至るべき高さ

エリー.ファー

至るべき高さ

 ここから先の物語に一切の責任を持つことはできない。

 過去にも行った宣言の中から使えそうなものを幾つか抜粋するのみである。

 光。これがキーワードとなる。

 掴めないものを掴もうとした結果が身長になる。静かに体は大きくなり、そこには必ず痛みが伴う。

 いずれ、私たちはそのことを知るだろう。

 もしかしたら、既に知っているかもしれないが。

 往々にして、向上していく精神を大切にしたがるのは凡人の証である。まるで、自分を遠ざけようとする精神が、結果として、自らの凡人的要素を浮き彫りにしているという自覚がある。

 悲しいかな。

 それは、大切だ。

 特別さを理解するための平凡さということである。

 覆い隠すべきなのは、きっと私の中にある発言だ。一つ一つをまとめあげることこそが大切である。実際のところ、それは遥かに難しく往々にして失敗に終わる。

 けれど、やらなければならない。

 どうせ、誰もやらないのだ。

 やる前から挑戦しない。

 もしかしたら、そう。

 運がよかったら上手くいくはずなのに。

 運が悪かったら失敗する、という至極当然な結論に身をゆだねようとする。

 馬鹿らしい。

 どうせ、至らないだけではないか。

 最悪、死ぬだけではないか。

 命が一つ。人生が一つ。実験が一つ。

 潰えるだけだ。

 普通なら。

 幾つか並行行えばいい。そのうち、関連する要素も出てくるし、何かが花開くこともある。

 量より質と言うが、あれは大間違いである。

 そもそも、質を計測できるような人間であるというところに、大きな、極めて大きな驕りがある。

 私たちは、人間である。

 綺麗な石と汚い石の区別をつけられると思っている。どちらが上位存在で下位存在であるかを明確に分けることができると思っている。

 では。

 綺麗な意志と汚い意志では。

 綺麗な意思と汚い意思では。

 綺麗な石と汚い石と綺麗な意志と汚い意志と綺麗な意思と汚い意思の、並び順は。どうやって決める。

 同じジャンルじゃないから決められないという言い訳なら、聞き飽きた。

 そもそも、同ジャンルにあるものばかりなわけがない。というか、そうではないものの方が圧倒的に多い。

 比較検討できないから、現実に存在するものを無視する。自分の論理を守るために例外を受け入れない。そうすれば、現実はあなたのことを永遠に無視し続けるだろう。

 論理のために現実があるのではない、現実からあふれ出て来たものに論理があるのだ。

 都合の悪い現実を見ようとしないのは、賢いわけでも聡明なわけでも優秀なわけでもない。ただのプライドの高い凡人が盲目であることを隠しているだけだ。

 人間なんて、五本の指が二つ。いや、四種類か。いや、六本の人間もいると聞いたことがあるが、別にいい。ここではさほど重要ではない。

 仮に指が十本なら。

 十が限度だ。

 最高でもそれくらいしか数えられない。

 量でさえその程度だ。質なんて到底理解できない。そもそも、質なんてものがあるのかを最初から疑った方がいい。自分がまだ無知だと自覚があった頃に、何の疑いもなく刷り込まれた思考を疑ったほうが良い。

 

 君は、そんなに、優秀じゃない。

 数えられる限界も両手の指が限界だ。

 ましてや物事の質なんて分かりゃしない。

 自惚れるな。

 しかし。

 みんな、そうだ。

 その程度だ。

 よく団栗の背比べなんて言葉があるが、あの諺の本質は、大して差がないということではない。

 正確に測れる者なんて、そもそもいないということだ。

 あの人も、この人も、あっちの人も、こっちの人も、誰もが皆、団栗なんだ。

 分からないんだ。

 視点も視界もほぼ同じ。

 測り方すら分からない。

 遠くから見ようと移動すれば転がってしまい、二度と立ち上がれない。動物に齧られるか、雨風に晒されて腐って死ぬ。

 動けない。

 これが、私たちだ。


「面白い話ですが、欠点があるように思います」

「言ってみなさい」

「そもそも、団栗に目などありませんし、もっと言うなら意思もない」

「なるほど。それで何が分かる」

「より絶望的です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

至るべき高さ エリー.ファー @eri-far-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ