第7話 とある食堂での出来事

 王城内には、食堂が数か所ある。

 多くの人間が働く場所であるため、一カ所ではまかないきれないからだ。

 近衛騎士と他の騎士でも、使用する食堂は異なる。専用という訳ではないのだが、棲み分けのようなものは存在していた。


 昼時。

 イグナスは、食事のためではなく、第一騎士団の団長を探して食堂を訪れた。

 急ぎで確認と署名が必要な書類があったからだ。


 ぐるりと食堂内を見回して、何故だが注目を集めていることに気が付いた。

 勤務中であるために近衛騎士の制服を纏っているが、近衛騎士も、この食堂を全く使わない訳ではない。

 不可思議な注目の中で目当ての人物を見つけ、目的を果たしたイグナスは食堂から去ろうと踵を返す。


 だが、そんな彼を呼び止めた者がいた。


「い……イグナス卿!」


 所属先と名前は知っているが、特に親しくはない相手だった。

 その騎士は、緊張した面持ちで用件のみをまくし立てるようにして、告げる。


「伝言を、預かりました! 真夜中の探検で、見つけた幽霊の正体。憶えていますか?」

「…………は?」


 思考が停止した。


 真夜中の探検?

 幽霊?

 何故その単語を、この男が紡ぐのか。


 イグナスの思考が停止している間に、食堂内が騒がしくなっていく。


 事情を知っているらしき騎士達が、イグナスへ声を掛けた人物を責め立てる。

 その声たちは、「秘密にする約束をしていた」「リディアちゃんをグリーンシールズに渡すつもりか」「十分モテているくせに」「俺たちの天使が」などと口々に叫んでいる。


「だって! リディアちゃんはきっと、すっごくイグナス卿に会いたいから、あそこに来てるんですよ! だからこそ俺たちに話し掛けて来るんじゃないですか! 寂しそうな笑顔より、嬉しそうに、笑ってほしいじゃないですかッ!」


 イグナスに声を掛けた人物の反論に、その場が静まり返る。


「……伝言とやらは、それだけですか?」


 聞き覚えのある名だった。

 王太子が言っていた、リディアという人物の特徴は――金髪に、アメジスト。

 珍しくはあるが、平民にも皆無ではない色合い。


「他に、彼女は何と……? 俺に、何と伝えろと」


 声が震えた。

 目の奥が熱くて、鼻の奥が痛くて、歯を喰いしばる。


 有り得ない。


 だけど、本当に?

 

 遺体は確認していない。

 イグナスの両親も兄達も、駆けつけた時には埋葬が終わっていたと言っていた。

 遺体を確認したのは、全てを早々に葬り去ったのは……アリソン伯爵の後妻と、その手の者数人。

 義姉達ですら、遺体は見ていないと言っていた。

 毒殺の証拠は見つからず。出てきたのは、自殺を裏付けるものばかり。


 だけどもし、隠された事実があったとしたら……?


「教えてください。その女性は、俺に、何を伝えようとしていたのか」


 あまりにもイグナスが必死だったからか、血走った目で詰め寄られるのが恐ろしかったからか、ぽつりぽつりと、彼らは教えてくれた。


「俺が預かったのは、丘の向こうの花畑の色を憶えているか、だよ」


「……俺は、お気に入りの人形の名前。憶えているかって」


「焦げてしまったパイは、何のパイ? だってさ」


 重複しているものが多かったが、それらの質問と答えは全て、死んでしまった婚約者へ繋がるもの。


 ふと思い出し、慌てて上着の内ポケットを探ったが、あの四つ折りの紙は洗濯に出す際、読まずに捨ててしまっていた。


「ありがとう、伝えてくれて。彼女はどこにいますか? リディアと言う名のその女性は、今どこに?」

「俺たちが会うのは、いつも酒場だったから。彼女と連れの女性の名前以外は、知らないんだ」


 最初に伝言を教えてくれた騎士の両手を握りながら何度もお礼を伝え、最後に食堂内の全員へ深く頭を下げてから、イグナスは駆け出した。


 向かったのは、使用人用の出入り口。

 見知った門番へ声を掛ける。


「パーシヴァル! 今日、彼女は来ましたか?」

「彼女って……もしかして、リディアちゃんのことか?」

「そうです! 彼女の、俺宛の手紙は!」

「いらないって、知らないって言ってたじゃないか。突然どうしたんだ?」


 怪訝そうにしながらも、これまでと変わらず、門番は彼女からの手紙をイグナスへ手渡してくれた。


 四つ折りのその紙を、イグナスは初めて開く。



『あなたが、初めて自分で稼いだお金で買ってくれた贈り物を憶えているかしら? 今でも、大切に持っているわ。私はあなたをいつまでも愛しているけれど……どうか気に病まないでと、伝えたいの』



 見覚えのある筆跡だった。



 イグナスが、初めての給与を握りしめて買ったのは――髪飾りだ。

 二人で見た花畑と同じ雪色の花びらに、イグナスの瞳の色の宝石を飾った、独占欲の塊のような贈り物。


「……っ、パーシヴァル、彼女が勤めているという帽子屋は、どこに? 何という名の店か、知っていますか?」

「さあ……? そこまでは、聞いてないな」

「そうか……。ありがとう。彼女の存在を、捨て置かないでくれて……葬らずにいてくれて……本当にありがとう」


 そこでも深く頭を下げて、イグナスは再び駆けだした。

 急ぎだった書類を提出してから、次に向かったのは、王太子の執務室。

 息を整えて入室してから、仕事の報告がてら、耳打ちする。


「ジェレーナが、生きているかもしれません」


 顔色を変えないまま、すぐに王太子は動いてくれた。

 休憩を言い渡し、イグナスとアヴァンを連れて王太子妃と王女がいる私室へ入る。

 それはよくあることで、歳が近い者同士のほうが気楽だというのが、王太子の言い分だった。


「イグナス。さっきのは、なんだ? ついに狂ったか」


 人払いした部屋の中、開口一番正気を疑われ、イグナスは苦い気持ちをそのまま顔に浮かべる。


「狂っていたって、どちらだって良いではないですか。アヴァンと殿下が会わせようとしていた娘に、会う気になりました。酒場とやらはどこですか? 帽子屋を把握しているのなら、そこでも構いません」


 アヴァンに何度か誘われたのだ。飲みに行こうと。過去からの手紙ばかりを読んでいないで、気晴らしへ行こうと誘われていた。

 何となく、そこにはリディアという名の娘がいるのではないかと思って、行く気にならず断り続けていた。


「お願いです、殿下。確かめなければ本当に、気が狂いそうなのです」

「……何があった?」


 王太子妃が淹れてくれたお茶を飲み、心を落ち着けてから、イグナスは告げる。

 食堂で受け取った伝言。門番から受け取った今日の手紙。その内容について。


「酒場は把握している。だが、帽子屋は見つけられていない」


 イグナスの話を聞き、最初に口を開いたのは、アヴァンだった。


「動きはとろいが、頭がいいようでな。尾行しても、まかれるんだ」

「アヴァンからの報告を聞いて、何やら裏がありそうな娘だとは思っていたが……よもや、アリソン伯爵令嬢が生きているという話になるとはな」

「ですが、有り得ない話ではないと思いませんか? 味方がいない、王子様も助けに来ないと悟った彼女は絶望したのではなく、己の身を守るために最善を尽くしたのではなくて?」

「ナターシャ様、王子というのは……?」

「貴方のことに決まっているわ、イグナス」


 穏やかに告げられて、イグナスは閉口する。

 己は騎士で、王子ではない。

 恐らく王太子妃が言っているのは、女性が好む物語の中で、窮地に陥った主人公を助けに現れる存在のことだ。この国では、それは大抵、王子という肩書で描かれる。


「気に掛かっていたのでしょうね。貴方の性格を思えば、気に病むに違いないと。だから彼女は、貴方に伝えようとしていた」

「ですが……ジェレーナは、手紙が俺に届いていなかったことを知らなかったはずです。彼女を見捨てたかもしれない相手のために、そんな危険を侵すでしょうか?」


 尾行をまくということは、身の危険を感じているということだ。

 安全を考えるのなら、国外に出るのが最良のはずなのに。


「わたくしには、真実はわかりませんが……もし、見捨てられた訳ではなかったと気付いたのなら? 愛する人のため、危険を侵すこともあるかもしれませんわ」


 王太子妃の言うとおり、真実はこの場の誰にもわからない。

 だからこそ確かめる必要がある。今この時も、危険にさらされているかもしれない彼女のために――。

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