第2話 辛い気持ちの人へ

【注意】この話は自殺に関する内容が含まれます。不快になったり、辛い気持ちになる方は読まれないようにお願いいたします。



 ざぱぁん、ざぱぁん


 風が冷たく、強く吹く場所。

 ここは海に面した崖の上。辛い思いをした人達が身を投げることで有名な場所。


 僕、タコヤキ・マンはある目的を持ってこの場所にやってきた。赤いマントが潮風になびく。


「あの、すみません」

 今にも身を投げそうな40代位のスーツの男性は僕の声に振り向いた。


「えっ! うわ、ええっ?! 」

 僕の姿に驚いて、彼は危うく崖から落ちそうになる。咄嗟に僕は彼に手を伸ばして、彼の身体を崖の方から僕の胸の中へ引き寄せて抱き締めた。


「ごめんね。驚かせてしまったね」

 彼の顔が僕のマヨネーズに当たっている。ああ、冷たいかな?ごめんね。


「ええ、あんた、何???」

 男性はパニックになっているようだった。おだやかな僕の心は静かに彼に事実を伝えた。


「僕はタコヤキ・マン。ヒーローだったものです」


「はいっ?」

 彼はまだ理解できないようだった。


「身を投げようとしていましたよね?」

 と言うと、ようやく何かを理解したようだった。


「あ、ああ、そんな格好で笑わせて、止めようとしに来たのか。そんなことしても無駄だぞ? 今日止められても、俺の辛い現実は変わらないし、死にたい気持ちもなくならないんだ!

 辛いことを肩代わりしてくれる訳でもないのに、生きることを強要するな!」


 余程辛かったのだろう。彼の顔はげっそりと痩せていたし、目は赤く腫れていた。


「別に生きろなんていいませんよ」

 僕は広く広がる海を眺めた。


「えっ」

 彼は僕の顔を見上げた。彼の顔には僕から落ちた青のりが散らばっていた。


「世界は不平等で残酷で、生きるのは辛いんだ」

 僕の声が波の音の中に消えていく。


「今日の僕の話、聞いてくれますか?」

「はぁ」

 明確な彼の返事を聞かぬまま、僕は今日のことを話始めた。


 ◆


 ふふーんふふーん

 今日の店主はご機嫌だった。鼻歌まじりに僕を焼いた。


「おい、ちょっと熱いんだが」

 僕の声にも耳をかさなかった。


 店主の妻の幸子さんがやってきて、

「そんなにすき焼き楽しみなの? 幸せな人ねぇ」と店主の様子を見て笑った。

 どうやら、店主の今日のご飯はすき焼きになる予定らしい。だが、店主の晩餐と僕の焼き具合は関係ない。やるべきことはちゃんとして欲しかった。


 何度も声をかけた。だか、世界は無情で、僕の身には残酷な現実が残った。


「やめろおぉぉぉ」

 命の限り、僕は叫んだ。だが、もう手遅れだった。僕は丸くなっていた。


 僕は僕は、何なんだ。


 それが今日僕がこの場所に来た理由だ。


 ◆


「なんでここに来たんですか?」

 目を開けると、彼が僕の変わりに泣いていた。


 なんて優しい人なんだ。僕の自分勝手な思いだが、彼には生きて、その優しさで穏やかな世界を作って欲しかった。


「僕は、大切な、タコを入れ忘れられて、そのまま丸く焼かれてしまって。

 もうたこやきでも、タコヤキ・マンでもない、ただの『焼き』である自分は熱い意味もなくて、早く冷めて早く命つきたくてここに来たんだ。ここは風が強くて冷めるから。

 だから、僕にはあなたの気持ちはよくわかる。こんなダメな僕のために泣いてくれるあなたはとても優しいから、勝手だけど僕はあなたに僕の変わりに生きて欲しい」


 僕は恥ずかしくて、口に出すのも躊躇われる事実を彼に伝えた。そう、今日の僕は本当は名乗る名前もない、『何か』でしかない。潮風を浴びたから、多少塩味にはなったかもしれないけれど。


「そんな、ひどい! なんてひどい店主なんだ。自分はすき焼きを食べる予定で、大事なことを忘れるなんて。

 その、俺はあなたに何て言ったらいいのかわからない。申し訳ない」


 優しい彼は、更に涙を流していた。僕のかつお節が彼の涙に引っ付く。


「本来、人を救うはずのヒーローが、こんなんで申し訳ない。こんな僕の為に泣いてくれてありがとう」

 冷えきった僕の身体から意識が途切れていく。


「そんなことはないです。少なくとも私はもうここから身を投げようとは思わない」

 彼の力強い言葉が、僕に明日も生きる希望をくれた。


 今日の僕がただの『焼き』なら、すき焼きは何で出来ているのかな?


 すき焼きを見たことがない僕はそんな疑問を抱きながら、旅立った。


 世界はとても無情で残酷だけど、明日には、優しい誰かに会うことも、知らない何かを知ることも出来るかもしれない。


 決して完璧ではないヒーローは、それでも毎日、生を受ける。

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