「ここが耕末邑、か……」


 地図はおろか封内風土記にも記載されていない僻地の郷は、武次郎が想像していたよりも整然と開けて豊かだった。栗駒山から注ぐ早瀬が郷の中央を流れ、左右に段々となった田畑が広がる。

 家は三十軒ほどあると途中で聞いてきたから、少なくとも百人の農夫が暮らしているはずだ。在郷の卒でもいてくれたら話ははやいのだが、侍の気配らしきものがいっさいしない。


「さて、どこをどう捜したものか。変名をなされていた場合は厄介だが」


 とりあえず農道らしき細道を四五町ほど、あてもなく散策してみた。

 標高が高い山麓の春は遅い。下界とはひと月ほどの季節差がある様子でいて、里を囲む山々では山桜が散在して健気に咲いている。

 田んぼを見わたせばやっと代掻きがはじまり、粟蒔きやよもぎ取り、蘭と椿の植えたてをしている農夫たちの姿があった。

 出羽方面から山を越えて降りてくる風が、春風と呼ぶにしてはいくぶんか冷たいのであるが、城下とちがい微塵や人の臭いというものがない。気が澄んでいる。さっきよりも栗駒山の嶺がありありと望めた。

 ふと目線を落とした先で、小柄な老農夫が一人、腰を曲げてせっせと鍬をふるっている姿があった。農夫の後ろにはまっすぐな畝が何本も長く出来ていて、これを一人でやったのかと思えばたいしたものである。

 武次郎は畑へ歩み寄り、老人に妹葉伝九郎のことを知っているか尋ねてみた。


「はい、妹葉様はこの邑さ住んでおられます」


 老人は鍬をとめて振り返った。


「ま、まことか!?」


 まさか尋ねて一発でたどりつけるとは思ってもみなかったので、武次郎は意表を突かれ目を丸くさせた。


「教えてくれ、妹葉先生のお屋敷はどこだ?」

「……それはァ、此処をはいって、あの杉林の向ごうさある窪地へおりだとごろでござりますが、妹葉様はいまお留守のようでがす」

「お留守、というと?」

「半月ばがりまえ、西側の山道の雪が解げましたので、出羽の方さふらりどお出かけになったきり、いまだにお帰りがないようでハ」

「なんと……しかし家人なり、ご妻女なり、誰か留守番がおられよう?」


 老人は首を振った。


「いンえ、妹葉様は昔がらずっとお一人暮らし。嫁御も子もおられません」

「では先生は、いつ帰ってくる?」

「さァ……いつも一度出ると長いですから。一昨年おとどしだがは、春がら夏にかげて蝦夷えぞど樺太を巡ってきたと仰っていました。色々ど見て歩ぐのがお好きなようで」

「えっ……蝦夷だと? それは困る」


 にわかに武次郎は全身の力が抜けた。忘れていた旅の疲れが重みを増してぶりかえし、ついでにくらりと眩暈がした。


「まずは教えてくれて礼を言う。せっかく来たのだ、先生の御屋敷を訪ねてみようと思う」

「そうですか」

「老人は近所に住んでいるのか?」

「はァい、あの栗の木の向ごうさ見えるのが、おらでがす」

「そうか……世話になった」


 まずは無人でも何らかの手掛かりがあるかも知れない、行き先の書置きでもあったら追いかけるまでと思い、伝九郎の屋敷を訪ねてみることにした。老人に礼を言って分かれたのちは、重い足取りで小道に入った。


 ――なんとしたことか。ようやく訪ね当てたというのに、その人は留守だという。然りといえども、ここまで来て諦めて帰るというのも面白くない。仕方がない、行き先がわからなかったら先生のお屋敷で待たせてもらうことにしようか。ここは城下でもない。隅々まで綺麗に掃除をしてお待ちしておけば、失礼には当たるまい。


 そう思いながら、老人が言っていた杉林をまわりこみ、屋敷に通ずる短い小道を登った。

 土手には名の知れぬ草花が揺れ、まるで訪問を歓迎してくれているようにも思える。街育ちの武次郎にとって、見知らぬ里山の景色だった。


 ――よいところだ。人だらけの仙台城下ともまた違う。


 一尺幅の小川がせせらいでいた。滑らかな置き石の感触を足裏に確かめて渡り、いよいよこの旅路の目的地、忘れ去られた伝説の剣士が暮らす屋敷のまえに、武次郎は立った。

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