第59話 隠し事はもうしない

 まさに動画を一時停止したかのような停止ぶりに、不謹慎ながら私はちょっと笑ってしまいそうになった。


 巧は床に置いておいた鞄から何やら資料を取り出す。それをパラパラめくりながら言った。


「調べさせていただきました。まず第一に、これは調べるまでもなく私の耳に入っていたことですが、安西グループの経営はここ数年かなり傾いている」


 安西家は固まったまま、誰も動いていなかった。巧はさらに続ける。


「もし私と唯さんが結婚となれば安西グループにとっても大きなことでしょうね。両親に聞きましたが、あの見合いはそちらからかなり強引に進められたと。残念ながら見合いはうまくいきませんでしたがね」


 ゆっくりと、まず唯さんのお母さんが首を動かした。唯さんとお父さんをじっと見ている。


「さて次に。先ほども申した通り、私は爆睡している唯さんを置いて帰宅したわけですが……その周辺で、唯さんは夜な夜な行きずりの男性と関係を持っている。調査で少なくとも三人は判明しています。さて、お腹の子の父親は誰でしょう?」


 巧は持っていた資料を閉じ、それを机の上を滑らせながら安西さんに差し出した。安西家の顔色は真っ青で、人間ここまで顔色が変わるのかと心配になるほどだった。


 私は隣の巧をちらりと見上げる。凛とした表情はいつもの巧とは違う。そういえば、最初に契約結婚を持ちかけてきた時もこんな感じだったっけ、って思い出した。


 ようやく口を開いたのは、唯さんだった。


「お、覚えてらっしゃらない? 巧さんもかなり酔っていたでしょう。記憶を失ってるんですね、私はちゃんと覚えていますよ。あの夜」


「まあ、最も簡単な方法がありますよ。DNA鑑定です。科学の力は最も信頼できますからね。どうぞ鑑定してください、髪の毛でも何でもお貸しします。これだけ私が自信満々に言えるのは、唯さんとは何も特別な関係じゃない事実があるからですよ」


 唯さんの言葉に被せて巧は淡々と述べた。三人は呆然、と言った様子で私たちを見ていた。最初の余裕はどこにも感じられない。


 つまりは、だ。


 巧と唯さんを何とか結婚させたかった。巧にも酒を飲ませて誘って、既成事実を作りたかった。残念ながら危機を感じた巧は逃げ出したわけだが、唯さん本人も酔っ払って裸で目覚めたから成功したと勘違いしたのだ。


 それから念のため他の男性とも関係を持って無事妊娠、堕ろせなくなるまで黙って、確実に巧と結婚できるように計画した……


 ……怖すぎじゃない。いつだったか巧と見に行ったホラー映画よりよっぽど怖い。


 安西さんたちは黙っていた。図星だったのだろうか、言い訳すら思いつかないと見た。確かに、最終的にはDNA鑑定すれば言い逃れできない。


 巧は冷ややかな目で三人を見ていた。


「もう私と妻に関わらないでください。大事な妻を悲しませ混乱させた罪、はっきり言って私はかなり根に持ってますよ。この件は無論父にも報告しておきますので」


「! た、巧くん!」


「とりあえず唯さん、お体に気をつけて。お腹の子には罪はないですからね。もしまた妻に会いにいくようなことをすれば警察を呼びますので」


 にっこりと笑いかけた巧に、唯さんは何も言わなかった。額に汗を浮かべてただ座っている。


 その光景を見て嫌悪感に満ちた。いくら事情があったとしても、相手を騙すようなことまでして結婚したいだろうか。しかも子供を作ってまで。お腹にいる子が一番の被害者だと思う。これから先一体どうするつもりなのか。


……さすがにそこまでは、私たちは首を突っ込めない。


 巧が立ち上がったのを見て私も続いた。魂が抜け落ちてしまったような三人を横目に、私たちは並んでその場から立ち去っていった。









「……あっという間だった。あんなに緊張したのに」


 家に帰って私は脱力して言った。信じられないほど緊張したけど、思えば私日本語喋ってない。全部巧が進めていた。


 ネクタイを緩めながら言う。


「ああいうのは時間かけずにいかないと。勢いが大事。相手に悪知恵を思い付かせる時間与えちゃだめなんだよ」


「さすが……藤ヶ谷副社長」


「とんでもないのに巻き込まれたもんだよ。あの夜それを見抜いた自分を褒め称えたい」


 巧はどしんとソファに腰掛ける。私は感心した目で見た。普段ちょっと問題多いやつだけど、いざと言うときは頼りになるな、なんて。


「でもまさかあんなにヤバい案件だとは思わなかったよ。人間が一番怖いって本当だな。俺は立場上そういうのに会う機会が多いかもしれない、杏奈も気をつけろ」


「はい……」


「あー疲れた」


 巧は頭を強く掻く。セットしてあった髪が崩れて揺れた。天井を仰いだその姿がさっきのホテルでの巧とはまるで違って、私はつい笑う。


 私だけが知ってる、家の中の巧。


 笑われたことに気づいたのか、巧がこちらを見た。


「何」


「ううん。嬉しいなって。その、ここを出ていかなきゃいけないかと思ってたから。ちゃんと帰ってこれて、巧と一緒にいれて嬉しいなって」


「……お前はほんとさ」


 巧はどこか恥ずかしそうにして視線をそらした。その光景がまた、私の心をくすぐる。


 彼は立ち上がり、私の前まで歩み寄ってきた。背の高い巧の顔を見上げると、優しい目で私をみていた。


「これからは、絶対に一人で抱え込むな。なんかあればすぐ俺に言って。隠し事はしないで」


「……はい」


「また俺がいない間に樹なんかを連れ込まれちゃ発狂するかもしれない」


「あは!」


「笑い事じゃない」


 少し不満げに言った巧は、そのまま私にキスを降らせた。久しぶりのキスだった。私たちはなかなかそんなムードにすらなれなかったのだ。


 柔らかな感触に心臓がおおきく音を立てる。



『隠し事はしないで』



 そう巧と約束したところだ。


 ほんとにそれを痛感した。前巧の誘いを断ってしまって気まずくなったのも、今回の騒動も、私がちゃんと自分の気持ちを言えないのが原因だった。


 全てをちゃんと伝える必要がある。それが、私に出来る誠意の示し。

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