第6話 とある酒場での出来事

 夜の帳が下りて、仕事を終えた人々が集まり室内の空気が温められた頃、女性が二人、一軒の酒場へ足を踏み入れた。


 一人は、豊かな黒髪にアメジストの瞳を持つ、しっとりとした色気を纏った美女。はち切れんばかりのバストへ視線を向けた数人の男達が、ごくりと生唾を飲み込んだ。


 美女の連れは、系統の違う美しい女性だった。


 緩やかに波打つ金糸の髪は上品に結い上げられ、後れ毛が垂れた首筋は白くほっそりとしていて、力加減を間違えれば一瞬で折れてしまいそうな儚さがある。

 瞳は、黒髪の美女のアメジストよりも微かに色が薄いようだ。

 桃色の唇は艷やかで、優しく啄みたくなる愛らしさ。

 対して黒髪の美女が持つ紅が引かれた唇はぽってりとしていて、むしゃぶり付きたくなるほどに、うまそうだ。


 会話を忘れて二人に魅入る男たちの視線の中、女性達は空けられた席へ腰を落ち着けた。

 慣れた様子で黒髪の美女が注文する間、金髪の女性は物珍しそうに、店内を見回している。


 透明度の高いアメジストに観察するような視線を向けられて、無意識に男たちの背筋が伸びた。


「グウィニスさん」


 鈴音のように凛とした声を、桃色の唇が奏でる。


「来てみて気付きました。イグナスは、こういう場所には来ないと思います」

「あら、そう? 男の全てを女が把握できるとは、思わないことね」


 黒髪の美女から返された言葉に、拗ねたように桃色の唇が尖った。


「お酒を飲むイグナスなんて、想像できません」

「グリーンなんたらさんは、何歳だっけ?」

「私の二つ上なので、今は二十歳です」

「それじゃあまだ、酒も女もこれからのお子ちゃまね」

「グウィニスさんからしたら、大抵の相手がお子ちゃまなんじゃないですか?」

「ちょっと、どういう意味よ!」


 形のいい鼻をつままれて、金髪の女性が涙目で抗議している。

 異質な存在だった二人の仲睦まじい様子で酒場の空気も緩み、徐々に喧騒が盛り返した。


 女性たちのもとへ飲み物が届けられ、すぐに用意できるつまみも並べられる。


「お子ちゃまなリディアちゃんには、ジュースよ」

「何のジュースですか?」

「ニンジン」

「え……」

「うそよ。ブラッドオレンジのジュース」

「それなら好きです」


 ほっとした様子でグラスに口を付けた金髪の女性はどうやら、人参が嫌いなようだ。

 向かいの席でジョッキ入りのビールを飲みながら、黒髪の美女が楽しそうに笑っている。とても可愛がっている相手なのだろう。


「制服姿じゃないと、どれが近衛騎士なのかわかりませんね」


 しょんぼりした様子で葉野菜の浅漬けをつついている金髪の女性を一瞥してから、黒髪の美女は答えた。


「そんなことないわよ。近衛騎士って、式典とかでも見られる場所に立つから、見目がいいのが多いの。それに仕事柄か、お行儀もいいのよね」

「なるほどー」

「騎士が集まるって言っても、近衛騎士がここに来てるかまでは、私は知らないけどね」

「騎士との繋がりができるだけでも、打開策になり得るかもしれません」


 澄んだアメジストが再び店内をぐるりと見渡したと同時、二人の会話に耳をそばだててていた隣席の男が二人、立ち上がる。


「俺たち、近衛騎士なら知り合いにいるけど」

「お呼びじゃないわ。去りなさい」


 ぴしゃりと黒髪の美女に追い払われ、素直に引き下がることもできない男たちはその場にとどまり、言い募る。


「本当だって。俺たち、城で働いててさ」

「お姉さん達、イグナス・グリーンシールズのファンなのか? さっき、そいつの話をしてたよな」


 そんな男たちに向けられた、澄んだアメジスト。

 あまりにもまっすぐに見つめられたことに、男たちはたじろいだ。


「お気遣いに感謝します」


 優雅に微笑み、金髪の女性が告げる。


「ですが、宝探しは自分でやり遂げてこそ達成感が得られるもの。ご助力の申し出はありがたいですが、遠慮させていただきますわ。どうぞ、お戻りください」


 たおやかな指先が男たちが座っていた席を示し、有無を言わせぬ雰囲気に二の句が告げなくなった彼らは、すごすごと退散する。

 それを間近で見ていた黒髪の美女が何故か、呆れのため息をこぼした。


「あんたのその貴族っぽいのが気に入って採用したんだけどさ。アレルギー、平気なの?」


 きょとんとした後で、金髪の女性が慌てだす。


「平気じゃないです。ダメです。グウィニスさん風だと、『お呼びじゃないわ。去りなさい』でしたっけ?」

「似てないモノマネありがとう」


 黒髪の美女が腹を抱えて笑い始め、金髪の女性も頬を緩めて笑顔になり、何かのモノマネを繰り返す。

 どうやらそれは黒髪美女の真似のようで、似てはいないが特徴を捉えているモノマネを眺めながら、黒髪美女がゲラゲラ笑いつつ酒をあおる。


 微笑ましい二人の様子に、その後は邪魔をしようとする無粋な男は現れなかった。


「それで、さっきのだけど」


 笑いをおさめた黒髪美女が切り出して、金髪の女性は、問うように視線を向ける。


「あんたは、どうして追い払ったの? 私の真似?」


 何でもないことのように、彼女は答えた。


「死んだ父の教えです。笑顔で優しい言葉を吐きながら近付いて来る相手には、必ず下心があると」

「へえ。あんたのお父さん、何してた人?」

「商人……です。船が転覆して、帰って来ませんでした」

「だからあんたは、路頭に迷ってたのね」


 泣くのをごまかしたような、下手くそな笑みを浮かべた金髪の女性は、少し迷ってから首肯する。


「それとですね、彼らは騎士ではありません。あの手は剣を握る人のものではないし、身体付きも、戦う人のものではなかったですから」

「それで?」

「城で働く人間であることが事実だとして、彼にたどり着くまでに、遠くてはダメです。門番も、料理人も、メイド達も、仲良くなったけれど彼にはたどり着けなかった。だから、もっと近い存在を狙うため、私はここへ来ました」


 ジョッキの中身を飲み干してから、黒髪美女が、にやりと笑う。


「合格。あんたのそういう所、大好き。また連れてきてあげるわ」

「……私も、グウィニスさん、大好きです」


 頬を染めて嬉しそうに笑った彼女は年相応の少女らしく。今にも泣きだしてしまいそうにも、見えた。

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