「それにしても、本当にこちらでお住まいなのか?」


 どこからどう見ても、屋敷と呼ぶにはあまりにも貧相がすぎた。古びた農家が一棟だけポツンと建っている。一応は茅葺の屋根ではあるものの、間口はわずか四間ほどで、これならば城下の馬場にある御馬小屋のほうがよっぽど作りがよいといえた。

 縁側の木戸は締め切られ、ひっそりとしている。

 距離をとって全体をしげしげと見渡したのち、十歩ばかり進んで玄関口の前に立った。たしかに木戸の横には『妹葉伝九郎』と小さな表札が打ちつけてある。

 伝九郎は二百五十石の知行持ちで家格は召出めしだし、君公御目見えの暦とした家柄であったと聞く。いくら隠棲の身分になったとはいえ、剣をもって主家に忠義を尽くしたというのに、ここまでみじめな暮らし向きに落ちるいわれはないはずだ。

 泰平の世に武芸者が不遇であるのは、まま聞くことではあるが、道を志す者として一抹の悔しさを覚えた。


「おや……これは?」


 思いがけないものを見つけた。ぬかるんだ土の上に、錯綜した新しい足跡が刻まれていたのである。

 もしや伝九郎が戻っているのかも知れないと思い、あらたまって訪いを入れてみることにした。


「御免ください! 妹葉先生はご在宅であられましょうや?」


 返事らしきものはない。

 が、微かではあるが、中から衣擦れの音が聴こえたような気がした。


 ――やはり、中に誰かいる。


 ならぬと言われたらやりたくなる、開けるなと言われたら開けたくなるのが武次郎の性分である。考えるよりも先に木戸に手を伸ばすと、パンと勢いよく開け放った。


「御免!」


 やいなや、中からどっと溢れ出てきた見知らぬ空気に、とっさに口をとじて息を飲んだ。

 はじめて浴びたヒヤリと重たい風が、渦を巻いてつま先から天頭までまとわりついた。身が硬直して、ふわりと身の毛がよだつ。おそらくこれが殺気と呼ばれるものなのだろう。まるで縄で縛られたようだった。

 にごった気がよどむ室内の暗がりに目を凝らした。


 ――三人……いる。


 囲炉裏のまわりで鞘を引き寄せた侍が三人、片膝を立ている。鈍く青白い光を帯びた双眸を、こちらに突き刺していた。


 ――動かねば……やられる。


 しかしどうしたことか、腰を割って鯉口を切るのはおろか、手を動かすことすらかなわない。なぜだかできないのだ。幼少から何千何万と繰り返してきた動作のはずなのに、呼吸すらも忘れてしまっていた。


 ――息が、苦しい……。


 右端にいた一人が、抜刀の姿勢を解かぬまま、滲ますように低い声音で誰何してきた。


「お前は誰だ、名を名乗れ。妹葉の弟子か?」


 三人はいずれも三十絡みと見える。月代を剃らずに総髪をざんばらに束ね、無精髭をたくわえている。着古した皺だらけの袴と着物からして、主人をもたぬ浪人と見て間違いない。仙台城下でもこうした手合いが往来しているから武次郎にもわかる。

 声を発しようとしたが、口の中が乾いて張り付いていたので、モゴモゴと湿らせたあとに声を振り絞った。やっと口から出てきたのは情けないかすれ声であったが、それで応じるのが精一杯だった。


「ち、ちがう……俺は、妹葉様を訪ねて参った者、大河内武次郎……だ」

「……おおこうち? まったく知らぬ名だ。城下から来た藩士か?」


 首肯で応じた武次郎を睨めまわすと、侍たちはニヤリと嫌らしく嗤いあって構えを解き、そろって囲炉裏のほうを向いた。

 室内からぷんと酒の臭いが漂ってくる。まだ昼だというのに酒をやっているのだ。

 中央の一人が盃を手にしたまま、剣呑に睨みつけ、ダミ声で怒鳴りつけてくる。


「おい青二才、いつまでそこでボサッと見てやがる。戸を閉めてさっさと去ね! 俺たちは家中勤めだろうが、奉行様であろが容赦はしねぇ、叩き斬るぞ!」


 武次郎は言われたまま、震える指先で木戸を閉めた。茫然自失の心地で棒立ちとなり、家の中から響きわたる浪人たちの嘲笑を聞いた。

 やがて、悔しさよりも安堵が胸を覆っていると気がついたとき、頭を落としてしまいそうなほど、がっくりと首を垂れたのだった。

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