第14話 とある帽子屋の考察
商売が軌道に乗り、人手が欲しいタイミングだった。求人依頼をしに向かった職業紹介所で、その場に不釣り合いな少女を見掛けたのは。
仕事柄、少女が被っていた帽子に目が行った。
少し前のデザインだが古臭くはなく、今でも十分使えるその帽子。有名なデザイナーが作る、一点物だったはずだ。
大方、母親に譲られたのだろう。
貴族のご令嬢が、こんな場所に何の用があるのかと興味が湧いた。
「素敵な帽子ね」
話し掛ければ、振り向いた少女はおっとりとした笑みに警戒心を隠して返答する。ありがとうございますと。
「あんた、仕事探してんの?」
更に問いを重ねれば、少女は躊躇いつつも頷いた。
「どんな仕事探してんのよ? あんたみたいなの、下手すれば騙されて、売られるわよ」
元々青い顔をしていた少女は、途方に暮れた声音で、住み込みの仕事を探しているのだと返答する。
どうやら、窓口で相談して、紹介できる仕事はないと断られた後だったようだ。
「ねえ。――刺繍は得意?」
声を掛けたのは、ただの気まぐれだった。
貴族のセンスを取り入れたいという、打算もあった。
リディアと名乗る少女を雇い入れ、店の二階へ住まわせた。
元々仮眠のためのベッドを置いていたから、そこを使うように言えば、嫌がる素振りも見せずに感謝した少女。
雨露を凌げる寝床と仕事を手に入れたことで、ほっとした様子を見せたその姿が、かつての己と重なった。
リディアは、日々真面目に働いた。
教えたことも、すぐに吸収した。
彼女が施す刺繍は客達に好評だったし、近所付き合いも問題なくこなしてくれる。
何より、彼女の手料理はおいしかった。
仕事への姿勢は問題ない彼女だが、妙なのは、貴族を見掛けると隠れること。
だから、街中へ出る時には帽子が手放せない。
そのくせ、昼の買い出しの時間に欠かさず王城へ向かって、誰かに会おうとしている。
「……あんたさ、そんなに、誰に会いたいのよ?」
仕事の合間に、聞いてみた。
「大切な人です。彼に、伝えたいんです。私は大丈夫だよって」
「ふーん。……そいつは、あんたのこと心配してんの?」
「忘れていなければ、きっと……」
想い出に、縋っているような言葉だった。
※
変わらない日々が過ぎて、あっという間に三年が経った。
リディアは、会いたかった人に、やっと会えた。
「グウィニス嬢」
店の扉を開けて入って来たのは、金髪にアメジストの瞳を持つ男。
「……王太子が、こんなに頻繁に城の外をうろついていて、いいのかしら?」
思わず呆れのため息を漏らしてしまうのは、仕方のないことだ。
リディアとイグナスの再会以降、帽子屋には、客じゃない人間の訪問が増えた。
「リディアは今、買い出しに出ているの。休暇中だっていう騎士殿は、うちのリディアについて回っているわ」
問われる前に答えれば、王太子は無礼を咎めることなく、からりと笑う。
「グウィニス嬢には、迷惑を掛ける」
「別に迷惑じゃないわ。男手は助かるしね」
何よりリディアが、嬉しそうに笑っているから。
「それで、ウィルさんは何の用?」
あの夜、この男が王太子だと聞かされて、どれほど驚いたことか。
しかもリディアは王太子の遠縁で、「ウィル兄様」などと呼ぶほどに親しい間柄。
「いや、なに。妃のため、帽子をいくつか注文しようと思ってな」
「それはどうも。どんな帽子がお好みかしら?」
注文書を手に取り、客の求める物をヒアリングする。
「……変わりはないか?」
「そうね。特に変な輩からの接触は、今の所はないわ」
「そうか」
あの晩以降、帽子屋の周囲には、それと知られないように護衛が多数配置されていた。
イグナスが休暇を取ってリディアにべったりなのも、その一環だろう。
いや。あの男は自主的にそうしていて、リディアから片時も目を離したくないだけに違いない。
「あの娘は、ここで『リディア』として過ごすことを望んだが……貴女が迷惑だと感じれば、俺が他の場所を用意する」
「あの子が、望んでいなくても?」
「個人の我がままばかりは、通らんだろう」
男の言うとおり、個は大概、多数に負ける。リディアがいくらここにいたいと願ったところで、周りが否と言い、王太子がその意見に賛同するのなら、リディアの望みは叶わない。
「残念ながら、私はあの子が大好きなの」
恐らくだが、リディアが帽子屋に居続けることを良く思っていないのは、男のほうなのだ。
「リディアは働き者だし、近所付き合いだって円滑にやってくれる。お客様の中には、あの子目当てもいるぐらいよ。店主として、残ってくれるのなら、そのほうがいいわ」
そうかと告げて、男は深い息を吐く。
「あれの両親には……とりわけ母親に、世話になった。彼女自身も、俺の恩人だ」
目頭を揉みながら、天を仰いだ。
「彼女が捨てざるを得なかったものは、他者に奪われていいものではない」
「それを手に入れようとすれば、あの子が危険で、あの子自身が欲していなくても?」
「幸せになってほしい」
「それは、彼がいれば叶うことよ」
「イグナスは優秀な騎士だが、盲目過ぎやしないか?」
毎日欠かさず顔を出すようになった近衛騎士を思い出し、グウィニスは明るく笑った。
「あの子達、いいバランスの二人だと思うのよね」
片方が突っ走れば、片方が止める。
苦手な部分を補い合うような、二人。
「何より、リディアは幸せそうだわ」
「……そうか」
帽子の注文を済ませた王太子は帰り際、話せて良かったと、兄の顔をして微笑んだ。
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