第55話
シュレポフは木星きっての若手科学者として鳴らした時代があった。暗黒物質を用いた研究を専門にしており、彼の著した『太陽系暗黒物質を用いた新素材利用』は30年以上前の論文にもかかわらず、未だに暗黒物質研究の教科書として研究をリードしている。
「その私が暗黒物質を使うとこういうこともできるのだよ」
今、彼は魚雷艇に暗黒物質散布装置を取り付けた特別機を用いて敵艦隊に向けて微細な暗黒物質を散布していた。粒子状に加工された暗黒物質は艦船のレーダー類を狂わせる効果を持つ。
「暗黒物質、中心濃度30%!敵艦レーダー類及び通信機器においても、有効率が低下しています!」
「よーし、良いぞ…データは逐一、旗艦に送れ。このボルガルが沈むまで、ずっとだ」
「ハハッ!」
シュレポフは笑みを抑えられないとばかりに口角を上げていた。こうも簡単にはまり込んでくれるとは。彼は判明している各軍の軍艦の構造や装備をつぶさに観察していく中で、ある共通点を見つけていた。それは、暗黒物質を感知するレーダーを装備した艦は全く存在しないということだった。彼は今回の戦争前から自身が監督する艦隊の一部に暗黒物質を扱うことができる装備を整え、その作戦に対応したシミュレーションを繰り返していた。
「ラドガが後退を訴えています!」
「退がらせろ!この場は本艦とルーキ、ルーサが引き受けると、退がれる艦は退くように命令せよ!」
「ハハッ!」
反攻艦隊軍事コミッサール名で各部署に命令が発令されていく。コミッサール乗艦のボルガルを殿として、反転の体勢を固めよとの指令である。
「砲艦群、沈黙!レーダーにかすかな反応があるのみで、通信は完全に途絶しています!」
冥王星軍後衛部隊司令部ではオペレーターが驚愕の表情で前線の状況を指揮官に報告している。
「情報参謀、どう考えるかしら?」
「はっ、敵の新技術かと…何かしらの手段を用いてこちらの電子兵装を狂わせているのだと推測されます」
「そうとしか思えないわね」
そう言ってカールスルーエ中将は爪を噛んだ。途中まで上手く行っていた。装甲は薄いが火力だけはある砲艦で敵戦艦群を追い詰めていた。包囲殲滅がもうすぐ完成しそうだったところに、敵の新技術である。
「コメートはどうかしら?」
「艦船の手厚い電子機器がジャミングを受けるほどの効果のある粒子です。影響を受けない保証は万に一つも無いかと」
「八方塞がりじゃない!」
カールスルーエは天を仰いだ。結局、砲艦で仕留めることは諦め、戦艦での長距離砲撃で殿軍を務める敵戦艦3隻を打ち沈めることとした。
「コミッサール同志!敵砲艦が引いていきます!」
「やっとか!」
一方的に攻撃を加え、押し込んでいた冥王星軍前線の砲艦群が退去した。ボルガルのブリッジは歓喜に沸いたが、その次の瞬間には歓喜は冷めていた。
「敵戦艦、主砲射程範囲の限界から撃ってきています!右舷からも、左舷からも…!」
「包囲されているな?」
「ハイッ!」
報告するオペレーターは泣きそうな顔をしている。シュレポフは瞑目した。
「もう、十分戦っただろう。降伏せよ。ボルガルに暗黒物質兵装を集め、ルーキとルーサに移乗せよ。いいか?これは反攻部隊軍事コミッサール命令であり、諸君らの自由意志ではないことを艦隊司令官を通じて中央にも通達しておく」
つまり、この降伏の全責任は自分にあると、シュレポフは木星全軍…ひいては政府首脳に訴えると言っていた。
「私もお供します」
さりとて、ボルガルは沈む。ボルガル艦長は殉じずにはいられなかった。
「そうか。最期の酒の相手が欲しい。ちょうど良かった」
「わ、私も!」
「どうか、同志!」
何人かの将校が声を上げたが、シュレポフは制した。
「ならん。君たちは戦後の木星を支える、大事な人材だ。近い内に捕虜交換の道もあろう。耐えるのだ」
「同志…」
「野郎ども!同志の命は下った!やることをやって、船を去れ!早くしろ!」
かくして、ボルガルの僚艦ルーキとサーキは重要機密を全てボルガルに移した後、白旗を掲げた。
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