第1話 狂人




 まばゆい光が部屋中を照らしている。光に照らされているのは散乱した紙、謎の液体や物体。それらは全て、公の市場では出回らない情報と物ばかり。


 もし、たった1ページでも、一欠片でも、世に出ようものなら世界中から手に入れようと争奪戦が始まるだろう。


 これらのものには、それだけの価値がある。


 さて、そのあまりに莫大な価値を持つそれらを無造作に置いているこの部屋。ここが異常であるとはすぐに察せられると思うが、それよりも異常なものがあった。


 異常なもの、というより恐ろしく悍ましいものというべきだろうか。少し大きなリュックサックほどの大きさを持つ容器。それに入っているのは人の骨。それもその骨は全身のものである。


 白骨ではなく、黄ばんだボロボロの、今にも崩れそうな状態で、その骨はとても古いものであることが窺える。


 そして、それをうっとりとした表情で見つめる老人がいた。


「あぁ、素晴らしいとは思わんか?」


 口端は吊り上がり、その瞳には狂気を内包している。狂人、ということばがピッタリ合いそうな彼は、オトルスの創始者にして、数千年を生きる化け物、マーヴァミネだ。


 声をかけられた彼女はミラオーネ、愛称はミラ。彼女は棚に置かれている鳥の頭蓋骨を取り、眺めていた。けれど、つまらなそうな表情をまったく隠していない。


 不本意ながら、ここにいるのだ。


 というより、強制的に連れてこられたのだから、不本意であるのは当たり前だろう。


 そんな彼女は、顔をマーヴァミネへと向け、口を開く。


「あなたがこんなに狂っているなんて思わなかったわ」


 吐き捨てるような口調、そして答えにならない返答にマーヴァミネは顔を上げてミラを見た。


「狂っているとは……完全に間違いでもないので否定し難いが、ここはあえて否定しておこう。だが、ミラ。お前がそんなことを言うようになるとはな」


 鋭い瞳で射抜かれたミラは、何事もないかのように振る舞っている。けれど、それはただの虚勢だ。彼女自身、そんなことはわかっていた。それにマーヴァミネも、それを見抜いている。


「私は昔から何も変わってないわ」


 取り繕うように、彼女は言葉を紡ぐ。その声は少し震えていた。ほんの少しだが、その震えをマーヴァミネを感じとり、そこからミラの心境を推し量ろうとする。


 そして彼の推量は、的外れというものではなかった。


 ミラの感じる恐れを、見抜いていた。そしてそれを楽しんでいた。


「ふふふ、自分が変わったかどうかなんて、本人にはわからないものだろ?」


「それなら、あなたが今、狂っているということも、自分自身のことなのだからわからないんじゃないの?」


 揚げ足を取るように、ミラはそう反論した。


「……狂っているかどうかというのは他者からの主観によるものが大きい。お前から見れば私は狂っていると思える、と。それは間違いではないのかもしれない」


「間違い云々じゃなくて事実よ」


「だが結局のところ、お前以外の人間から見れば私は正常かもしれないのだ」


 ミラの声を無視し、マーヴァミネは話を続けた。その主張は正しいものなのか。それは各個人が判断する領域になっているかもしれない。


 正常と狂人と、それらを分けるのは多数派というものでしかないのだから。


「言葉遊びですね」


 強がり、とは違うのだろう。ミラは心底呆れたような態度なのだから。冷めた瞳、吐き捨てるような口調が、それらを裏付けする。


 ミラは飽きたのか持っていた鶏の頭蓋骨を棚に戻し、マーヴァミネの方を向く。


 毅然としている表情に、全てを見通すような瞳。


「昔のあなたであったなら、こんな回りくどい言い回しで否定することはなかった」


「それはお前の記憶が美化されているからだろう」


 にべもなく、切り捨てる。その声には少しの動揺があった。それはミラにも、誰にも伝わらない動揺だった。けれど、本人は自覚していた。


 自分が変わったということを自覚させられたのだ。それまで概念としては理解していたものを現実のものとして直視するというのは、やはり誰であっても難しいこと。


 平静な心境で、自分の心を見つめるとなると、さらに難しくなる。


「そうね、そうかもしれないわね」


 その様子をミラは諦めたかのように見つめる。


 それを聞いたマーヴァミネは、関心を失ったかのように視線をミラから骨へと向ける。


 水のように透明なその液体、その中で浮遊する骨。その光景は悍ましさを人に抱かせる。


 それは、かつて魔神だった男の遺骸。骨だけとなったそれを後生大事に、マーヴァミネは両手で持ち上げ、見つめている。


 まるで、惚れた女の手紙を本物だとわかっていながらそれでも疑う男のようだ。


 ミラは、部屋を後にする。もはや、かつてのマーヴァミネはいない。もちろん、そんなことはとうの昔からわかるようなことだった。だが、それを実際に直面すると、どうしようもないほど悲しくなったのだ。


 マーヴァミネは、去っていくミラの背をチラリと視線を移すも、すぐ視線は手元の遺骸に戻った。


 二人の間の溝を埋め切るには、あまりに、あまりに長い時間が横たわっていたのだ。



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