二
武次郎は、仙台城下の勾当台に屋敷を賜った下士の家に生まれた。今年で数え二十歳になる。
武芸のなかでも剣術を好み、正式に習いはじめたのは人より早いほうだったといえる。領内に五十数多ある諸流派のなかから、父のつてで天真正伝神刀流遊佐塾に八歳で入門した。当流はあの片倉小十郎が修めたものでもあるから、仙台の武士にとって由緒は深く、城下では盛んなほうだ。
幼少から霜のあした月のゆうべを荒武者たちにまじり、ただひたすら鍛錬に励んできた。甲斐あって他流からも一目置かれる腕前にまで至り、若干十八歳にして藩の武芸指南役の
あくことなく、さらなる道の高みを求めた武次郎は、江戸への武者修行を思いついた。五年、いや、あるいは十年、剣の道の先にある奥院を拝むまでは家に帰らぬのだとまで覚悟をさだめ、両親の反対を押しきり、かくかくしかじか江戸へ出たいので、ついては紹介状を頂戴したいと幽玄斎に申し出た。
ところが、親の次に武次郎の気性をよく知る幽玄斎は、ゆっくりと腕組みをして呆れ顔で首を横に振った。
「ならぬ」
「な、なぜです!? 何がいけないのですか!?」
てっきり教え子の向上心を喜び、諸手をあげて江戸へ送り出してくれるに違いないとばかり思い込んできた武次郎は、反射的にむっとして問うた。
幽玄斎はもの言いたげな目で、真正面から武次郎の顔をしばらく見つめたのち、庭先に目をやり、やっと口を開いた。
「……まぁしかし、やるなと言ってもやるのがお前の気性。おおかた今は、ならば藩籍を返上してでも行ってやるとでも考えているのだろう?」
「う……」
さすがである。図星だった。
「だが、少しは父上と母上のお気持ちも考えてみよ。お前の家は、兄上が夭逝したため男子がおらぬ。残るは妹が一人だけ。となれば父上のご面目と大河内家の将来に関わるは必定。ゆえに儂は口が裂けても是とは言えぬ」
待ってくれと武次郎が首を横に振る。
「
「これ、そのように言うものではない。地震と大火が多い仙台城下にとって、山林方はかけがえのない大事なお勤めである。木は冬の暖となって人の暮らし向きを支え、千石船に姿をかえ領内へ人と富を運ぶ。君公がおわすお城も、山林方が丹念に育てた立派な木で出来ているのだ。かしこくも藩祖
大河内家は代々、
一年中、
きっとそのうち上役が連れてきた女子を嫁にむかえ、家督を継ぐのが関の山。もれなく小さな屋敷と山林方の役目がついてくる。となれば剣の道は永遠に閉ざされ、奥院までたどりつけなくなってしまう。
せっかく十数年も剣術をつづけてきたのに、それだけは断固として嫌だ。それは武次郎にとって今生の意義すら毀損させられるような、振り払いたい悪夢だ。
「それは重々承知しております。しかしながらそれでは私の志に沿わぬと申しておるのです。なにとぞ!」
「まったくお前という奴は……その不遜と
「なればこそ私は江戸へ出て、世の広さと己の小さなことを身をもって知り、道を尋ね自己修養に勉めたいのです。これだけはもう譲れません。不退転の決意にござります」
「ああ言えばこう言うか、困った奴め。さりとて、お前がそうなった責任の一端は儂にもあるのだろうな」
やれやれと溜め息を漏らしたのち、幽玄斎は思いきわめたように言った。
「わかった、ならば紹介状を書いてやろうではないか」
「えっ……まことですか!?」
「ただし! ただしだ、お前が向かうのは南の江戸ではないぞ」
「は?」
「北だ、北へ行け。栗駒山麓にある山里、耕末邑というところである」
「こうまつ、むら?」
かくしてはからずも武次郎は、耕末邑へ遊学することになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます