第63話 サイドストーリー




 子供の頃から、俺が本当に欲しいものは全て兄が持っていった。





 こういう言い方をすると物を横取りする意地悪兄貴を持ってるのかと思われるがそれは違う。子供の頃は至って仲のいい兄弟だった。


 兄の巧は小さな頃から頭がよかった。それがちょっと有名で、むしろそんな巧を自慢の兄だと思っていた時期もある。


 更には成長するとともに身長はぐんぐん伸びてキリッとした男前に育ち、しかも藤ヶ谷グループの跡取りとなれば女にモテないはずがなかった。


 いや、俺は別に藤ヶ谷を継ぎたいなんて思ったことはない。強がりでもなんでもなく、小さな頃から巧が継ぐんだって分かってたし、自分の性格上社長なんか無理だって分かってる。計算高くて腹黒い巧にはピッタリだと思ってる。自慢じゃないが俺もソコソコモテる方だ、そんなステータス無くても結構だった。


 ただ。周りのやつらはみんな「次男で残念だったな」「可哀想」だとか言ってくるのが次第に鬱陶しくなってきていた。頭がいいことを比べられるのも迷惑していた。徐々に俺はその苛立ちを巧にぶつけていた。


 でも決定的だったのは。俺が小学校からずっと好きだった幼馴染の女がよりにもよって巧を好きだと判明したことだ。


 唯一俺を可哀想呼ばわりしない子だった。四年も片想いして、そのうち告白せねばと思っていたんだが、伝えるまでもなく玉砕。彼女は俺を告白の道具として使おうとしていたからなおさらショックだった。


 逆恨みだって分かってた。でもどうしても、俺は巧をもう好きにはなれなかった。ヤツは外面がいいだけで性格は悪いし、なんでこんなヤツがあの子に好かれるんだって納得行かなかった。


 ちなみに「俺が好きな子は巧が好き」という形はそれが初めてじゃない。子供の頃からいっつも、その形ばっかりだった。






 それから兄弟は必要最低限の会話しかせず育った。まあ、男兄弟ってみんなこんなもんなのかな。


 ちょっと嫌がらせをしてやろうと巧が付き合い出した女の噂を聞いたらこっそり接触しに行ってやった。誓っていうが寝取ろうだなんて思ったことはない、本当にからかってやろうというつもりで近づいたんだ。


 ところがどっこい。巧は頭はいいのに女を見る目が本当に無かった。どの女も美人だったけど俺に言い寄られて満更でもない顔をし、挙げ句の果てには「巧みには内緒だよ」とかいって二股かけようとするやつもいた。あーあ、天下の藤ヶ谷巧、全然女に愛されてないじゃん。


 全部巧にバラすまでが俺の嫌がらせだ。でも巧はドラマとかにありそうな「俺の女に近づくな!」とかもないし、ショックを受けた様子もなかった。「お前暇かよ」とか呆れるぐらいで俺を怒ったこともないし、その後すぐ女と別れてた。


 どうやら見る目がないというか。見るつもりもないらしい。巧は恋愛に本気にならない男らしかった。いつだったかポロリと「忘れられない子ならいる」と漏らしていたが、それを引きずってるんだろうか。



 そんな巧がある日突然結婚するだなんて聞いて信じる馬鹿いる??




 会ってみたらそこそこ美人のシャキッとした人だった。両親は何も疑わず受け入れてニコニコしてたが、よっぽど馬鹿だ。俺は確信していた。


 多分金目的で近づいた女で妥協したとか、はたまた籍だけ入れて実は愛し合っていないとか、そんなパターンだと踏んだ。


 いつものように巧がいない時を見計らって奥さんに会いに行ってみた。これまでの経験から、あの子も絶対俺が言い寄ったら満更でもない顔をするんだという自信があった。


……それがまさか、押し倒してみても表情一つ変えず「床ドンってこんな感じなんだ」とか言ってくる天然だとは夢にも思ってみなかった。






「俺のところにおいで」


 自分の口からそんな言葉が漏れて、俺自身驚いた。


 風呂上がりでラフな格好をしてる杏奈ちゃんは目を丸くして驚いた。


 彼女がどうやら本当に巧が好きで、今まで見てきた女とは違い決して軽薄な人じゃないことはすぐに分かった。見た目と違ってどこか抜けてるし結構弱い。恋愛経験もほぼないと見た。それを見抜いていた自分は、ことあるごとに彼女に会いに行っていた。今まで出会ったことがないタイプだから単純に面白かったからだと思っていた。


 もう巧との仲をどうこうしてやろうなんて思ってなかったし、本当に単純に彼女が面白いから付き纏っていただけだ。新しいオモチャを見つけて遊んでいた子供と同じ。


 でもそのオモチャが一人悲しみ、苦しみ、強がっている姿を見た途端突然俺の中から不思議な感覚が生まれた。それで出たのが上のセリフだ、信じられない。


「そうはいかないよ」


「なんで」


「樹くんに彼女とかできたら大変だよ」


「言ってる意味分からない?

 俺にしておきなよって言ってるんだよ」



 なぜ俺はこんなことを言ってるのだろうか。


 仮にも義姉で、出会ってそんなに一緒の時間を過ごしたわけもなく、別に二人が離婚しようがどうしようが何も関係ないはずなのに。強がって痛みを隠そうとしている顔を見ていてもたってもいられなくなった。


 もし彼女が俺のところに来るというなら本気で受け入れようと思った。心の傷が癒えるまでずっと馬鹿みたいに笑っていようと思った。巧になじられても、両親に勘当されても、そんなのどうでもいいと思っていた。


 それはやっぱり巧への嫌がらせをしたいからなのか。


 それとも??




「私……よくわかった」


「うん」


「今日樹くんと過ごして楽だし楽しかったの。巧はバカ高い靴すぐに購入したりするし器用そうに見えてアホなんだけど」


「うん」


「樹くんといてもずっと巧を思い出してるの。アホな巧がいい、私ここを出ていきたくないよ……」



 俺が押し倒しても表情一つ変えないその人は、巧のこととなるとこんなにも綺麗な涙を流す。


 それは何より、なんでかは分からないがあのアホな男を本気で好きなんだろう。


 アホなのに。くたばれ。くたばっちまえ。





 巧に電話をかけて、何も知らない奴を十分に焚き付けてやった。杏奈ちゃんのことになるといつも必死になってるあの男が帰ってこないわけがない。アホだけどどうやら彼女に対しては本気なんだと俺は知っていたからだ。


 前他の女とホテルに入るのを目撃して電話で怒鳴ってやったとき、「忘れられない女とは杏奈のことなんだ」と気まずそうに暴露されればさすがに疑えない。


 あのアホが帰ってきてからどうなるかは、さすがに杏奈ちゃん次第だ。


「巧のこと嫌ってるのに、なんでこんなにしてくれたの……?」


「勘違いしないでほしいなあ、俺は巧のためになんて動いたこと一切ないよ。でも杏奈ちゃんは好きだからそのままにしておけなかっただけ」


「でも……」


 用を終えた俺は玄関に向かって行く。申し訳なさそうにしている彼女に軽く笑いかけた。


 さっきのセリフが本心だったなんて、絶対に知られてはいけない。墓場まで持っていくつもりだった。じゃなきゃ、絶対この人気にしちゃうもんな。


「俺の理想は二人が円満に離婚して、スッキリした杏奈ちゃんが俺の家に来る! これが最高の終わり!」


「ええ……」


「とゆうわけで、待ってるよー、電話してね」


 最後まで笑顔を絶やさず手を振ると、彼女は何が何だかわからない、という顔をして俺を見送った。その表情を見て安心した、多分こっちの本心には気がついていない。


 バタンと玄関が閉まる音がして、ちゃんと鍵が掛けられたのも確認する。よしと頷いて、リズム良く足を踏み出した。


 エレベーターを呼び出す。意味もなく明るい鼻歌を歌ってみた。しばらく経って到着し扉が開く。


 その箱に乗り込むと、中には鏡があるタイプのエレベーターだった。それに一瞬映り込んだ自分の顔が、最高に泣きそうだったのに今更気づく。


 情けない顔。大丈夫、だよね、多分あの人の前ではちゃんと笑ってたはず。


 ため息をついて一階のボタンを押した。扉がゆっくり閉まっていく。




「ほら。俺が本当に欲しいもんは、いつだって巧が持ってくんだ」






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