第15話 とある王子の話1
王である祖父が倒れて以降、危うい均衡を保っていた周囲の状況が悪化した。
父の腹違いの姉である第一王女派と、父を支持する第一王子派の争いが激化したせいだ。
王位継承権を持つ俺の命も危ないということで、秘密裏に、遠縁であったアリソン伯爵家へ預けられることとなった。
アリソン伯爵の奥方が、降嫁した王女の孫らしい。
王都から遠く離れた伯爵領内の屋敷。そこには、両親の愛を一身に受ける、一人の少女がいた。
俺と同じ色を持った、愛らしい人形のような女の子。
「わたくしはジェレーナ。あなたのお名前は?」
「……ウィル」
これから、五つも下の小さなレディの相手をする日々に耐えなければならないのかと、うんざりした心持ちで俺は答えた。
「わたくしとあなたは、親戚なのでしょう?」
「……そうらしいね」
「それならあなたは、わたくしのお兄様ね?」
「ちょっと待て。何故そうなる?」
「イグナスにはお兄様が二人もいるの。羨ましいと、ずっと思っていたのよ。だから、お会いできて、すごく嬉しいわ。ウィル兄様とお呼びしてもよろしくて?」
俺にも兄弟はいない。
従兄弟たちとも、別段親しくはない。
王子を兄と呼ぶなどと、無礼な子供だなとも、思った。
「好きにしなよ」
ありがとうと、花開くように笑う彼女は愛らしかったけれど、深く関わってやるつもりはなかった。
「ウィル兄様、見ーっけ!」
そう思っていたのに、どこに隠れても、彼女は俺を見つけ出した。
「わたくし、隠れんぼは得意なのよ。イグナスのお兄様方は、いつも意地悪な場所へ隠れるものだから、ウィル兄様のような方が隠れる場所は知っているわ。イグナスが教えてくれたもの。それとね、隠れたわたくしを見つけられるのはイグナスだけなの。お母様もお父様も、乳母すら見つけられないのによ? すごいと思わない?」
すごいねと適当に返して、また逃げた。
彼女は、顔を合わせる度に『イグナス』の話をした。
イグナスは彼女だけの王子様なのだと、少女は言う。
あまりにも嬉しそうに話すものだから、意地悪な気持ちが湧いた。
彼女のそばには両親がいる。
俺のそばには、誰もいない。
不安と苛立ちを、俺は幼い少女へぶつけたんだ。
「王子なんて、何もできない。自分すら救えない。そんな奴が、誰かを救えるもんか」
市場に出回るロマンス小説。勉強の一環として、いくつか読んだ。
その小説では、王子が必ず、主人公の少女を救いに現れる。
悪役から少女を救い出すのも、窮地に陥った少女へ手を差し伸べるのも、王子の役目。
だけど、本物の王子である俺は、知っている。
王子はそんな、都合のいい存在じゃない。
「ウィル兄様は、王子様でしょう?」
「え?」
知っていたのかと、驚いた。
「わたくし、隠れんぼは得意と言ったでしょう? 大人の秘密のお話も、よく耳にするの」
「……叱られるぞ」
「あら、気付かれなければ、叱られようがないわ」
秘密よと告げた彼女は、軽やかに笑う。
「物語は、夢よ。憧れよ。みんな、そういう存在を求めているんじゃないかしら? それで、現実と違うと気付いているのなら、憧れに近付くように努力なさい。――って、お母様がイグナスに仰っていたわ」
「お前は、イグナスとやらの話ばかりだな」
「イグナスは、とっても素敵な人よ。憧れに近付く努力のできる人」
「そいつの憧れは、何なんだ?」
「王子様。わたくしの、王子様よ。だけど本物がこんな拗ねた子供なのだったら、騎士様のほうが素敵かもしれないわね」
いつも俺を守ってくれる騎士のほうへと視線を向けてから、彼女は微笑んだ。
「そうね。騎士がいいわ」
イグナスに言いに行かなくちゃと言って、彼女は俺に背を向け駆けていく。
少し先で躓いて、すぐに体勢を立て直してまた駆け出した少女を見送りながら、胸に渦巻いた感情から目を逸らした。
何故だか、酷く悔しかったのだ。
※
城に戻り王太子となった俺は、ある年の騎士叙任式で、聞き覚えのある名を耳にした。
イグナス・グリーンシールズ。
まさかと思った。
あの幼い少女が度々口にしていた名前は、『イグナス』だった。
秘密裏にアリソン伯爵邸に滞在している俺のせいでイグナスが来られないから、自ら遊びに行くのだと言って頻繁に少女が出掛けていた先は、ウォルシュ子爵邸。
イグナス・グリーンシールズは、ウォルシュ子爵家の三男らしい。
まさか、彼女が「騎士様のほうが素敵」と言ったから騎士になったというのか?
それは、どんな阿呆だ。
元々、気に入った新人が見つかれば、自分の近衛騎士として迎える予定だった。だから、叙任式後の騎馬試合も見に行った。
ただの阿呆かと思ったイグナスは、かなりの実力者だった。
引く手あまただった彼を、俺が勝ち取った。権力の力だ。
もう一人。イグナスを負かした新人も手に入れた。
ちょうど、歳が近い信頼できる騎士が欲しかったのだ。
大人びたことを言う生意気なあの少女が、あんなにも信頼を寄せていた少年ならば信じられそうだと思った。
結果、あの時の新人二人――イグナスとアヴァンは、俺の腹心となっている。
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