会って、貴方が階段から落ちた日ね」


「その日に取り調べをする予定だった? ……あれから何日経ったんだ?」


「三日よ。そこに気付いてくれたおかげで、説明する手間が省けたわ」


 すると憂哲はその表現に違和感を覚えた。


「……まるで時間が無いみたいな話し方だな」


 あの日が金曜日ならば、その三日後は月曜日だ。

 本来なら通常通り学校に行かなければならないのだが、


「詳しいことは後で話すわ。それより……」


 リリスは即座にスマホを取り出して、


「グシオン、準備はできた?」


 誰かに電話し始めた。すると彼女のスマホから「えぇ、車の準備はできております。問題ありません」と紳士的な口調の人物からの返事が届いた。

 それが聞こえるや否や、リリスは真っ先に憂哲の手首を掴んで、


「行きましょう」


 その一言だけ告げて、一気に走り出した。

 何の前触れもない行動に慌てながらも、憂哲は状況を察して、速度を合わせる。

 西洋的な内装の部屋から出た後、二人は長い廊下を駆ける。そこでもやはり芸術性の高い装飾が施されていて、ますます彼女のことが気になった。

 そうして廊下を抜けると、玄関前で一人の偉丈夫が立っていた。


「リリス様、お待ちしていました」


 その男性の声は、あのスマホから聞こえたそれと一緒だった。


「なぁ、これから何があるんだよ?」


「いいから乗って! 早く出ないと捕まっちゃうわよ!」


「は!?」


 リリスは玄関の先で用意されていた黒色の高級車に乗った。

 続いて憂哲が車に乗ると、


「早く行って!」


 彼が半身だけ中に入ったのを確認すると、その命令通りに、グシオンと思わしき人物がエンジンを起動させる。

 そして豪速で駆け出した――その数秒後だった。



 ドカァァァァン――!!

 


 凄まじい爆発が轟いた。

 車窓のガラスを割らんばかりの爆音と赤橙色に煌めいた熱風が、車の背後から襲い掛かる。


「おいおいおいおいおいおいッ!!」


 憂哲の下半身が外からはみ出たままだったが、車は勢いを落とさず、むしろ脱兎のごとく加速する。

 しかし火炎の猛犬は、すでに足元の際まで迫り切っていた。


「何してるの!? 早く!」


 そこでリリスが憂哲を力強く引っ張って、扉を閉めた。

 そうして完全に中に入った彼だったが、度重なる衝撃のせいで暫く喋れなかった。

 

「危なかったわね。やっぱり向こうの拠点にいた方が良かったかしら」


「どうでしょうか。相手がどこまでの戦力を用意しているか、我々には分かりかねません。これが一番の策かと」


「別にフォローしなくて良いわよ。私が決めたことだし」


 爆発に巻き込まれる脅威がなくなった頃、グシオンとリリスが喋り始めた。


「取り敢えずは、第一関門突破ってことでいいかしらね。グシオン、第二拠点との連絡は?」


「すでに済ませております。あと十分後で到着予定です」


「流石ね。……月影くん、大丈夫?」


(さっきまで危険な状況だったのに、どうしてこうも冷静でいられるんだ……?)


 憂哲はまだ声に出せなかったが、リリスはその血走った眼から、


「大丈夫そうね」


 そうニヤリと呟く。


「……どこがだよ」


 少しだけ時間を置いて、憂哲が口を開いた。

 するとリリスは彼の身体中を見回した後、


「傷は開いてないみたいね。あの階段から転げ落ちたのに、思ったより回復が早いのかしら」


「さぁ、何でだろうな。不幸中の幸いだったんじゃね?」


「……本当にそうかしら?」


「あ? ……いやそんなことより、さっきの爆発は何だったんだ?」


 リリスのおかげか、憂哲は会話に参加できるほどには落ち着いた。

 すると彼女が隣の車窓に目を移すと、


「私達はね、貴方を助けに来たの。月影家の生き残りである貴方に、私達は恩を返しに来たの」


 その言葉に、憂哲は「は……?」と返してしまう。


「何を言ってるのか分からねぇ。ただの一般市民だぞ」


 すると、リリスが急に黙り込んだ。

 彼女の車窓を眺める姿は、妙な緊張感を走らせた。


「おい――」


「詳しい話は、また今度になるわね。グシオン、急いで」


 憂哲は気になって、彼女の視線をなぞるように見つめる。

 そこには数台の車と、その上で、拳銃を構えた複数の人間達がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る