0031 二日目の夜


 夜中。


 屋根裏部屋。


 十桜は、うつらうつら船を漕ぎながらパソコンのモニターを見ていた。

 鼻の穴から、膨らんだりしぼんだりするものがちらり。


「スー……スー……」


 もう少しで鼻提灯ができそう。


「あがっ……」


 できなかった。


「……ズーッ、ズッ……」


 鼻をすすってしまった。


 十桜は、睡魔に抗い“無限分裂増殖スライム”情報を調べていた。

 しかし、大した収穫はなかった。

 ソイツを倒した自分が、一番ソイツのことを知っているのだ。

 ただ、あの“赤い石”のことは知らないし、ものすごく気になっていた。

 だが、ネットではなにも上がってこない。

 

 代わりに、自分の知っている化物スライム情報を書き込もうとした。

 しかし、その現場を離れるときのことを思い出した。


『……え?……まさかァ……彼がぁ!? ……ちょっと、きみぃ! 三日月くんッ!』


 十桜は三徳副部長に呼び止められた。

 副部長は女剣士に事情を聞いたらしい。

 それで十桜の話が出てきたのだ。


 もちろん、十桜は聞こえないふりをして莉菜とその場を去った。


 件のスライムのことを書き込めば、それが匿名だとしても、

 十桜は更に怪しまれ、自分に特殊なものがあると疑われるにちがいない。

 そういうわけで、情報を出すのは控えた。

 少し心苦しくはあったが。


 ――ガタッ


「……おうッ……!」


 ガクンと横に倒れそうになった。

 もう落ちる寸前。


 仕方がないので、ベッドに移動しようと動いた。

 床を這いずる。


 うつらうつらと這いずる。


 だめだ。ここで力尽きそうだ……


 そう思ったその時、


 ――とんとんとん

 

 床扉からノックがして、声がかけられた。


「……十桜せんぱい……おきてますか……?」


 その声は、


 青空市場が夜になって、ちいさな灯りがともされた。

 そんな感じがした。

 

 莉菜は、二階のそらの部屋で寝ているはずなのだが……   


 床に倒れていた十桜は、ふおッと目が覚めた。


「……どうした?」と聞くと、


「はいっても、いいですか?」と聞こえるぎりぎりの声が返ってきた。


 十桜は床から這い上がると、

 行灯をつけ、床扉を開けて彼女を迎えいれた。

 とりあえず、

 莉菜を座布団に座わらせると、彼女は眉をハの字にして、


「今日も、お願いしてもいいですか……?」


 そうたずねてきた。






 0031 二日目の夜






 十桜はため息をついていた。

 彼女は昨晩と同じように、頭を撫でられながら眠りたいのだろう。


「くせになっちゃうよ?」

「……くせになっても、いいですか?」

「くせになっちゃダメでしょう……」


 十桜は彼女の質問を否定した。

 しかし、目の端の傷痕をポリポリかきながらこたえる声色は、やわらかなものだった。

 彼女は、バカな“計画”を阻止してくれた恩人なのだ。

 完全には断れない。


 莉菜はずかしそうな顔になった後、「ダメですか……?」と眉をハの字にしていた。


 その顔をみた十桜に、今朝の、来客とのやりとりが思い起こされる。


(まあ、ご褒美かなあ……)


 莉菜にとって、まあまあキツイことがあった日に、

 部屋からおっぽり出すわけにもいかなかった。

 撫でるくらいはしてあげてもいいはずだ。


(……いや、俺が感謝する方か……)


 そう、莉菜へのご褒美というより、

 莉菜から受けた恩恵を返すという意味の方がつよいかもしれない。

 彼女のおかげで、ソロだったらできなかったことが沢山できた。


 二人でモンスターと戦うのが想像以上に楽しかった。

 付与呪文も経験できた。

 女性専用装備も無駄にならなかったし、

 おしゃべりしながらお弁当を食べられた。

 なにより、化物スライムを倒すことができた。

 そして、ピンチの冒険者たちを救うことができたのだ。


「しょうがないなあ~……」


 十桜はふざけた感じでそう言った。照れ隠しだ。


「いいんですか? あたし、なんでもします……!」

「じゃあ、おれを尊敬して尊んで尊重していたわってこんどは足でも揉んでくれ……」

「もう尊敬してますよぉ」


 莉菜は口をとがらすようにいった。


「ああ、ありがとな」

「えへへ……じゃあ、どこでしましょうか?」

「え?」

「足のマッサージ」

「いや、冗談だよ」

「え? そうだったんですかぁ」

「そう、さすがに足はいいよ」

「でも、しましょう!」

「ええっ……?」

「りなはなでなでしてもらうんですから。フェイス・トゥ・フェイスです」

「ギブ・アンド・テイクだろ」

「あっ……」


 莉菜は顔を真赤にしていた。


「……じゃあ、せんぱい、お布団に寝っ転がってくださいぃ……」


 十桜は莉菜のいう通りにベッドで仰向けになった。

 そして布団をかけ、目を閉じて、


「おやすみ~」


 寝た。


「せんぱ~い! 寝ないでくださいぃ~……!」


 莉菜は肩をゆすってきた。


「せめて、りなをなでなで……」


 十桜は、ハッとなった。


 この女は、人のほっぺをつねることのできるタイプの女なのだ。


 もう、つねられたくない十桜は、

 布団をどけてまな板の鯉になった――



「――オオッおうっ……」

「ここですかあ……」

「あっ……」

「ここきもちぃですねー」

「あい……おうっ……」


 十桜は、あしのマッサージといえば太ももとかふくらはぎのヤツだと思っていた。


 しかし、


「おぅおおお~効きますね、うわっ……」

「んっ、んっ……効きますかぁ、んっ……」


 莉菜は最初から足つぼマッサージをしてきた。

 足の裏を両手で握るように押し込んだり、人差し指を曲げて第二関節の尖った部分でグリグリやったり……


「うっわっ……すごッ……いでッ……うっ……」

「うふふ……こってますねえ」

「んッ……わかるんですかぁ?」

「最近わかってきましたぁ」

「へ~すごい。成長なされてる」

「はい。やればできる子って静岡では評判なんですぅ」

「へ~……でもほんとーは?」

「わからないですぅ」

「しょーもない」

「あはははっ」


 莉菜は口をあけて笑って、すぐに、

 あっまずいっ

 という顔になって口元を隠した。


「それくらいはだいじょうぶだよ。ここの床はそこそこ分厚くて防音材も使われてるみたいだから」


 十桜がそういうと、


「んん~んん~~♪」


 莉菜は鼻歌を歌いだした。


「だ、だいたんな子供だ」

「りなは子供じゃないですぅ~」


 そういわれて、


 彼女のTシャツのたぬきさんを見た。


(たしかに……)

(いや、柄は……)


 胸の双子富士。

 否応なく、居間での出来事を思い出す。


『せんぱい、はずかしい、です……』


 莉菜の胸のたぬきさんとキスしてしまったのだ。

 そして、やわやわな部分に沈み込んでしまった。。。

 十桜は、思わず口を開いていた。


「あの……さっきは、ごめん……なさい……」

「え……?」

「いや、あの……下で……」

「……」

「あの、わざとじゃ、ないんです……ごめんなさい……」

「気にしないで、ください……りな、びっくりしちゃいましたけど……」

「すんません……」


 沈黙。


 からの、


「じゃ~あぁ……りなをぉ、いっぱいなでなでしてください……」


 莉菜の甘えた声。


「あ、はい……」 


 十桜は仰向けで布団をかけると、ぺろっと布団をめくった。


 彼女は中腰のヒザでとことこ歩いて横まで来ると、

 転がるようにして布団のなかに滑りこんだ。 


(大胆な動き……!)


 すると、


 ほぼ無臭の布団界に、

 花が咲いたかのようにふわっといいにおいがひろがった。

 胸とへその間に、布に包んだプリンのようなものがあたる。


(うオッ……!!)

(……ちかい……!!)


 十桜は、天国にいってしまいそうな魂をグッとおさえつけ、

 鼻先にある莉菜の頭にふれた。

 しなやかなでやわいさわりごこち。

 妹のそらを撫でてやるので慣れてはいるが、

 他人の、しかも、まだ現役アイドルの頭にふれているのだ。

 十桜は、なでなで二度目にして冷静になってしまい、


(くうッ……!!)


 莉菜に対して緊張していた。


 しかし、莉菜は、「……じゅうろぅしぇんぱい、きもちぃでしゅ……」


 すでにふにゃんとしていた。


 猫が腹を天井に向けて寝ているような状態だろうか。

 そこに、昼間の元気さや折り目の正しさなどは微塵も感じない。

 十桜は、自身の固くなった心身が撫でられたような気がした。


「あたし……きょう、がんばりましたよね……?」

「……ああ、ちゃんと言えたもんな」

「あ、今朝……あたし……せんぱいのおかげです……」

「ダンジョンの中でも外でもがんばったな」

「えへへ……じゅうろ……しぇんぱぃ……」


 昨晩、莉菜は母が強引にうちに泊めた。

 そして、今夜も三日月家に泊まった。


 もし、今日も母が熱烈にお泊りをすすめたとしても、

 莉菜の性格からして、二日連続のお誘いは断るだろう。

 しかし、彼女は今夜も十桜と寝床を一緒にしている。


 それには理由があった。


 時間は、ダンジョンに潜る前、


 今朝の来客時にさかのぼる――






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