第9話 とある夜空の下での出来事

 この二カ月ほどで日課となった、夜の外出。

 その道中で掛けられた言葉。


「あんたさ、なんか、焦ってない?」


 行く先なく、住み込みの仕事を探していた彼女へ救いの手を差し伸べてくれた人。

 住処と仕事を提供してくれたグウィニスの言葉に、彼女は、返す言葉が見つからなかった。


「これまで、慎重に動いてたじゃない。騎士には貴族がうじゃうじゃよ。あんた、大丈夫なの?」


 グウィニスには、彼女の事情は一切話していない。それでも何かを察して、匿うように、守ってくれていた。


「酒場のことを提案したのは私だけどさ、ちょっと派手に動き過ぎてない? あんたって、命狙われてたりするんじゃないの?」

「……グウィニスさんには、何でもお見通しですか?」

「何でもなんてわかんないけどさ。あんた、危ういのよ」


 少し甘えたくなって、母や姉に甘えるように、腕を絡めてすり寄ってみる。

 義姉達はよく、そうして身を寄せ合っていた。それが、いつも酷く羨ましかった。


「グウィニスさん。大好きです」


 ああもう!と言いながら立ち止まったグウィニスの胸に抱きしめられた。

 柔らかで、いい匂いがして、ほっとする。


「私も好きよ。大好きよ。だからさ、なんて言うか……諦めないでよ。大丈夫だから。小娘一人ぐらい、私が守ってあげるから!」

「それ……ずっと、ほしかった言葉です」


 こんな風に、出会って三年程度の人からもらえるなんて、思っていなかった。


「父は、いつも言っていたんです。お前は強い子だから、しっかりしてるから、安心だって」

「……そんなこと言われたら、がんばっちゃうわよね。無理って言うの、封じられちゃった感じ」

「父の後妻さんは私のこと、手の掛からない可愛げのない子だって」

「何それ? 世話を放棄する言い訳みたい」

「義理の姉達からは、完璧過ぎて腹が立つって、言われました」

「そんな言葉、相手にする価値なし! ただの妬みじゃない。ていうか、あんたは全然完璧なんかじゃないわよ。世間知らずのぽやぽや娘で、危なっかしいったらないわ」

「グウィニスさんの言うとおりです。だけど……そんな中で、彼は」


 イグナスだけは、彼女のダメな部分も、苦手なことやできないことも全部知った上で、寄り添ってくれていた。

 何も言わず慈しみ、守ってくれていたのだ。


「だから、ただ……会いたくて。死ぬの、怖いです。死ねって思われてるのも、すごく怖い。悲しい。対策はしてきたけど、もしかしたら、まだ邪魔な存在かもしれなくて。いつ見つかるかって、毎日、怖い。でも、イグナスに一生会えないなんて……耐えられそうにないんです」


 一人でなんて生きられない。

 強くなんてない。

 グウィニスとのように、新たな関係を築いた今。それらを捨てて見知らぬ環境へ向かうのも、怖くて動けない。


「私、多分、助けてって言おうとしてる。縋ろうとしてる。彼なら何とかしてくれるって、思ってる」


 ごめんなさいと、誰に当ててかわからない言葉が、こぼれ落ちた。


「大人だってね、一人じゃがんばれないのよ。無理な時は助けてって言うわよ。それでいいの。そうじゃなきゃ、潰れちゃうのが人間なの」

「……このままだと、グウィニスさんにも迷惑を掛けるかもしれません。だから、そろそろ潮時かなって、焦ってました」

「バカねえ。あんたに声掛けた時から、訳ありなんて察してたわよ。おこちゃまは、黙って守られてなさい」

「陰湿な貴族が相手ですよ」

「貴族がなんだってのよ。庶民舐めてんじゃないわよ」


 自信満々で宣言されて、不思議と心が軽くなる。


「グウィニスさん。私、どうしたらいいと思いますか?」

「そうね――」


 微笑んだグウィニスは、涙で濡れた頬を両手のひらで拭ってくれた。


「まずは腹ごしらえね。お腹減ってると悲しくなるのよ。今日もグウィニスさんのおごり!」

「いつも、すみません」

「あんたが来てから仕事が楽になったし、毎日楽しいし。それにあんまり食べないから、全然負担じゃないわよ。むしろもっと食べなさい」


 当然のように繋がれた手に、前へ進もうと促される。


 義姉達とも、こういう関係が築きたかったなと、彼女はこっそり思った。


 手を引かれて歩く夜道は優しくて。少し前まで胸の奥でつかえていた重苦しい不安は、いつの間にか、霧散していた。

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