第62話 全部まとめて
翌週土曜日。
その日は早い時間帯からなんと巧がキッチンに立って調理をしていた。まさか彼が料理をしてくれるとは夢にも思っておらず、キッチンに来た私は驚きで停止した。
いや、巧といえば実は私より料理が上手い。何度も作ってもらったことはあるし、私が彼に作った回数より多いくらいだ。
でもまさか、誕生日にも作ってくれるなんて。
……普通男女逆じゃない? 今更だけど巧なんで私なんかがいいの?
黙々と調理を続けた彼はどんどん品数を増やしていった。私にはまるで出来ない手際のよさだった。
その日は和食らしく、丁寧で見栄えもいい料理でテーブルが埋め尽くされていく。
「いや、巧……引くぐらい凄い」
「引くなよ」
全て完成した頃、私は本当にちょっと引いて言った。
所狭しと並ぶおいしそうな料理たち。嘘でしょ、これ全部作ったの?
「初めに言っておくけど巧の誕生日期待しないで」
「はは、期待してない」
「それはそれでムカつく」
「別に人間得意不得意があるのは当然だろ。俺は昔から結構好きだったんだよ料理。別に男だとか女だとか関係ないと思うし。さー飲むか」
彼は冷蔵庫からお酒も取り出す。私は飛び跳ねて席に座った。
「やった、明日休みだしいっぱい飲める!」
「ほんと酒好きだな杏奈は」
「凄い料亭みたい、豪華な一日。巧ありがとう!」
素直にそういうと彼は笑った。二人分のグラスを並べて乾杯する。
そして箸を持って食事を口に運ぶと、唸ってしまいそうな味付けで感嘆した。
「おっいし、何これ」
「それはよかった」
「巧いいお嫁さんになれるね」
「嫁はお前だ」
笑いながらお酒も口にする。うん、最高。
久しぶりに訪れた穏やかな休日にホッと息をついた。
ついに私も二十八。去年は色々あった年だった。
二次元にしか興味ないけどばあちゃんの喜ぶ顔が見たくて巧と結婚して。その後ばあちゃんは亡くなっちゃたけど、巧とはまさかの恋愛がスタートして。
……信じられない一年だったよほんと。
つい一人でふふっと笑ってしまった。巧が不思議そうに見てくる。
「あ、ごめん。少し前の自分じゃ考えられない誕生日で」
「今まではどうしてた?」
「えー都合が合えば友達とご飯行ったり。でもこの年にもなると、みんな結婚したり子供いたりするから予定合わないことも多いから。普通に一人でオタ活してた」
「まあ、俺もそんなもんだったけど」
箸でご飯を食べながらぼんやりと思い出す。
「だからこんなに全力で誰かに祝ってもらえたのいつぶりだろうって。もう誕生日なんてさして嬉しくない年だけど、やっぱり嬉しいね。祝ってくれる人がいると」
目の前に座る人に笑いかけた。
ほんとそうだよね。巧と出会う前も趣味と仕事で楽しかったけど、また違った喜びを知ることが出来た。この人ときたら色々変な人で大変なこともあったけど、今思うと笑い話になる。
人と時間を共にするってこういうことなのかな。過去の失敗すら笑って話していける。
「ほんと変な感じ。変な感じだけど凄く幸せ。いい一年だったよ。来年もこうやって出来たらいいね」
心の底からそう言う私を、巧はじっと見つめていた。
私は目の前の料理を口に運びながらお酒を嗜む。美味しいものに囲まれて最高に気分は高揚している。
そう来年も、再来年も。こうやって楽しくいれたらな。あーでも完璧すぎて巧の誕生日どうしよ、困ったや。
一人色々考えながらもぐもぐ咀嚼していると、巧が口を開いた。
「杏奈」
「ん?」
「俺今から変なこと言うけど笑わないか?」
「内容による」
「ははっ、そこ笑わないよって言うところだよ馬鹿」
巧は自分で笑ってしまったあと、すっと席を立った。そして私の方まで回ってくると、隣の椅子を引いて腰掛ける。
私は不思議に思いながらその行動を黙って見ていた。
巧は私の隣でしばらく沈黙を流したあと、ポケットを漁る。そしてそこから出てきた物を私に差し出して、優しい声で言う。
「杏奈。結婚してほしい」
彼が持っていたのは指輪だった。
手にしていた箸を落とした。カランと高い音を立てて転がり床に落ちる。それを拾う余裕もないほど、私は呆然として小さな輪を見ていた。
巧は優しく笑いながら言う。
「ま、もうしてるんだけど。でも俺たちの婚姻は、契約上の始まりだったから」
「……」
「これは契約じゃなくて、一人の男としてのプロポーズ」
ただ呆然と、彼の顔を見上げていた。
私たちは戸籍上夫婦だ。
でもそれは愛のある結婚じゃなかった、ルームシェア状態から始まったこと。
その後恋に落ちた私たちは、付き合うところから始めようだなんてめちゃくちゃなルートを辿っていた。
それからも色々あって。大変で。
でも二人でやっとここまで来れた。
「……巧」
「笑わないの? もう結婚してるじゃんって」
「わら、わない」
声が震える。彼の持つ指輪をそっと触った。
「わ、私でいいのかな……? 私オタクだよ」
「知ってる」
「結構ズボラだし」
「知ってる」
「家事もそんなに得意じゃないし」
「知ってる」
「なのに」
「全部知ってて、杏奈がいい」
目の前が滲んだ。驚きと嬉しさの涙だった。
今で感じたことのない、最高の幸福感が自分を包む。
「お願い、します」
未だ震える声でそう答えると、巧が私を抱きしめた。熱い体温が溶け合う。
「いいの? 俺結構性格悪いけど」
「知ってる」
「細かいし嫉妬深いよ」
「知ってる」
「頭良くて将来の藤ヶ谷社長だよ」
「あは、急に褒めるじゃん!」
「事実だから」
笑いながら私を離した彼の顔を見上げて、私は頷く。
「全部まとめて、巧がいい」
めちゃくちゃ変わった順路を辿った私たちは、この日ようやく本当の夫婦になった。
結婚から始まって付き合い、結婚に終わる珍しい形の二人だ。
それでもこうじゃなかったら、きっと私はここまで来れなかった。
かけがえのない存在を、得ることは出来なかったんだ。
「……あ、そうだ。もう一個プレゼントあった」
私の薬指に指輪をはめたあと、巧が思い出したように言う。
近くの戸棚を開けて何やらゴソゴソと漁った彼は、小さな紙袋を取り出してきた。それを私に差し出す。
「はい、お誕生日おめでと」
「あ、ありがとう……」
指輪まで頂いたと言うのに。そんなにたくさん買ってくれなくてよかったのにな。私はおずおずと受け取り、中身を取り出してみる。なんだろう、あまり大きくない、ブランドでもない紙袋……
「…………
うわああああああああ!」
次の瞬間、私の絶叫がマンションに響き渡った。
「おおおおオーウェンの限定フィギュアああああ!! 手に入らないやつつううう!!」
「おま、声がで」
「どうしたのこれ?! 超レアなんだよ!!」
「指輪より喜んでないか?」
「ひゃーーー巧ありがとう! 大好き!」
「指輪より喜んでるな」
巧は呆れて私を見ている。それに気づきながらも、オーウェンをテーブルの上に置いて拝むのに夢中だ。
「俺とオーウェンどっちがいいおと」
「オーウェン」
「即答すんな」
「三次元が二次元に敵うわけがない」
「最大のライバルが二次元だとは思ってなかったよ」
不愉快そうに口を尖らせた巧に笑いながらふと思う。
そりゃ二次元は最高なんだけどさ。
巧と色々上手くいかなかった時は……オーウェンでさえ全然輝いて見えなかったし、ときめけなかったんだよな。
ちらりと彼の横顔を見る。
でも、これは内緒にしておこう。言ったらこの男、調子に乗りそうだもんな。
私は一人笑った。
<完>
最後までお付き合い頂きありがとうございました!
あと少しサイドストーリーなどをのせます、どうぞよろしくお願いします!
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