十七

 今にも果し合いがはじまらんとした傍らで、茂兵衛は閑助もとい妹葉伝九郎のもとに若い奉公人を走らせた。事態を聞きつけるやいなや、伝九郎は奥の間に隠してあった太刀をつかみ、奉公人を置いてゆく勢いで駆けた。

 伝九郎の本屋敷から茂兵衛の館まで、およそ七丁ある。


 ――急げ、急ぐのだ! もっとはやく、もっとはやく走れ! 儂が着くまで、どちらも勝つな、斬るな!


 屋敷へつづく坂道を一気に駆け上がり、門口をくぐった。


「間に合った……ようだ」


 武次郎と又右衛門は、いまだ決着がつかず、膠着状態にはいっていた。

 どちらも手足と顔を浅く斬って血を流し、息を荒げ、肩を上下させている。


「爺さま!」


 目に涙をためた芙希が駆けよってきた。


「無事か?」

「はい、私は何も。ですが武次郎さまが……あのままでは血が流れすぎて……」


 伝九郎は穏やかに微笑んで、首をゆっくりと横に振る。かわいい孫娘の艶やかな黒髪をなでた。


「大事ない。人はあの程度の傷では死なぬもの。武家の男子にとって、向こう傷は一番槍の証、誉れであるぞ。お前も最上の血を引く武家の娘ならば、この程度で泣くものではない」

「はい……心得ました」

「さて、それにしても……」


 双方、気の強い者同士と見た。

 右手に立つ武次郎は、刀身に手を添えた神刀流特有の低い霞の構えをとり、かたや左に対峙する又右衛門もまた、二刀で霞の構えとなっている。

 捨て身と捨て身、二人は残された体力を絞り、つぎの一刀で優劣を決めるつもりでいるのだろう。それは、ならぬ。


「芙希、下がっておれ」

「は、はい……」


 やいなや、伝九郎はすでに二歩三歩と進んでいて、両者の間にまっすぐ向かって行った。

 ともに死にもの狂いの世界に下りた同士、武次郎と又右衛門は興奮状態にあり、まだ伝九郎の到着に気づいていない。足指で身を引き寄せ、慎重に間合を詰め合うと、全身全霊をかけ打ち込みを放った。

 ところが、二人が弧に放った斬撃の軌道のあいだに、何かが強引に割って入ってきた。それは伝九郎が差し込んだ鞘であり、あっと思った瞬間には、こじりと柄頭が、めいめいの鳩尾に深くめりこんだ。


「がッ……」

「ぬぅ……」


 武次郎と又右衛門は苦悶に身を縮めた。息を詰まらせ、胃液を足元に戻し、その場に膝をガクリと落とす。獣のようなうめき声で喉を鳴らし、水を入れた人物を恨めしげに見上げた。


「か、閑助どの……ではないか、なにゆえ……」


 にべもなく、伝九郎が告げる。


「両者そこまで。何もあたら命を散らすまでやることもない。冷静であれ、血に酔うな。門崎とやら、お主も引くのだ」


 又右衛門がべしみ面のように下唇を噛む。


「な、何を……貴様、誰だ……この凄腕、もしや……」

「だとしたら如何とする?」

「だとしたら、決まっているであろう、俺と立ち合え……」


 ひどくフラつきながらではあるが、武次郎よりも先に又右衛門が立ち上がった。


「……いいか、よく聞け。俺はな、我が一族の仇敵であるお前を倒すため、この身を修羅の道に沈め、ここまでまいったのだ。御広間番、門崎与三郎! よもや忘れたとは言わせぬからな」


 伝九郎は微動だにせず、目を細め遠くを見た。


「うむ、覚えておる。あのときの七人の一人だな。お主はそのお子か?」

「長子、門崎又右衛門だ……」

「そうか、では承った。だがすぐにはやれぬであろう、乱れた息と身支度を整える時をやる。それからだ」

「し、笑止……俺をどこまで侮る気か?」

「フン、心得ちがいをするな。常に居住まいを正し、みずから身仕舞いをつけ、死してなお美しき死に華を咲かせてこその仙台伊達者であろう。お主は御広間番であられたお父上に、恥をかかすつもりか?」

「う、ぬぅ……」

「場所を移す、ついて参れ。茂兵衛どのの庭先を、これ以上血で汚すわけにはゆかぬ。武家同士の醜悪な果し合いなど、将来ある幼な子の澄んだ瞳に見せるものではない。武次郎、お主が見届け人となれ」

「は、はい……」


 そういい残し、さっさと門口から出てゆく伝九郎の背を皆で追った。

 又右衛門と行動を共にしてきた浪人二人は、いつの間にか逃げていなくなっていた。

 武次郎は追うべきかとも考えたが、芙希からそれは要らぬと止められた。あれだけの深手傷を負い、この夜道である。運がよければ麓まで辿りつけるであろうが、山道はこれから月陰に入る。血の臭いを嗅ぎつけた獣に襲われるか、谷底へ転がり落ちるのが関の山であろうと言った。

 やがて一行は、邑の外れにある古社の境内に着いた。

 又右衛門は、井戸の水で身を清めると身なりを正し、襷をかけて果し合いの装いになった。

 そのあいだ伝九郎も襷掛けに股立ちをとり、境内に端座して静かに待った。

 いよいよ両者が対峙し、名乗りの時を迎えた。仇討ちの果し合いとは、かくも儀式めいている。


「我こそは門崎与三郎が長子、門崎又右衛門、影山流! 藩の繁栄を願う義士でありながら、悪しき者らに賊徒の汚名を着せられ、貴様の邪剣で無念のうちに殉じたわが父の無念、そして悲哀のなかで病に倒れた母の不幸と、俺が積年こうむった理不尽なる非業への義憤、とくと今こそ晴らさん!」


 武次郎は固唾をのみ、閑助老人の名乗りを待った。


「それがしの名は妹葉伝九郎である、妙見北辰流。いかにも、お主の父を討った大悪人とはこの儂のこと。いざ、存分にかかってくるがよい」


 よもやあの小柄な老農夫が伝九郎本人であったとは、まったく気づけていなかった武次郎である。その名を聞いたとたん、胸奥が鳴動し、出会いから過ごした日々が、別な意味をおびて走馬灯のように脳裏をかけめぐるのだった。

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