0032 今朝の太陽


 ピンポーン


 予期せぬ客とはこういう人のことだろうか。


 呼び鈴は、莉菜の叔母がおしたものだった。

 叔母さんは、結城 美恵子と名乗り、会社の名刺を母に渡した。

 彼女は、莉菜の所属事務所の取締役であり、莉菜の専属マネージャーだった。

 彼女は居間に通されると、母が出したお茶に口もつけずにこういった。


「莉菜を保護していただいたことは感謝しております。本当にありがとうございます。莉菜は今夜タレントとしての仕事がございますので、今日はこのまま連れて帰ります」


 それに母は、


「莉菜ちゃん、本当にタレントさんだったの、どうりでかわいいわけだね……」


 と、手を伸ばして莉菜の肩をぽんぽんとたたいていた。

 莉菜の叔母さんと母は、お誕生日席の対面に座っている。

 莉菜は、こたつテーブルの長辺真ん中にいたのだが、ほんのりじわじわと母の方へよっていっていた。

 そして、のんびり兄妹は、ガラス障子の向こうにへばりついていた。


「そうです、売り出し中の逸材なんです莉菜は。ですから、職場放棄している場合じゃないんです」


 叔母さんは苛立ちを抑えるように言うが、

 その声には、まったく余談を許さない圧があった。

 しかし母は


「うちに莉菜ちゃんがいるってのは、どうしてわかったんですか?」


 と、冷静にたずねた。


「興信所に調べてもらいました。まあ、誘拐じゃなくてよかったですけど……莉菜、大勢の人に迷惑をかけているってわかっているの?」


 流れるようにキツイ声をあてられた莉菜は、小柄な体をさらに萎縮させてうつむいていた。


 母は、「おびえてるじゃないの。その仕事、したくないんじゃないの?」と言って、彼女の頭をなでた。もう、莉菜は、母があまり手を伸ばさなくてもいいくらいに、角っこにちかよっていた。


「そんなわがままが通用するわけないでしょ、莉菜、帰るわよ!」


 叔母さんは声を荒げるが、母は顔色をかえず、


「莉菜ちゃんのご両親は、この子の状況をわかってるんですか?」


 そうたずねた。

 叔母さんは、莉菜のほうを一瞥すると


「この子の両親は、二人とも亡くなっているんです……父親は三歳のときに亡くして、母親は十六歳のときに……」


 といった。

 母は言葉を失くし、十桜は、そらの手を握った。

 居間は、しばし静寂につつまれたが、母が口をひらいた。


「莉菜ちゃん、大変だったんだね……」

「……」


 莉菜はうつむいたままだった。

 叔母さんは母に顔を向けると、


「莉菜が高校生になってから、ずっと私が育ててきたんです。私は保護者としてこの子のタレント業を支えてきたんです。莉菜は、必ず私が成功させます……!」


 静かに、しかし強い圧でいった。

 なのだが、母は鋼のような調子で返す。


「保護者っていうのなら、逃げ出すほどの仕事を強いているあなたの責任なんじゃないんですか? それに、莉菜ちゃんは今年で19歳でしょ? 選挙権もあって立派な社会人なんですから、もう保護者の手から離れていいはずでしょう!?」


 さすが鋼の女。

 三日月家の母。


 相手に“保護者”の顔を出されても一歩も引かない。

 母と莉菜は昨日初めて会ったばかりの“赤の他人”だ。

 莉菜は他人の子供で、親戚や友人ですらない。

 なのに、莉菜を育ててきた保護者を前にしても、引け目があるという素振りを一切見せない。


(強えぇ……)


 ガラス障子を隔てた店側から、そらといっしょにその様子を見聞きしている十桜は、


(……母ちゃん、莉菜ちゃんを自分ちの子にしそうな勢いだな……)


 と冷や汗をかいていた。すると、母が声を張った。


「莉菜ちゃんは今日からうちで寝泊まりしな!」


(あぁ~……)案の定、承太郎仗助だった。


「すごいね、お母さん……やっぱりやるひとだね、お兄ちゃん」


 そらはひそひそと言った。

 妹は、兄の手をぎゅっと握りかえしている。


「俺は生きたここちしねーよ」

「うふふ、だいじょうぶだよ」

「根拠は?」

「莉菜ちゃん、元気になるといいな……」

「いや、だいじょうぶの根拠は?」

「うふふ」

「……おまえ、莉菜ちゃんがアイドルって知ってただろ?」

「もちろん。お兄ちゃん莉菜ちゃんの雑誌だけはとって置いてるもんね」

「クッ……俺は、気がつかなかった……」

「お兄ちゃん、おっぱいは好きだけど、アイドルはあんまり興味ないもんね」

「おまえ、言い方……」

「そらは、日向莉菜ちゃんの写真集もCDも持ってるもん」

「マジかよ……CDまで……」

「そら、莉菜ちゃんもお兄ちゃんも応援してるよ」

「ありがとうございます」


 のんびり兄妹の妹は、渇いた兄に清涼飲料水のような声色をくれるが、中央のサバンナでは、肉食獣たちの戦いが続いていた。


「――そんな人の苦労も知らないで!」


 叔母が吠え、


「知るわけないでしょ!」


 母が受けてたつ。


「ッ! じゃあ黙っててください!」

「それは子供が親に感謝して終わりですよ! 老後も面倒みてもらうつもりですか?」

「老後なんていいんですよッ! いま、私が手塩にかけて育ててきたこの子が、ダメになるかならないかの問題なんですッ!」

「莉菜ちゃんがダメになるとしたら、周囲の大人の考えを押し付けられて、自由がなくなってしまうときでしょうッ!? それじゃあこの子が壊れてしまいますよ!!」 

「この子には、責任があるんです!! 違約金だって支払わなきゃならないんですからッ!!」

「はん! 違約金がなんだい! そんなもの、過重労働させたアンタと事務所側の責任でしょうがッ!!」


 母にそう言われた叔母さんは「そッ……れは……」何も言い返せない様子だった。


「莉菜ちゃんは、うちから、できる範囲の量でタレントさんの仕事に通いな! なんなら、あたしがマネージャーやるよッ!」

「そんなァッ! 赤の他人のあなたがッ、勝手に決めないでください!」


 叔母さんの言うことも、もっともだった。

 この場にいる誰もが冷静ではなかったのだろう。


 しかし、冷静というか、気の抜けた兄妹が、

 ガラス障子一枚隔てた和菓子屋『三日月』側で、

 中央の様子を観察し続けていた。


 兄は、麦茶だと思ったらめんつゆみたいな顔をして、

 妹は、そんな兄の頭をよしよししていた。

 ふたりの手は、握ったままだった。


「あんたたちなにやってんの?」


 店のエプロンをしたばあちゃんが聞いてきた。


「なんでもないの、おばあちゃん。豆大福二つ包んでおいてほしいんだけど、いいかな?」


 そらがそういうと、ばあちゃんは、「あいよ」と返事して容器の箱をとりだした。


 すると、そらは、握る手をつよくして、


「そらは、お兄ちゃんの出番のような気がします」


 と言った。


「え~、なんで俺が~……!?」十桜はこの世の地獄のような顔をした。

「あとで、またなでなでしてあげるから」そらがにこやかに言うと、

「プリンな……」十桜はそう返し、


 熟練の術者が張る、マジックバリアのように頼もしかったガラス障子を自ら開いた。


「あ……え~……テス、テス……」

「なんだいあんたァ!?」


 興奮している母は、己の血を分けた息子にさえ噛みつきそうな勢いだった。


「十桜はすっこんでな! こちとら大人の話してんだッ!」


 ていうか、噛みついていた。

 しかし十桜は、母の剣気をスルーして言った。


「莉菜ちゃんは、どう思ってるんだ? 自分の考えを叔母さんに聞かせてあげなよ」


 その言葉で、牙むく母は「あっ」という顔になり、

 サバンナの草むらにかくれる小動物のようになっていた莉菜は、ハッとなって、静まりかえった場で言った。


「……私は、冒険者になります」


 ちいさな声だった。だが、顔をあげて、叔母さんの方をみてはっきりと言っていた。

 叔母さんは、はじめ、彼女の言葉を飲み込めない様子だったのだが、


「……そんな……冗談でしょ……そんなこと……」


 ゆっくり話しはじめ、しかし、莉菜が目を逸らさずにいると、


「……ホントにそうなのッ!? あなた、自分が何言ってるのかわかってるのッ!?」


 最後は金切り声になっていた。


「美恵子さん、いままで、育ててくれてありがとうございました」

「莉菜ッ……!!」

「でも、これからは自分の力で、やりたいことをして生きていきます」

「あなた……!」

「いままで、たいしてやりたいことがなかったあたしに、やりたいことができたんです」

「……」

「あたしは、冒険者をやりたいんです。タレント業を辞めて、冒険者になります」

「……」


 莉菜の話に、黙ってしまった叔母さんだったが、急に思い出したように喋りだした。


「……ファンはッ!? あなたの大事なファンはどうするの!? あなたをずっと支えてくれているファンの人たちになんて言うつもりなの!? スタッフも裏切るのよ!? あなたを信じて尽くしてくれたスタッフにどんな顔で会うのッ!?」

「それは……」

「……第一、あなたにそんな野蛮なことできるわけないでしょ! 非力な女の子なのに!」


 叔母さんは感情むき出しで、莉菜の情に訴えるような言葉をぶつけてきた。


「美恵子さん……」


 莉菜は叔母に気圧されてしまったようすだった。

 いままでも、莉菜はこんな感じに叔母の言うことを聞かされてきたのだろう。

 このやり取りに対して、母が口を鋏みそうになっていた。 

 その前に十桜は声を出していた。


「冒険者が野蛮なのはそうかもしれません」

「……十桜ッ……」


 母がこちらを見る。

 十桜は母を一目見ると、叔母さんに顔を戻し話を続けた。


「……だけど、誰かがやらなければならないんです。誰も、魔物が溢れる世界を望んではいないと思います」

「それは……わかってますけど……! でもッ、だからといって莉菜がやる必要はないでしょッ!! 冒険者なんて他にたくさんいるでしょう! この子の歌と演技とそれ以上の才能を潰すのは芸能界の損失ですよ!!」


 叔母さんは一歩も引かず、

 相変わらず社会的な面の話で押してくる。

 しかし、その話のなかに莉菜はいない。

  

「芸能界のことはわからないですけど、冒険者のことはわかります。ぼくは、冒険者になって莉菜さんとダンジョンで知り合いました。莉菜さんは、ダンジョンで苦しい目にあっても涙一つ流さなかった。普通なら心折れます。ダンジョンがトラウマになります……」


 それは、十桜じぶんのことだ。


「……けれど、そんな弱った素振りはまったくみせず、それどころか、怪我をしている僕のことを介抱してくれました」

「そんな……ことを……してたの?」


 叔母さんは莉菜を見ていた。莉菜は黙ったままだ。


「そうです。莉菜さんは初日でしっかりと冒険者をしていました。その上で、いま本人が何をしたいのかを言ってくれました」


 十桜が喋りおえると、いままで食い気味に反論してきた彼女の勢いは衰えていた。 


「……そ、そんな……こと……」

「冒険者は、人を、街や地域を救う仕事です。ぼくを救ってくれた莉菜さんはそういうことができる人だと思います。彼女は、めずらしい魔法を使う職業についています。エンチャンターという、仲間の下支えになり、助けてくれる強力な才能を持っているんです。莉菜さんが非力というのは誤解なんです」

「……そうなの? 莉菜……」


 莉菜を見る叔母さんの顔からは、攻撃的なものがなくなっていた。


「あたしは……困ってる人を助けたいです……」


 そういう莉菜は十桜を見ていた。

 目が合った十桜はちいさくうなずいていた。

 すると、彼女は深々とあたまをさげた。

 十桜は叔母さんを見た。


「莉菜さんは冒険者の才能があり、やる気もあります。この大事な要素を二つ併せ持っているんです」

「それはッ……」

「莉菜さんは、自分の意志で冒険者を選んだんです」

「……」

「結城さん、莉菜さんが大事なら、彼女を理解してあげてください」

「……」


 叔母さんは黙ってしまった。


(ニートだった俺が何言ってるんだろうな……?)

(いや、ニートだからわかるんだよ……)


「美恵子さん……あたし、冒険者として、人を助けて生計を立てて暮らします。それがあたしのやりたいことです」


 莉菜の毅然とした態度と、余談を許さない声に、叔母は、


「……」


 絶句したまま、うごかなかった。


「……でも、いま埋まってるスケジュール分はできるだけこなします。あっ、今晩と明日のはキャンセルにしてください。今日は、初パーティーでダンジョンに挑むので」


 莉菜は、すがすがしい顔をしていった。


(……アイドルが嫌なんじゃなくて、家族がほしかったんだろう……)


 莉菜の叔母さん、結城美恵子さんは、そらにわたされた手提げをさげて、三日月家から去っていった。

 莉菜と母は、彼女を玄関から見送っていた。


(……まあ、うちの豆大福食やぁちょっとは元気になるだろう)


「ふぅ~~……」


(……しかし……つかれた……)


 莉菜の叔母さんの三日月家滞在時間は、三十分少々にも関わらず、

 十桜には、給食後に三時間授業を受けていたような感覚があった。 


「はぁ~~~~~~~~~……」


 十桜はこたつテーブルに頬杖をついて脱力した。


 そんな疲れた背中を、やわらかな手が抱きしめてきた。

 あたたかな体温とふわっと鼻をくすぐるシャンプーのかおり。

 耳元では、

 迷宮最深部の、秘密の森に咲く小さな花のような声がささやいた。


「さすがそらのお兄ちゃん……」

「よせやい……」


 十桜は息を吐きながら言った。


 かくして、居間という名のサバンナに平和はおとずれた。

 もう、大丈夫。

 いつものマイ居間フィールドだ。


 十桜は、冷蔵庫の冷気を浴びてまた居間に戻ると、

 寝転びながら妹のプリンを食べて、妹になでなでされていた。


「あんたなにしてんだいッ!」


 しかし、サバンナにはまだ、生き残った肉食獣がいたのだ。

 十桜はカラメルまできれいに舐めあげると、母にどやされながらしぶしぶ外に出た。


 とみせかけて、居間に戻り、仏壇に線香をあげて手を合わせた。

 それから外に出ると、玄関には、軽装装備の莉菜がいた。

 彼女は、両手でかるくガッツポーズをして、フードのなかから笑顔をみせた。

 

 この日はどんより曇り空だったのだが、

 莉菜は、分厚い雲のきれまに顔を出す太陽のようだった。


「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!?」


 その悲鳴のような叫び声は、

 むか~しの友人、外野島そとのしまのものだった。


 十桜が莉菜につられてほほ笑んだとき、

 ふたりのすぐ横に剣士装備の外野島がいたのだ。


 なぜか外野島は、殺人現場を目撃したような顔をしていて、

 十桜と莉菜の顔を交互に十五度見回すと、 


「なっなななな、ななななな、なななッ……!?」


「な」をいっぱい言っていた。


 要は、ジャンパーとスウエットだけはいかしているが、

 いまだ原付きメットでレベル1の十桜みたいなものが、

 なんで、

 タンクトップのボヨヨンの娘と笑顔で顔をあわせているんだ!?

 と言いたいのだろう。


「……どッ、なっ……ええええぇぇぇ――……??」


 外野島は、どうなってるんだ!? なんでなんだ!? ええええぇぇぇ――と言いたいのかもしれない。


 十桜は外野島に、


 会えてうれしかった じゃあな


 と声をかけようとした。


 そのときだった。


 広場のほうから、

 二メートルはあろうかという戦士装備の巨漢が現れて、

 無言で外野島を持ちあげて肩に担ぐと、男は十桜たちに会釈をして、また広場に戻っていったのだ。


 工事現場の砂利袋のように担がれた外野島は、ジタバタしながら、


「離せえええええええェェ――ッ!! オレのボヨヨンちゃ~~~ん!! なんでええええ!? 俺のおおおおおお!! 戻れえええェェ!! 離せデカスギィィィ!! なんでえェェッ!? 俺のォ!? ……チックショオオオオオオオオオオオオォォぉ……――!! オレのハーレムはまだ終わらなァ……――」


 遠くへ、遠くへといった――


 この日はどんより曇り空だったのだが、

 莉菜は、分厚い雲のきれまに顔を出す太陽のようだった。




 0032 今朝の太陽


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