0030 アイアンクロー再び


 ニッポン放送ォゥ ショウアップッナイタァァ


 食後、ガラス障子の向こうから聞こえるアナウンサーの声。

 じいちゃんのかけるラジオのボリュームはデカかった。

 店はとっくに閉めてはいるが、部分的に明かりはついていた。


「ハァ~……」


 ひとりだけの居間にため息がもれる。

 ラジオの音量のせいではない。


 空想マップを作る十桜は、頻繁にフ~とかハ~とか言っていた。


「ハフ~~……」


 下書きをなぞるサインペンがぐにょんと曲がる。


(あ~……なんか疲れたなあ……)


 バナナをかじる。

 ねっとりとした甘さが身にしみる。


 ちぎったバナナを、半分食べた大福のあんこの中に沈めてみる。

 ほおばる。

 

 バナナ大福だ。


(……ん~わるかないけど、バナナは温っためたほうが柔らかくなってあんことの親和性が高くなるかなあ……)

 

「ズズズッ」


 お茶をすする。


「ふぅ~~~……」


 そこに、


「十桜、バナナの皮ちゃんと捨てな!」


 顔面真っ白パックの母が現れた。


「ああ~……」


 生返事をすると、


「捨てなよ~」母はそれだけいって二階にあがった。


 バナナをかじる。

 バナナ大福をかじる。


「ズズズッ」


 お茶をすする。 


「ふ~~……」


 右目をつむり、その端を通る傷をさする。

 肌が裂けてへこんでいる周囲を、

 ボコッとした僅かな膨らみが縁取っている。


 両目をあける。


(……治らんなあ……)


 赤足の魔犬にやられた傷。


夏侯惇かこうとんとか憧れてたけどなあ……まさかなあ……)


 夏侯惇は三国志の武将だ。

 片目に矢を受けてその目を失明し、眼帯をしている。

 片目=隻眼せきがんに憧れたことはあるが……

 ダンジョン内限定とはいえ、まさか自分が隻眼になるとは……


(……けど、目眩を抑えられた……)


 でなければ、連続した戦闘での勝利はありえない。

 今日もモンスター、冒険者の強敵と戦った。


(……俺、運がいい方なんだけどなあ……)


 十桜のステータスにおける『運』の値は、

 レベル1の平均値よりもかなり高い。

 なのに、青白い眼を集中させないと戦えない猛者ばかり現れるのだ。

 たったの二日で、

 思い出して数えるのが面倒なほど。

 

「はぁ~」

「だいじょうぶですか先輩……?」

「ん、ああ……」


 莉菜が居間にはいってきた。

 彼女は食後、そらの部屋に行っていたのだ。


「あ、これ、助手のねこちゃんですか?」


 彼女は十桜のとなりで正座すると、模造紙のマップの端っこ、

 落書きで描いたハロウイーンみたいな助手の絵を指差した。


「ん、あぁ~」

「うふふっ先輩つかれてますねえ~」

「ああ、まあ、莉菜ちゃんは?」

「あたしもつかれましたけど、せんぱいの方が大変でしたもんね」


 そういうと莉菜は中腰になった。

 かと思えば、ヒザでとことこと背中にまわり、肩を揉んできた。

 昼間、ダンジョンでの約束をまもってくれるようだ。


「こってますねぇ」

「こってるとかってわかんの?」

「わかんないです」

「わかんないのかよっ!」

「えへへ、ふいんきです」


 肩をあるていどほぐすと、


「お客さん、こってますねぇ」

「そうなんす……ォォ、ウオッ……」

「えへへっ、きもちーですねぇ」


 ちいさな手で背中をもみほぐす。

 意外に彼女のマッサージは強めなので、変な声が出てしまう。


「ここがいいんですかぁ?」

「あっ……んん、あ……」

「うふふ、こってますねぇ」

「わかるんですかぁ?」

「わかんないですぅ」

「わかんないのかよォっおッオォ……」


 十桜はなんだか恥ずかしい……


「んしょんしょ……ん……ふぅ……きょう、ふぅ、せんぱいのおかげで、助かったひとがい~ぱいいましたね……すごいですせんぱい……!」

「ん……莉菜ちゃんこそがんばったでしょ。おおッ、俺ひとりだったら無理だった……というか、助けにいかなかったかも……」

「うふふっ、せんぱいは絶対に助けにきてくれます」

「いや、プレッシャー……」

「うふっ」

「俺より莉菜ちゃんの方がマジのヒーローだよ……」

「そんな、あたしなんて……先輩の肩にとまってる小鳥です」

「詩的だねぇ」

「えへへ……やっぱり、冒険者は人を助ける仕事なんですね……」

「冒険者が冒険者助けるのも、人にはちがいないもんな」 

「うふふ……」

「肩ありがとう」

「あ、いえ、お役に立てて……」

「俺、そんなにこってた?」

「すごくこってましたよ~」

「わかるんですか?」

「わかりません」

「わかれよ」

「えへへっ」


 それから、

 十桜が空想ダンジョンマップを描いてる間、

 莉菜は横でそれをずっと見ていた。


 退屈じゃないの?


 そう聞いても、


 たのしいです


 そういって彼女は十桜にほほ笑み、またサインペンの手元に目をもどす。 

 莉菜の笑顔や声に癒やされる。

 それと同時に、十桜の頭の中には、


 今後もあんなのが現れるのかなあ?


 というのがちらちらとあった。


「……おれ、前世で悪いことしたかなあ……?」

「するわけないじゃないですかぁ」

「そーかなー……」

「……りなとせんぱいはぁ……前世でどんな関係でしたかね? 仲良しでしたかね?」


 彼女は女の子座りしてにこにこしている。


 莉菜はまだ現役アイドル。きらきら。

 十桜はピカピカのかっこいい眼があるとはいえ、彼女もいない元ニート。


「豚と踊り子かなあ。いや、歌姫かぁ……俺が豚で、姫に飼われていて……」


 そう言ったとき……


 ぐにっ


「……あ痛ててでででッ……」


 両頬をつねられた。

 莉菜は怒ったかおをしている。

 なのに怖くない。むしろかわいい。


「先輩の意気地なしーっ!」


(ええェ~……!!)


「自分を大事にしてください!」

「ひゃあ離へ……!」

「いやです!」


 グイっ


「いたただだだっ……しぇんぱぁい……」



 0030 アイアンクロー再び



 十桜の鉄の爪、泣く子も黙るアイアンクローが決まった。


 昼間のダンジョン以来だ。

 食らった莉菜は、悲痛な声をあげている。でもかわいい。 

 一応、相手は現役女子アイドルで、二個下の18歳だ。


「はなせっ……」

「いやです……くぅ……」


 莉菜のファンが見たらボコボコにされそうなその現場に、


「もー、仲いいなぁ」


 一応莉菜ファンである、湯上がりの妹そらが現れた。

 

 まだ湯気がほわほわしている。


 うさちゃんのロングTシャツにピチッとしたショートパンツのそらを見上げる眼に、

 ロンTの胸部が、ぼこーっと飛び出している。

 布が悲鳴をあげているのだ。

 下から見ると重量感がハンパない。

 ショートパンツのほうもムチッとして、

 はちきれそうだと悲鳴が聞こえる。

 しかし、

 うさちゃんと布地を助けたいけど十桜にはどうすることもできなかった。 

 

 ほっぺつねられてるし。


「は、これは別に……」

「あ、はい……」


 二人は自然と手を離していた。


「うふふ、仲良しぃ~♪」


 そらが歌うようにいい、十桜の後ろに座った。


 仲がいい、というのはそうかもしれない。

 先輩と後輩とはいえ、喋ったことはない関係。

 会話したのは昨日からだ。

 なのに、このたった二日で、二人は子供じみた技を掛け合う仲になった。

 ダンジョンで背中を預け合うということは、こういうことなのかもしれない。

 

 それは置いといて、


「そらにもして」

「え? なにを?」

「いまの」

「え?」

「おでこ、ぐ~って」

「あ? なんで? わるいことしてないだろ」

「莉菜ちゃんはわるいことしたの?」

「俺をつねった」


 そういった瞬間、


「痛てえ……やめろ……」


 そらが両頬をつねってきたので、

 十桜のアイアンクローは、お望み通りくれてやらあ! になった。

 そらのおでこはまだあつあつで湿っていた。


 しかし、


「もっとつよくして」

「ええ~……」


 ぐいっと指に力をいれる。


「ん……もっとぉ」

「なんなんだよぉ」


 グッ と……


「あ、痛い……」

「そりゃそうだよ……なんなんだよこれ……」


 そのとき、


「せんぱい!」


 莉菜が小声で吠え、十桜に対して、まさかの、


「あだだだ――ッ」



 0030.1 アイアンクローの逆襲



 泣く子も黙るアイアンクローをかましてきた。


(なんなんだこの子供たちはァッ!!)


 これはっ、りなそら地獄のつーぷらとんっ!!


「なんのおおおおお――」


 十桜は、おでことほっぺに絡みついた女子たちのお手々から脱出するため、一気に立ち上がろうとした。


「うおおおおおおお――!!」


 すると、


「うおりゃあァッ!!」


 足が、


「ウオッ……!!」


 バナナの皮に、


(あ、ヤバッ……!!)


 すべった。


 食べ終わったバナナの皮が、

 いつのまにかにテーブルから落ちていたのだ。


 というわけで、


「ウワッ……!!」

「キャッ……!!」

「ヒャッ……!!」


 ドテェ――――――――ンッ!!


 と転んでしまったのだ。


 しかし、そんなに痛くはない。

 それどころか、


(……やわらか……)

(……え゛ッ……)


 十桜の顔は、莉菜のたぬきさんとキスをしていて、

 十桜の手は、そらのうさちゃんのほっぺを掴んでいた。


 そう、


 立ち上がる途中で転んでしまった十桜は、

 莉菜とそらのふたりを、押し倒す形になってしまったのだ。

  

「お兄ちゃん……」

「せ、せんぱい……」


 ふたりがつぶやく。


「あっ……あ、あ……ごめッ……!!」 

 

 十桜は、頭が真っ白になって身体が固まってしまっていた。

 その間も、

 莉菜とそらのからだのやわらかさと、

 これでもかという甘い香りであたまは痺れていった。 


 そのとき、


「よしッ、よしッ、よぉおお~~い!!」


 じいちゃん歓喜の声が居間にまで届いた。


 誰かが、タイムリーツーベースヒットを打ったのだ。

 それは、じいちゃんのテンションから十桜は察した。


 そして、その声はまるで、十桜と莉菜そらの状況を煽っているかのような、シュールな歓声に聞こえた。


(クッ……なんてじじいだ……!!)


「……いま、どく、から……」

「せんぱい、はずかしい、です……」

「お兄ちゃん、そらも……はすかしいよぉ……」


 そこに、


 ドタッ ドタッ ドタッ


 誰かが階段を降りてくる音がした。


(母ちゃんッ!!)


 それは母の足音だった。

 すぐに起き上がらなければならない。

 もし、こんなところを見られたら……


(吊るされる……!!)


 十桜はつい、手に力をいれ、首にも力を入れて、

 触れているところを鷲掴みにし、お辞儀をする形になってしまった。


 すると、手は、ロンTのうさちゃんにめり込み、

 顔は、Tシャツのたぬきさんに沈み込んでしまったのだ。


「あ……おにい、ちゃん……!」

「ん……せん、ぱい……!」


 ふたりはつぶやき、


「だめだよ……!」

「だめです……!」


 異口同音で声がかぶっていた。


「……ふがっ……ごめッ」


 十桜は、莉菜の心臓に近いところでふがふがしてしまっていた。


「……フフフフ~♪ ふんが~とっと~♪ ふんが~とっと~♪」


 十桜泥沼のなか、母の足音と歌声が迫ってきた。 


(ヤバイッ!!)


 焦れば焦るほど、後輩と妹に沈み込んでゆく。


「……ふんが~♪ 十桜ぉ~バナナの皮捨てたかぁ~♪」


 あと少しで、母が居間の障子に届きそうになっていた。


 そのとき、


「いよっほおおおおおおおおおおおおお~~~~~~!!」


 居間にじじいの咆哮が響いた。


 それは、ガラス障子の向こうから発せられた、

 じいちゃん歓喜の声だった。


 誰かが、東京ドームで逆転2ランホームランを打ったようだ。

 それを、じいちゃんのテンションから十桜は察した。


 その時、奇跡が起きた。


「……あっ、お父さ~ん……」


 階段から降りてきた母の行き先が変わったのだ。


「はぁ~……」


 ホッと一安心した十桜は、

 空いてる手で床をおさえ、

 片ヒザを莉菜のまたの間にいれてなんとか起き上がった。


「ぁ……」

「ごめん、莉菜ちゃん、そら……スマン……!」


 十桜が両手を伸ばすと、仰向けのふたりも手を伸ばしてきた。


 そのときの彼女らのかおは、

 なにか、長湯してのぼせてしまったかのような雰囲気があり、

 紅潮していて、

 胸がドキリとしてしまった。


 ふたりをひっぱり起こすと、


「あんたたち、なにやってんの?」


 パックの母が居間に顔を出した。


「あんた、皮捨てた?」

「ん……これから捨てる……」

「そう~、みんなもう寝なよ~♪ お母さんはガスの元栓閉めま~~す♪」


 そう言ってソプラノ歌手は去っていった。


「莉菜ちゃんいこぉ……」 

「うん……」


 そらと莉菜も居間を出ていった。

 かと思ったら、

 障子の隙間から顔を出し、


「いけないお兄ちゃん、おやすみなさ~い」 

「せんぱい、おやすみなさい……」


 といって二階にあがっていった。


 十桜はバナナの皮に一礼して、それから三角コーナーに捨てた。 


 ガラス障子の向こうの電気はすで落ちていた。

 十桜も居間の明かりを消して寝床に登った。


 胸はまだ、ドキドキしていた……






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