第10話 とある飲み会
急いで仕事を終わらせたのに、王城の敷地内から出られた時にはすっかり夜の帳が下りていたのは、三人目がついて来たせいだ。
「すぐに会えそうな手掛かりは酒場だけなのに、彼女が既に帰った後だったら、貴方のせいです」
イグナスから怒った声で告げられて、三人目は素直に謝罪を口にする。
「なんでついて来ますかね。騎士だらけの酒場です。当然、気付かれますよ」
アヴァンにも怒られたが、三人目はからりと笑い、走る速度を上げた。
「あいつらもお前たちも慣れているだろう。気付いても、うまく対処するさ」
簡素な服を着た王太子と私服姿の近衛騎士が二人、夜の街を駆け抜ける。
それとはわからないように、護衛も付いていた。
万が一、王太子に何かがあってはならない。そのための手続きに時間が取られたのだ。
たどり着いた一軒の酒場の前で、乱れた息を整えてから二対の瞳が向かった先は、イグナスだった。
緊張した面持ちでイグナスが頷くと、アヴァンを先頭にして店へと入る。
入店した三人に気付いた客たちの喧騒が静まりかけたが、何事もなく盛り返した。
こうしてうまく対処できるほど、この国の王太子は、こっそり街に出ているということだ。
入口に立ったまま客たちの顔をざっと見たが、目当ての女性は見当たらない。
適当な席に腰を下ろして注文をしたが、イグナスは、落胆が隠せなかった。
「まだ、これから来るのかもしれないぞ」
「そうですね。知り合いがいたんで、ちょっと聞いてきます」
アヴァンが席を立ち、残された二人は、静かに言葉を交わす。
「仕入れた情報だと、毎日必ず来る訳ではないようだ」
「そう、なのですか……」
「時間も一定ではないらしい」
黙り込んでしまったイグナスの肩を、王太子が強めに叩いた。
「早く、見つけてやろう」
「……はい」
飲み物が運ばれてきた頃に、ちょうどアヴァンも戻ってきた。
度数の低い酒を煽ってから、アヴァンが口を開く。
「今日は、まだ来ていないようです」
しばらく待ってみることが決まり、アヴァンが料理を適当に注文した。
イグナスは心がざわめいて落ち着かず、ハイペースで酒を煽るも、全く酔えそうにない。
「お前、俺の存在を忘れていないか?」
王太子から指摘され、イグナスは長いため息を吐き出した。
「何故ついて来たんですか」
「仲間外れは嫌いだからだ」
「ただの野次馬ですよね」
「アヴァンは、はっきり言い過ぎだぞ」
「俺は今、何の役にも立ちませんからね」
「そうだろうなぁ」
「イグナスにしては、珍しい」
どこか楽しそうにアヴァンが告げて、追加の酒を注文する。
「まあ、飲んで食え。ここには騎士がうようよいる」
笑顔の王太子に促されて料理に手を付けたが、味は全くわからなかった。
その後、何度か来店があったが、彼女は姿を見せない。
明日の昼前に使用人用の門で待ってみるかと思考を切り替え、そろそろ帰ることを提案しようとしたイグナスの耳に、先程までとは違うざわめきが届いた。
どうやら、新たな客が来たようだ。
無意識の内に視線を向けた先、入口に立っていたのは、女性が二人。
一人は黒髪で、もう一人はつば広の帽子を被っていて顔が見えない。
夜に帽子を被っているなんて、妙だなと思った。
店内の騎士達も、声こそ掛けないがその女性達を気に掛けている。
そして何故か、イグナスのこともチラチラと見ていた。
「さすがに、お店の中で帽子って変じゃないですか、グウィニスさん」
「こんな明るい場所で、泣き腫らしたぶちゃいく面を晒したいの?」
「だからお家で食べましょうって言ったのに」
「だって、材料何にもないんだもの。お腹ぺこぺこなのに!」
「今日は外食の予定だったから買わなかったんですよ。傷んじゃうじゃないですか。でも、何かは作れましたよ」
「私達が注目を集めるのなんて、今に始まったことじゃないわ。見られてたって気にしなきゃいいのよ」
「私、変な子ってことですか?」
「あんたはお人形さんみたいに可愛くて、私は美女ってこと」
黒髪の女性の言葉に、帽子の人物が楽しそうに笑う。
そんな二人に近付こうとしていたイグナスに気が付き、黒髪の女性が鋭く睨んだ。
「それ以上近付くんじゃないわよ、色男。今日は女二人でお腹いっぱい食べるんだから」
空腹の女は怖いのよと言われ、微かに怯む。
「お二人の邪魔をしたい訳ではないんです。ただ、確かめたくて」
「何をよ」
冷たくあしらう黒髪の女性。向かいの席では、様子を伺おうとした連れの女性が帽子をずらし――澄んだアメジストが、イグナスの姿を捉えた。
上から下まで。ゆっくり往復する間に、桃色の唇がぽかりと開かれていく。
いくら待っても続きを言わないイグナスを訝しみ、黒髪の女性が眉をひそめた。
夜空色の瞳が見つめる先に気が付いて、己の連れへと視線を移す。
「リディア? 間抜けな顔して、どうしたの? 顎、外れた?」
開いた口を無理矢理閉じられて、慌てて帽子を深く被り直してから――立とうとして、座って、だけどまた立ってと、途端に挙動不審になる帽子の女性。
「……大変です、グウィニスさん」
最終的には立ったまま、呆然とした声がこぼれ落ちた。
「何よ? どうしちゃったの?」
「い――イグナスです。すごく格好良くなった、イグナスがいます。想像していた何倍も素敵な、大人のイグナスです! 幻ですか? 夢ですか?」
「え! やだあなた、グリーンなんたらさん?」
いつの間にか静まり返った店内で、注目を集めていた三人が口を閉じれば、訪れたのは耳に痛いほどの静寂。
店内にいるのは常連ばかり。店員も客も、リディアがイグナス・グリーンシールズに会いたがっていたことは、よく知っていた。
最初に硬直が溶けたのは、イグナスだった。
素早く距離を縮めた彼は手を伸ばし、帽子のつばに手を掛ける。
あっけなく外れた帽子からこぼれたのは、乱れた金の髪。
泣いた後なのだろうか、精巧な人形よりも整った顔立ちをした女性の目が、赤く腫れていた。
「……泣いたの?」
問われ、彼女の顔が、くしゃりと歪む。
「お、憶えてる?」
それはきっと、酒場の客だった騎士たちへと託された、イグナスへのメッセージ。
「憶えてるよ、全部」
「わかる?」
「うん。君だって、わかる」
「忘れられたって、思ってたよ」
「ごめん。気付くのが遅くなって、本当にごめん」
言葉と共にぽろぽろ涙をこぼしていた彼女は、何故か黒髪の女性の名を呼び、助けを求めた。
「グウィニスさん。助けてください」
不出来な妹へ向ける優しい笑みで、黒髪の女性が応じる。
「可愛い顔の時に会いたかったのにね〜。可哀想にぃ」
「本当ですよ。こんな……ぼろぼろで。干からびます……」
「私は腹ペコで死にそうよ。ねえちょっと! 注文!」
泣きながら、へたりと椅子に座ったリディア。
当然のように隣へ腰掛けて、懐から出したハンカチで止まらない涙を拭うイグナス。
そんな二人を尻目に注文を完了させたグウィニス。
「想像と違うが、面白いな、これ」
「とりあえず、涙が止まるのと腹が満たされるの待ちのようですね」
王太子とアヴァンは離れた席で様子を伺いながら、静かに酒を傾けていた。
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