第1話『堕ちる少年』

 一ヶ月後──、


 中学生の頃とは違い、高校では7時限まで授業がある。

 どの授業も退屈しないが、その内容はどれも重要なものばかり。居眠りなんてすれば、すぐさまに置いてかれる。


 そのプレッシャーに押し潰されそうになりながら、憂哲は今日も授業に取り組む。


 そして自分の苦手科目である国語を乗り越え、その日の授業は終了した。

 終わりのミーティングを聴き終えると、クラスメイト達はザワザワと話しながら教室を去っていく。


 本来なら自分も帰るところだが、


「はあ……」


 憂哲は体調が悪そうに席に居座った。

 

 睡眠はしっかり取っている。朝ご飯は食べない時はあるが、その分安い学食で間に合わせている。

 にも関わらず、何故か日に日に疲れが溜まっていくのを感じていた。目下にはクマができ、最近ではバッグを持つのも一苦労だ。


(帰りたくないな……)


 出来ることなら、この学校で寝泊まりしたいくらいだった。


(何も盗まないから、どこにも行かないから、ただ教室で過ごしていたい。ダメだけど……いつかやってみようかな)


 だけど今だけは、時間が許すまで静かに教室で過ごそう──と憂哲は、右頬を机に乗せるや、窓を眺め始める。


 その目に映るのは広大なグラウンド。

 そこではサッカー部と野球部、その周りでは陸上部が、曇り一つない青空の下で、一生懸命に練習していた。

 皆が部活やら何やらしている一方で、何もしていない自分に嫌気が差していく。


(ほんと、何してるんだろ……)


 やがてその景色さえも辟易するが、彼はいつの間にか眠りに落ちていた。



   ◇◼︎◇



 月影家殺人事件。

 2025年3月14日、何者かが月影家に不法侵入し、月影 将兵ショウヘイ(父)、月影 咲羅サクラ(母)、月影 アイ(長女)、月影 泰平タイヘイ(次男)を凄惨に殺害した。


 父と次男は顔を八つ裂きにされた上に鳩尾を貫かれ、母親と長女の方には、胸に二十箇所以上の刺し傷が確認された。

 死亡推定時刻は12時42分。

 長男の月影 憂哲はその25分前に、ICカードで自宅の最寄り駅の改札を通ったことが分かり、その時間内であれば殺人の可能性は否めないと推測された。


 しかし警察は犯行に使用した凶器(刃物)を発見できていないことと、犯行に至った経緯が不明瞭であることを理由に、長男を現時点で逮捕するのは難しいとされた。


 長男は容疑を否認しているが、具体的なアリバイは証明されておらず、彼の居住している地域および近隣の地域は、警察が事件解決まで捜査されることになった。


 現在も殺人犯は見つかっていない。


 ──


 先週の木曜日、憂哲は葬式に参加していた。


 参列者は異様なほど少なかった。

 まるで彼以外にいないようだった。あまり両親のことを知らずにいた為、親戚や祖父母などが参加しなかったのはかなり驚いた。


 それでも葬式は順当に進んでいき、気付けば家族の顔を拝む時間になった。


 約三週間ぶりの家族との再会である。

 それまでの期間は、警察やら記者やら、その他の迷惑な輩を処理するのに忙しかった。

 そして彼は、最初に父親と弟の棺に歩み寄ったが、


(やっぱり……)


 彼らの顔を見ることはできなかった。

 何者かによって八つ裂きにされた顔を見せる訳にはいかなかったのだろう。

 彼らを覆った白い布に、かえって心が締め付けられた。


(父さん、まさか貴方のような強い人が亡くなるなんて。あの世で僕を見守っていて下さい。泰平、肝心な時にいなくてごめん……怖かったよな。お前に酷いことする奴はもういないから、安心してくれ……ごめんな)


 次に隣で安眠している母親と妹を見つめていた。


 彼女たちの顔を拝んでいると、その顔が無事であることに安堵すると同時に、堪えられなくなった。


(母さん、僕が「最難関の名門校に行く」って言った時、否定せずに受け入れてくれたよね。そのおかげで、あの名門校に合格できたよ。ありがとう。──愛、ごめん……約束を守れなかった……ただお前が喜ぶ顔が見たくて、真っ先に合格したことを伝えたかったのに、こんなの……あんまりだ……畜生)


 自分の家族を殺した犯人は、猟奇的殺人鬼に違いなかった。わざわざ男女で異なった、惨たらしい殺され方だったからだ。

 そんな外道が、普通に生活していただけの家庭を無茶苦茶に壊しやがった。

 彼女たちの顔を見ると、その時の憎しみが蘇った。


「どうして……こんなことに」


「アナタノセイヨ」


 そんな声が聞こえた。

 憂哲はそれに聞き覚えのある気がして、咄嗟に棺の方を見ると、


「アナタノセイヨ、アナタガ助ケテクレナカッタカラヨ」


「愛……どうして」


 死んだはずの妹が、勢いよく彼の手首を掴み、そう語り掛けた。

 そこに一切の喜びはなく、背筋が凍るほどの衝撃が迸る。


「僕タチ、フツウニ生活シテタダケナノニ」


「アナタガ死ネバヨカッタノニ」


 すると皮切りに、胸をズタボロにされた母も顔を刻まれた弟も、唯一生き残った長男に対する私怨をボソボソと呟きながら、その棺から音もなく起き上がる。

 そして動けずにいた憂哲の背後から、


「お前が死ね――」


 そう言って父が拘束すると、憂哲はいつの間にか設置されていたもう一つの棺まで連れて行かれた。


「みんな……どうして」


 憂哲は全く状況を飲み込めなかった。

 彼らの怨言はますます大きくなり、「やめて、やめて……」と正気を失った少年の声を飲み込む。そして終いには彼を棺の中へ閉じ込めようとした。


(助けられなくて、自分だけが生きて……ごめん)


 憂哲の頬からは涙が垂れて、死んだ家族から責められることの苦しみでもう限界に達していた。

 そんな時だった、


「目を覚ましない」


 何者かの声が聞こえた直後、彼の右手が異常な痛みを感じ取る。

 

「痛ッッた!!」


 憂哲は即座に目を覚ます。

 右手から脳に焼きつくほどの痛みが伝わった。異変に思って確認すると、思わず彼は瞠目した。

 何故かカッターナイフが刺さっていたのだ。

 そこからドクドクと臙脂色の鮮血が流れているのを見て、憂哲は当然焦った。


「何だよコレ……」


「私が刺したのよ」


 憂哲は反射的に後ろを振り向く。

 そこには、一人の少女がいた。


 艶のある黒い長髪に、夕日に照らされた特殊な髪飾り。その凛とした瞳は黒曜石のようで、それを見ているだけで引き込まれるような危うい魔力を宿していた。

 彼女は自分と同じ学校の制服を着ていたが、彼には全く覚えのない存在だった。


「誰だ?」


 すると彼女から返ってきたのは静かな教室に響くほどの溜息だった。


「元々他人に無関心な性格だとは思っていたけど、まさかクラスメイトのことを覚えていないなんて」


「クラスメイト……?」


 そんなことを言われたとて、憂哲は首を傾げるだけだった。

 これに彼女は呆れ顔で、


「……まぁいいわ。それより貴方、随分とうなされていたみたいだけど、嫌な夢でも見てたのかしら?」


「うなされてた? ……あぁ、別に何でもねぇよ」


 そこで憂哲は少し前の出来事が悪夢だったと理解した。

 そのことに胸を撫で下ろす彼だったが、


「君がコレを刺したんだって?」


「そう言ったじゃない」


「……なんで、そんなことしたんだ?」


「え、うるさかったから」


「お前イカれてんのか」


 そう強烈に突っ込んだ後、彼は自身の右手を見つめた。

 そこに刺さったカッターナイフは骨にまで行き届いていなかったが、流血は右手を真っ赤に染めつつあり、


「早く保健室に行かないと……」


 そう判断を下すと、憂哲は見知らぬ少女を無視して教室から離れようとしたが、


「待ちなさい」


「何? 今すぐに保健室行きたいんだけど」


 憂哲を呼び止めるや否や、少女はこんなことを訊ねた。


「あなた、『月影 憂哲』ね?」


 その質問に、憂哲は数秒間だけ沈黙してしまう。

 しかし彼女の方を振り向くことはなく、


「何言ってんだよ……やめてくれ」


 そう言い返すと、動揺のまま駆け足で教室から離れた。

 だが保健室までは長い廊下を渡った後、階段を四階分も降りなければならない。

 廊下を渡っている最中で、再び彼女の声が届く。


「学校での貴方の名前は『閏間ウルマ 憂哲』。だけど、本当の名前は『月影 憂哲』なんでしょ? そして貴方は、あの『月影家殺人事件』の生き残りよね?」


「ああ、もう何なんだよ!」


 どうしてた……どうして本当の名前を知ってるんだ?

 彼には真面に返事をする余裕を失い、その疑問を抱えながら廊下を疾走した。


「待ちなさい!」


 だが憂哲が階段を降りようとした直前、彼女は勢いよくその手首を掴み出した。

 それに彼も強く抵抗しながら声を荒げる。


「本当にッ、何なんだよッ、いいから放っておいてくれ!」


「私は、貴方に話したいことがあるの! それを聴いてくれたら、すぐに離れるから!」


「だから、いい加減にしろよ──ッ!」


 その時、憂哲が強引に彼女の手を振り解いたが、階段を降りる手前で自身の体勢を崩してしまう。

 そしてそのまま、憂哲は階段から転げ落ちた。


 ドタッ、ドッ、ドッ、ドダッ、ドダッ!

 不快な鈍い音を鳴らしながら、十数段先の踊り場まで哀れな少年は転がり続けた。

 体の節々が激痛を訴え、頭が猛烈に揺れるのを感じていた。さらに酷かったのは、あのカッターナイフがより深く刺さっていたのだ。


 自分が今どういう状況なのか、身体を起こしたくてもそれができずに、ただ天井を仰ぐ。彼の意識が朦朧としている中、


「……これは長い関係になりそうね」


 そんな不服そうな少女の発言が聞こえたのだった。

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