ひとり残された武次郎は、なにをするということもなく縁側へ出てぼんやりと野山を眺めていたが、やがてやおら立ち上がると家の周囲を見てまわった。

 薪がつみあげられた小屋、穀物と藁の納屋、雑具と農具の小屋、横に蔬菜畑そさいばたけがあって、土塁が一段せりあがった裏手には、よく手入れの行き届いた葡萄、梅、桃、巴旦杏ばたんきょなどの果樹が、すくすくと枝を広げている。

 敷地のなかはどこをどう見ても入念に除草がしてあって、とても老人と娘の二人きりの仕業とも思えない。

 武次郎は、農業のことはよくわからない。が、幼いころ父と母に連れられ秋保あきゆの造林の様子を見て巡ったことがあるのでわかる。


 ――見よ、虎太とらた。あるべきものが、あるべき場所にあるべきようにある。木々はそれぞれの場所を得るからこそ、健やかにグングン育つのだ。どんなに人が伸びろ伸びろと言い聞かせようとも、木は伸びてくれない。ゆえに父の仕事とは、木の成長を補佐するのが役目だ。虎太、お前もこの杉の木のように、天高くまっすぐ伸びるがよい。


 今より若かった父が、樹木の幹を満足げに叩き、枝ぶりを見上げて誇らしげに笑う。その横顔。あのころ、虎太と呼ばれていた幼き武次郎は、武家とは、男とは、父そのものであると思っていた。忘れかけていた場面と言葉が、記憶の彼方から不意に去来する。


 ――そういえばそんな時もあった……それにしても、ここは……。


 果樹の枝の揃え方、畠の畝のつけようも、ゆったりと落ち着いていながら少しも無駄がない、かつ作業しやすいように設計されてある。統合調和された主の思想をよく表現していた。


 ――百姓というのは、凄まじいものだな。


 凄まじい、その一言しか思いつかない。むしろそれが相応しい。ただただ、唸らずにはいられなかった。

 しばらく佇み、なにごとかを考えている風であったが、やがてそこを離れると、農具小屋の中から一挺の鍬を取り出してきた。

 そしてこれから武芸仕合いにでも向かうかのごとく股立ちを取り、襷をきつく掛けてから畑のほうへ出て行った。

 閑助老人は、昨日とおなじ場所で耕していた。昨夜聞かされたが、七畝ななせ(二百坪)はあろうかという菜畑で、自らの手で荒地を拓いたのだという。

 里芋と茄子、枝豆、あとは西瓜すいか南瓜かぼちゃという珍しい南蛮渡来の瓜も試してみると楽しげに語っていた。陸奥国と出羽国の狭間にある当地では、西国から北前船きたまえぶねに乗り、庄内経由で新しい野菜の種がどんどん入って来る。春夏が短い当地の性質に合う野菜を求め、閑助は率先して試験栽培をしているそうだ。上手く育てば、種と苗を邑じゅうに配る。

 芙希は畑のなかにまぎれこんだ石を拾い、雑草を両手でせっせと引き抜いて捨てる。強くなった陽ざしを浴び、二人ともびっしょりと汗に浸っていた。


「はて、その恰好はどうなさいましたが?」


 閑助は手をとめ、首をかしげた。


「手伝いをしたい」

「それは、ありがだいこどでがすが」


 老人は皺にたまった汗をぬぐって微笑した。


「……はたがら見るほど野良仕事は容易ではねぇのでがす。なぐさみ半分になさるおつもりなら、どうがお止めなされますよう」

「いやなぐさみではない。遊んでいては体がなまくらになる。すなわちこれも武芸稽古のひとつとして真剣にやるつもりだ。邪魔にならぬようにするから、どうか手伝わせてほしい」

「ウーン……それなら、まあやってみでけらしぇ。んだげど、三日も続ぎますかな」

「ま、爺さまったら、せっかくのお申し出なのに失礼ですよ」


 芙希が咎めるように眼で制した。

 やるなと言われると、すぐにでもやりたくなってしまうのが武次郎の気性である。もうすでに鍬を握り、力をこめて、黒々とした畑の土めがけ裂ぱくの気合とともに打ち下ろしていた。

 うっかり二刀を差したままはじめていた。腰から突きでた柄頭が、振り落とした腕と当たってしまう。迷わず刀をひっこぬいて畑の脇に置くと、ふたたび不恰好に耕しはじめた。

 武次郎はときに手をとめ、閑助の近くまでやってくる。四方上下からまじまじと動きを見ていたかと思うと、戻ってまたはじめる。

 半刻も過ぎたころには、それなりの形になっていたので、芙希が感心して頬を光らせた。

 閑助老人は、遠まきに両者を見て微笑する。


「なるほど、心根と筋はそこそこ見所がある。だが……まだまだ、己の種を知らぬ」


 その呟きは、向こうにいる武次郎の耳まで届いていなかった。むろん芙希にも、聴こえなかった。

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