0008 日向莉菜
「あ、起こしちゃいましたか……? 傷大丈夫ですか?」
そういう彼女の声は、やわらかなガーゼで包んでくれるようなここちよさがあった。
「ああ、いや、ちょっと休んでいただけだから、大丈夫っすよ」
十桜はしゃべったあと、染みていた痛みがまったくなくなっていることに気がついた。
独特の苦味のある緑のにおいがする。
魔犬に噛まれた傷は塞がっていた。
しかし、爪でヤラれた目端と腕の付け根の傷口は開いたままだった。
血は拭き取られていたので、つむっていた右目は開けられた。
その両目を開けた途端、頭のマップがブワッと拡がった。
半径三十メートル視えていたものが、また何百メートルにも増えたのだ。
同時に「アッ、ウワっ……」十桜はうめいた。
やはり目眩が再発したのだ。
起き上がっていた上半身がくらっと揺れる。
「大丈夫ですかッ!?」彼女は十桜の肩に回って背中をうけとめてくれた。
腕に大きくやわらかなものが当たる。
(うおッ……!)十桜は気持ちよさと気持ち悪さの間で混乱しながら、ひとまず両目をぎゅっと閉じた。
目眩はおさまり、腕に天国だけが残った。
(これはこれでどうしたらいいのかわからん……!)
「大丈夫ですか? 気分悪いですか?」
「ああ、大丈夫です……すぐに良くなります。……目眩があるんですけどね……」
「目眩ですか……?」
「はい。でも、安全地帯があって、そういうのに乗っかてればいいというか、いまは、そういう安全地帯でね、片目を閉じてれば大丈夫みたいです」
十桜は、さっきまでそうしていたように、
左目だけを開けて彼女を見た。
それから、深呼吸をすると頭の中で状況をまとめた。
両目を開けると、
目眩はマックスで身体が言うことをきかなくなるが、
マップは広く描かれ、新たなマップ、モンスター、冒険者の情報更新はされつづける。
両目を閉じると、目眩もマップも消える。
しかし、呼べばねこの絵が返事をする。
その中間の片目なら、目眩もなく、
マップは半径三十メートル程度だが残るし、
範囲内のモンスター、冒険者の情報は更新される。
しかし、新たなマップの更新は止まる。
そういうことだった。
十桜は三年前、『ダンジョン酔い』に敗北した。
だが今回、渋々だがダンジョンに潜り、勝つでもなく、負けるでもなく、
『ダンジョン酔い』との共存方法を見つけたのだ。
(たまたまだけどな……たったこれだけのことなんてな……)
昔の傷は残ったままだった。
片目を瞑ると、視えるものは減ってしまう。
だが、前に進むことはできた。
(あ~あ……)
肩の力がぬけたら、まだ彼女に回復の礼をしていないことに気づいた。
「薬草、つかってくれたんですか?」
「あ、はい……よくなったみたいで、よかったです」
「ありがとうございます」
「いえ、私こそ……あの、私、救けていただいたんですよね?」
「あぁ……」
「危ないところを、ありがとうございます」
「いや、結果的に……なんですけど……」
「結果的に?」
「俺さ、まあ、強制的に冒険者にさせられてしまったんですよ、うちの親に」
「強制的に……」その言葉をつぶやく彼女は急に怯えるような暗い顔になった。
十桜は不意なつよいリアクションに焦ったので、すぐに、
「ああ、そんな重いもんじゃなくて、俺いま無職でね――」
と言葉のニュアンスの説明をした。
それから自分の素性をある程度話した。
彼女が安心すると思ったからだ。
「――だから、大怪我しようと思って、ああ、俺、痛覚鈍いから、痛みは大丈夫だから、犬とかにヤラれようと思って、いろいろてやってる内にソイツとバッタリ会っちゃって、気がついたら、ソイツ転んで寝ちゃってさ~、まあ結果的にね」
「……そうだったんですか……あっ! あたし、薬草で……怪我を……」
「ああ、いや、いいんですよ、なんかどうでもよくなったんだよね、ソイツ見てたら」
十桜は、もう冒険者でいいや、どうにでもなれ! と思っていた。
それくらい『半殺しになっちゃおう計画』は面倒くさくなっていた。
「そう、ですか……じゃあもう、わざと怪我しなくていいんですね?」
「ああ、そうですね。怪我したくないもんね、ふつう」
十桜があっけらかんと言うと、彼女はくすくすと笑いながら「そうですよね、よかった」といった。
その笑顔は、雰囲気は、
生搾りオレンジジュースを青空のしたでごくごく飲みほすような女の子のようだった。
近くでしおさいがきこえてきそうな。
「そのひと、知り合い?」十桜はちょっと気になっていた事を尋ねた。
「いえ、まったく! ……声をかけられて……救けて欲しいって……仲間が特殊なモンスターに不意打ちされて、薬草もポーションも切れていて、そう言われて……あたし、信じちゃって……着いてったら怪我をしてるひとはいたんですけど……突然いなくなって……」
「……そっかぁ……汚え野郎だ……!!」
「そうなんですよ! でも、あたし……わけがわからないまま、抵抗もできなくて……」
「クソッ……腹が立つな……!」
「はい……!」
「……」
「……」
無言になってしまったが、彼女は元気そうだ。
あんなことがあった後でも、震えてもいないし涙一つ流していない。
彼女もダンジョン適応値が高いように見える。
普通なら、喋ることもできないだろう。
それなのに、彼女は会話をして笑うことさえできているのだ。
それとは別に、十桜は妙な気持ちになっていた。
いまはうつむいているが、彼女の顔を知っているような気がしていたのだ。
(同じ学校だったか? どっかで会ったのか?)
(……まあ、入り口で見たフードのボヨヨンの娘なんだけど……)
(……いや、そうなんだけど、顔を知ってる気がすんだよな……ずっと前から……)
(う~ん……散歩のときの冒険者か……?)
十桜はニートではあったが引きこもりではなかった。
行きたいところには行くのだ。
徒歩で。
散歩も趣味のようなもので、歩いてくるといって半日家に帰ってこないこともざらだったし、一日外出していることもあった。
十桜は機動力の高いニートだった。
これは、鉄砲玉というあだ名がついている祖父の影響かもしれない。
外出があれば人との出会いも生まれる(ネットでも出会うだろうが)。
その散歩中に冒険者と立ち話をするのだ。
最初は自分から声をかけていたが、馴れてくると向こうから話しかけてくることも多くなった。
なので、冒険者に知り合い、顔見知りがいた。
彼女は、そういうときに見かけた一人だろうか?
十桜はこころのなかでうんうんうなっていた。
すると、うつむいていた彼女が顔をあげた。
「あたし、生きていたほうが……いい……ですか……」
突然とんでもないことをたずねられた。
思わず、両目を開けてしまいそうになるのをこらえて、
「あたりまえじゃん」
と、言った。
彼女は、くちびるを噛んだあと、息を吐いて、笑顔になってこう言った。
「じゃあ……危ないところを救っていただいたお礼に、なにかごちそうさせてください」
その申し出に、十桜は戸惑ったのだが、
「……え~、いや~、じゃぁ~、いただきます」
隠しきれない満面の笑みを浮かべていた。
そうと決まれば、と十桜は『救援の
伸びているプレイヤーキラーを地上に運ぶためである。
「あ、あの、お名前は……? あたしは――」
狼煙を上げると彼女が訊いてきた。
お互い、まだ名前は知らなかった。
「――ヒナタ リナっていいます。日向ぼっこの日向に、『り』は草冠の下に千利休の利で、『な』は菜っ葉の菜です。よろしくおねがいします」
顔だけではなく、
『
それはそうと、あらたまるとなんか照れくさいのだが、名乗る。
「
0008 日向莉菜
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