アネモネ
小林六話
アネモネ
決して安易に入ってはいけない舘がある。ある人は、花のように美しい男が住んでいるという。また、ある人は顔が花に埋もれた化け物が住んでいるという。他にも、人の不幸を喜ぶ老婆、花が好きな少女、語る人間によって異なる人物がその舘に住んでいる。そんな人の立ち寄らない舘に、足を運ぶ少年がいた。少年の名前は
「
舘の奥から現れたのは、確かに美しく、花に埋もれ、異様な雰囲気を持つ男だった。
花一華。この舘に住む男の名前である。顔の左半分に青紫色の紫陽花、右頬に
「おやおや、思ったより早かったね。」
余裕のある笑みを浮かべ、花一華は団吉に近寄った。
「花一華さん、また身体に咲く花が増えましたね。」
「もうすぐ、また別の花が咲くよ。」
そう言って、花一華は傷一つない指を団吉に見せる。花一華の指には小さな芽が生えていた。
「今度はどんな花が、私の身体に咲くのだろうね。」
「何でそんなに嬉しそうなんですか・・・?」
「嬉しいに決まっているだろう。また、私の身体に花が咲くのだから。さぁ、饅頭を食べよう。」
花一華は饅頭を食べながら、団吉に語りかけた。
「いいかい?人生とは花なのだ。例えば、ある女が恋をしたら、その女の心は『恋』という花言葉をもつ花を咲かす。しかし、その女が失恋してしまったら、心に咲いていた花は散り、代わりに『失恋』という花言葉をもつ花が心に咲くのだ。人は、人生の中で、心に様々な感情の花を咲かし続ける。でも、心の花に自我を喰われてはいけない。」
「わかってますよ。花呪病にかかるからでしょう?」
「その通りだよ。ある感情が強くなり、自身で抑えることができなくなってしまった時、心の花は人間の身体を喰うからね。」
「では、なぜ、花一華さんは花呪病にかかっているのに死なないのでしょうか?」
「ふむ、それは私が死の国に見放されてしまったからなのかもしれないね。」
「・・・・・はぁ?」
『
「おや、また新しい花がこの舘に咲いたようだね。これは霞草だ。」
花一華の住む舘には、土があるわけでもないのに花が至る所に咲いている。花一華曰はく、花呪病にかかった人間が亡くなると、死に至らせた花がこの舘に咲くそうだ。花一華は霞草に近づき、亡くなった人間の人生を覗く。花一華の表情が暗くなる。
「馬鹿な男だ。」
「どうかしましたか?」
「この男の人生を聞きたいかい?」
「いいんですか?」
「この男の汚い、自分勝手な心の話だけどね。」
あるところに、近所からの評判も良く、気前のいいおしどり夫婦がいた。しかしある日のこと、夫は美しい女に会ってしまった。二人は惹かれ合い、何度も逢引をするようになった。しかし、正妻の妊娠が発覚し、夫は不倫相手の女と別れなければならなかった。夫の不倫は誰にも気づかれることもなく終わりを迎えた。夫は心の中で強く願った。『もう一度、彼女に会いたい。』と。長い年月をかけて、心の中でその感情を育て、ついに夫は霞草に自我を喰われてしまった。霞草は夫の身体を侵食していき、やがて夫は亡くなった。
「霞草の花言葉には『切なる願い』というのがある。この男は花呪病にかかるほど、不倫相手の女性に会いたかったのだろうね。」
「妻子もいて、世間の目もあって、ずっと心の奥底に閉じ込めていたんですね。」
「悲しいことだ。この男は不倫相手の女のことを想いながら死んだのに、妻はそれに気づかず、今も夫の死を悲しんでいる。彼女は生涯、夫の不倫を知らないまま、夫を思い続けるだろうね。」
「奥さん・・・花呪病にかからないといいですけど・・・」
「くだらなく、馬鹿げた人生だ。」
「ひどいことを言いますね。」
「私は人間の清い心をこの目で見たことがない。」
「それは花一華さんの目が見えないから。」
「見えなくしたのだ。私の目は人間の汚い心しか映さなかった。なら、潰してしまったほうが気が楽だ。」
「・・・・花一華さん、貴方はなぜ花呪病にかかったのですか?何の花言葉をもつ花に自我を喰われたのですか?」
「わからない。」
「では、なぜ花呪病にかかって亡くなった人間の人生が見えるのですか?」
「きっと私は人の人生を覗くことを、好いているのだろうね。」
「悪趣味な・・・・」
「だから、神から見放されてしまったのかな」
「花一華さん、自分に咲いている花の花言葉、わかりますか?」
「勿論だ。」
「教えてくれませんか?」
「かまわないよ、でも、今日は駄目だ。」
「そうですか、わかりました。では、明日またここに来ます。」
「そうしてくれると嬉しいな。」
「では花一華さん、失礼します。」
団吉が去った後、花一華は自分の指にいつのまにか咲いていた花を見つめた。視力なんて、とっくの昔に捨てたはずなのに、花だけはなぜか見える。
「やっと、私の心の花が私を喰う。」
花一華は舘を飛び出し、森の奥深くまで足を運んだ。
花一華の身体に咲いている花の花言葉。
青紫色の紫陽花の花言葉は『冷酷』。
夾竹桃の花言葉は『危険』。
白膠木の花言葉は『知的』。
橙色の百合の花言葉は『華麗』。
黒百合の花言葉は『呪い』。
花一華の花言葉は『見捨てられた』。
そして、新しく咲いた花の名はゴジアオイ。
花言葉は『私は明日死ぬだろう』。
「ごめんよ、団吉。でも、私は嬉しい。やっと死の国へといけるのだから」
花一華はゆっくり横倒れ、来ない明日に喜びを感じながら眠った。
次の日、団吉が花一華を訪ねた時、そこに花一華の姿はなかった。舘には花一華の身体に咲いていた花々しか残されていなかった。
「花一華さん?」
冷淡で、花言葉の知識が豊富。危険な雰囲気を醸し出しながらも、誰もが見惚れる華麗な姿。自ら死の国に見捨てられたと言うほどの心の奥底にある罪の意識。そして、彼だけ花呪病にかかりながらも、死ぬことが出来なかった。彼は心の底から願っていたのだ。『死にたい。』と。そして、ついに念願の花が彼の身体に咲いた。
決して安易に入ってはいけない舘に住む男、花一華。彼がどんな人間で、どんな人生を送り、どんな気持ちで生きていたのか、団吉に知ることはできない。彼の身体に咲いていた花々は今も舘に咲いている。しかし、彼の遺体は見つかっていない。彼は死の国へといけたのだろうか。舘の中にある花一華の寝室。色鮮やかな花々の中に輝く花の名前はアネモネ。またの名を、花一華。彼は今も舘の美しい花々と暮らしているのかもしれない。しかし、もう二度と団吉がこの舘に来ることはないだろう。
アネモネ 小林六話 @aleale_neko_397
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