第8話 伯爵令嬢の、とある真実
ある日突然、長年仕えてくれていた侍女がいなくなった。挨拶もなく、こつ然と。
他の使用人に聞いても目を逸らすばかり。
そんなことが何人も、何人も続いた。
誰の仕業なのかはわかっていたけれど、悲しいことに、彼女は無力な子供だった。
それを痛いほどに思い知った出来事だった。
※
父が後妻を迎えた時、病気で亡くなったお前の母様の代わりだと言っていた。まだお前には母親が必要な時期だからねと、優しいがどこか疲れた笑みで告げられたのだ。
母の代わりが必要なのは父のほうだとわかっていたから、彼女は何も言わず、受け入れた。
継母には二人の娘がいて、夫とは死別したらしい。
同じ境遇だった継母は、愛する人を失った父の心に寄り添った。
初めはうまくいっていた。
ぎこちなくも、家族の形は保てていた。
変わったのは、父が死んでからだ。
事故死だった。
出てきたのは、後妻を迎える前に書いた遺書だけで。
財産は全て、娘であるジェレーナに譲ると書かれていた。
そこから、全てが音もなく崩れていった。
父は恐らく、継母とその娘を愛していない訳ではなかったはずだ。
ただ、遺書を書き換えることを忘れていた。己が突然死ぬなどと、考えていなかっただけ。
更に状況の悪化が加速したのは、継母の腹に、父との子がいるとわかってからだった。
出されるお茶が毒入りになった。
食事にも、毒が入っていた。
幸い、事前に気付いて口にすることはなかったし、彼女は料理ができたから、自分の口に入れるものは全て自分で用意するようになった。
料理ができたのは、幼馴染みの気を引きたくて練習したからだ。
幼い彼女が初めて一人で焼いたミートパイは焦げて食べられた物ではなかったけれど、その頃には上手に焼けるようになっていた。
その彼からは、手紙を出しても返事は来ない。
恥ずかしがり屋で、異性の気持ちに鈍いところのある人だから仕方ないと思っていた。
父の葬儀へ来てくれた彼の瞳は、変わらず彼女を好きだと告げていたから。だから、耐えられた。
庭を散歩していたら、隠れた穴に足を取られて躓いた。
倒れた先には、埋められていたナイフの切っ先。ギリギリ、頬を掠めただけで済んだ。
重たい壺が頭上から降ってきて、真横で砕けたこともあった。
ある晩。
自室で眠っていたら、扉の鍵が開けられる音で目が覚めた。
咄嗟に、彼女は隠れた。
幼い頃、隠れんぼをした時に見つけた隠れ場所。
誰も彼女を見つけられず、夜になっても見つけてもらえなかったから、そこで眠ってしまったことがあった。そんな彼女を見つけたのは、幼馴染みの彼だった。
ベッドの下。床板をそっと外すとそこは床下収納になっていて、継母や義姉達に取られたくない宝物をそこへ仕舞っていた。
彼女は、そこへ身を滑らせ、隠れた。
間一髪、部屋の扉が開けられて、静かな足音がベッドへ近付く。
とすんと音がして、直後に布団がめくられる音。
「……いない? どこへ消えたの?」
継母の声だった。
足音が部屋を出ていった後も、恐ろしくて、朝が来るまでそこから出る勇気は湧かなかった。
隠れていた場所から這い出た彼女が見つけたのは、ベッドの上に置いてあった、母と父がくれたお気に入りの人形。
贈られた時に同席していた幼馴染みに名前を付けてもらった、想い出の品。
「エイミー……なんてこと……」
たまたま手元にあった本の登場人物の名前を彼が適当に付けた、彼女と同じ髪と瞳のお人形。それが、ずたずたに切り裂かれていた。
流石に、これは対処できないと思った。
この家を出るしかないと思った。
その方法は、結婚すること。アリソン伯爵家の人間ではなくなることだ。
手紙を書いた。
何度も。何度も。
私を愛しているのなら、どうか早く迎えに来てと、何度も縋った。
返事は来なかった。
死にたくなかった。
痛いのは嫌だった。
怖いのも嫌だった。
イグナスの父であるウォルシュ子爵へも助けを求める手紙を書いたが、これにも返事は、ついぞ届かなかった。
たくさん考えて、調べて。出した答えは……ジェレーナ・ローゼンフェルドを、殺すこと。
「――提案があります。お義母様」
取り引きは成立して、彼女は、死んだ。
初めは、国外に行くつもりだった。
継母から死ねばいいと思われているのは知っていたから、実母の遺品と己の持ち物をこっそり処分して、路銀は自分で用意していた。
王都に立ち寄ったのは、確かめたかったからだ。
本当に、彼は忘れてしまったのか。最後に知りたかった。
その結果……囚われて三年。
己は愚かだと、彼女は嗤う。
命を賭けて、何を得ようというのか。
彼のためと思いつつ、真実は自分のためなのだと、自覚している。
会いたい。ただ、会いたい。
あの人に、会いたい。
声が聞きたい。
夜空のように優しい瞳に、映してほしい。
今でも、こんなにも愛している。
本当に、なんて――愚かな女なのだろう。
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