第2話 朝





 朝、目が覚める。


 家の窓から微かに光が漏れているのが見える。


 口を開けて寝ていたからだろう。喉はカラカラで、水を欲している。


 凝り固まった体をほぐすため、腕を伸ばす。ゴロゴロとゆっくり寝転がって体の調子を確認してから、腰を曲げて上半身を起こす。首をふり、違和感がないか確かめる。


 確認が終わってようやく、右手を突きながら立ち上がる。


 いつもの朝だ。


 何も変わらない朝。


 昨日はがあったのに、いつものように朝は来たのだ。


 それは、とても不思議なことに思えた。


 まるで、昨日のことは夢だったのかと思うほどに。


「朝ごはんよ」


 そう言って、母が僕を呼んだ。


 居間に入ると、台所から母が料理を運んでいるのが見えた。背には妹を背負っている。


「早く座りなさい」


 父が食器を並べながら、そう言った。僕が席に座ると同時に、母が麦粥の入った鍋を中央に置く。


 父は母から匙を受け取って麦粥をよそって、上座に腰を下ろした。母は僕と自分の分をよそって父の隣に座った。


 僕は目の前に置かれた匙と麦粥を眺めて、父の方を見る。


 父はボソボソとお祈りを唱え始めた。僕と母はそれを黙って眺める。いつもの光景だ。神に祈るのは一家の長の務めだ。


 家族は黙って見ているしかない。もちろん、母に背負われている子はスゥスゥと眠っているだけだが。


「それじゃあ、いくぞ」


 父の言葉に促され外に出れば、まだ肌寒い。太陽がようやく全て見えるようになったばかりの高さだからだろう。


 けれど、照りつける光は昼ごろが暑くなることを嫌でも感じさせる。


 光に当てられながら、庭に植えている豆を取っていく。村で食べれる量しか取れないその豆畑から、毎朝豆をとるのだ。


 それなりに、大きい畑で今日が収穫日の最終日だ。


 この豆を村の人たちに配り、他の野菜をもらう。一人で全てをするのは無理だからだ。


 一部の人は村の外へ出る。サソリや他の大きな哺乳類を取りに行ったり。


 役割分担をして、生活をしているのだ。


 収穫が終わると、太陽が少し上向いてきている。今日はもうすることはない。


 向かうはいつもの場所だ。


 小さな木が生えている村の広場。そこでは母親たちが片手間というか、慣れた動作で晩御飯の準備をしながら、やれ誰々が何をしたとかそんなことをいつも話している。


「遅い」


 開口一番に、マーヴァことマーヴァが、そんなことを言ってきた。背後で呆れた表情をしているのはミラことミラオーネだ。明らかに、こいつらは……と思っているに違いない。


 わかるよ。いつも喧嘩ばっかしてるって思ってるんだろ?


 僕も学習するんだよ。そう視線で伝える。


「ん、んん」


 喉を整えて、マーヴァに声をかける。


「君と違って僕は朝から仕事をしていたからね」


 ピキッ


 そんな擬音が聞こえてきそうな、マーヴァの表情の固まりよう。


 まただよ、とミラが額に手を置いて天を仰ぐのが視界に映った。


「そうだな。お前は仕事の効率が悪いから遅くなるんじゃないか?」


「そう? お父さんと同じぐらい頑張ったと思うよ」


 にこやかな笑みでそう返答すれば、向こうも笑みを返してくる。


 ──どうやら、僕たちは通じ合っているようだ、なんてそんな平和な頭をしちゃいない。これは拳と拳を突き合わすそんな戦いの合図だ。


 頭の中では、剣戟の音、叫び声、むせかえるような血の匂い、土埃が舞い、信じられるのは自分ただ一人のみで、味方さえ、背後からミスで刺してくるかもしれない、そんな光景が浮かび上がる。


 緊迫の中、ついに拳を振り抜き──


「喧嘩はやめなさいって言ってるでしょう!」


 いっつも、この広場で子供たちを見ているイオ婆だ。


「あいからわず、あんたたちは飽きもせずようやるこった」


 もはや呆れも含んだ声で、こちらへと向かってくるイオ婆。


 僕とマーヴァは振り上げた拳を持て余し、しようがなく下ろす。


 僕たちがもう喧嘩の続きをしなそうだと見たのか、イオ婆は『仲良くするんだよ』と言って去っていく。


 毒気を抜けられた僕は木に背をもたれて日陰に入る。しれっとマーヴァが僕の前に立ち、日陰に入り、ミラだけが日当ひなたに残された。


 明らかに「こいつらの中には女性に対する配慮というものがないのか」といった視線が向けられる。


 だが、だが! 言わせてもらおう。こういうものは機を逃した方が負けるのだ。ただそれだけのことよ。


 伝わったかはわからないが、そういった視線を向けてやれば、怒りの表情とご対面。


「ワラオヌス?」


「はいっ」


 ビクリと体を震わせ、応えれば


「変わってくれるわよね?」


 チラリとマーヴァを見る。目を逸らされた。


 裏切り者! そう叫びたいが、それでさらなる顰蹙を買ってしまうのは避けたい。


「ね?」


 心底、冷え切ったような声で、肯定するように言うミラ。恐ろしさのあまり、ガクガクブルブルと体が震えてしまう。


「……はい」


 負けました。ミラの圧には耐えられませんでした……。



 日当に立ちっぱで僕はジリジリと我が身を焼く太陽としてくれと頼んでもないのに蒸してくる空気を呪う。


 ミラはルンルンと鼻歌を歌いながらマーヴァと話している。


 内容は、僕が遅くきたというのに日陰をとったことについて延々と話している。そんな僕を辱めて楽しいのか? 恨むぞ?


 二人の話が弾む中、僕は急に不安になった。


「昨日のこと、覚えてる?」




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