第58話 徹底的に
なんとか平然を装いながら続きをたずねた。
「そ、それで?」
「怖かった」
「感想聞いてないんだけど」
「いや本当に怖かったんだって。俺今までも変な女に言い寄られたことあるけど群を抜いてすごかった。だから穏便に済ませたくて、もう少し飲んでからにしませんかって誘導したんだよ。んで部屋で二人飲んで、飲みまくって。つーか飲ませまくって、潰した」
「それって普通男女逆なんじゃ……」
「ほんとそれ。かなり飲ませたよ。んで潰れたところをこっそり出てきたわけだけど、それで勘違いでもしたんだろうな。なんせあの女途中からほとんど裸で飲んでたし」
「ひぇえ!」
この私にはあまりに刺激が強すぎる話だった! 脳内はぐるぐると混乱しているが、いや細かいことはどうでもいい。そう、ちゃんと真意だけ見なきゃ。
私はぐっと巧に顔を寄せて聞いた。
「じゃあ……安西さんと何もしてないの?」
「あんな見るからにやばい女としてたまるか」
私は両手で顔を覆った。
まさか、そんなオチだったなんて。じゃあ、安西さんのお腹の子は他の男の子供というわけだ。私は巧と離婚しなくていいんだ……。
こんなことなら、すぐにでも聞いておけばよかったのに。
呆然としている私の頭を、そっと巧が撫でた。
「……ごめん。不安にさせて」
「ううん、巧は悪くない。ただ、昨日安西さんの名前を聞いたら珍しく戸惑ってたから、私は勝手に真実だって思い込んじゃって」
「あの女どうみてもヤバいやつだったから、俺の結婚聞きつけて何かしてきたのかと思って。あの日以来ずっと大人しかったからもういいかと安心してたんだけど」
「そういうこと……」
はあ、と大きくため息をついた。私の頭を撫でていた手が、そっと降りて私の手を握る。
巧はじっとこちらを見て言った。
「でも、杏奈がそれでもそばにいたいって言ってくれて嬉しかった」
彼の手の力は強く、痛いと感じるほどだった。それでもその力強さが、今は嬉しい。
髪を振り乱してスウェット姿で真夜中に帰ってきてくれたのが、私は嬉しい。
「信じてほしい。嘘じゃないから。安西唯とは何もない。俺は杏奈としか結婚したくないし、もし杏奈がいなくなったら一生独身でいる」
「……信じてる」
「だから、今みたいに何か不安なことはすぐに言って。俺以外に言うな。杏奈が何をわがまま言っても、全部受け止める自信があるから」
巧はそうキッパリいって、私を抱きしめた。
熱い彼の体温が心地よく、涙を誘う。
すべて一人で抱えて考え込むのが本当に愚かなんだとよくわかった。恋愛初心者はこれだからいけない。最悪の事態になるのが怖くて一歩を踏み出すことすらできなかった。
自分に正直にいなくちゃならない。欲しいものはちゃんと欲しいって言わないと、手に入らないんだ。
「うん、ありがとう。ちゃんと言えてよかった」
涙声で答えた私を、巧はさらに強い力で抱擁する。
安心感からか、一気に眠気が襲ってきた。巧の胸の中で眠ってしまいそうなくらいふわふわした感覚でいると、突然私を離した巧が立ち上がる。
はて、と巧を見上げると、彼はとんでもなく座った目でどこかを見つめていた。やや引くほど顔が怖い。
「た、たくみ?」
「安西唯と話す。杏奈も来い」
「え、う、うん。連絡先は聞いてるけど」
「安西唯の親も呼ぶ」
「え、安西グループの社長様を……!?」
「ああでも、少しだけ待ってくれ。全てが揃うまで」
私は首をかしげた。揃う、とは?
巧は腕を組みどこか一点を見つめながら吐き捨てた。
「俺はなんでも用意周到、やるときは徹底的にやるタイプでね」
「…………」
なんかよく分からないけど、
巧がちょっとだけ怖い。
それからしばらく経った頃、安西さんたちと話し合いの場が設けられた。
私は巧と二人、あちらは安西さんとそのご両親。どんな図ですか、おかげで緊張ガッチガチだ。
場所は有名高級ホテルのラウンジ。今からとんでもなく修羅場な話が始まると言うのに、こんな場所でいいのだろうかと心配になった。
巧はスーツを身にまとい、まるで仕事に行くかのような格好で準備を整えた。私もしっかり身だしなみに気をつけておく。
二人で待ち合わせ場所に着いた頃、すでに三人は座って私たちを待っていた。安西さんはお腹が余計に大きくなったように見え、そして私の顔を見て勝ち誇ったように微笑みかけてきた。
そんな安西さんには目もくれず、巧は飄々とした様子で三人に歩み寄り声をかけた。
「お待たせして申し訳ありません、ご無沙汰しております」
頭を下げた巧に続いて私も続く。淡いブルーのワンピースを着ている安西さんの両脇には、やはりお金持ちそうな男女が座っていた。
安西グループは、藤ヶ谷家とまではいかないも有名な方々だ。その出立ちからもよくわかる。身につけているのはブランド品ばかりだ。むしろお義父さん、お義母さんたちの方がもう少し近寄りやすくてフレンドリーな感じがするくらい。
安西さんの父が、にっこりと笑った。
普通娘を妊娠させた相手を見たら殴りかかるのが父親かと思っていた。しかも、既婚者なのに。
不思議に思いながらも、椅子に腰掛けた巧の隣に慌てて腰掛けた。
「いやあ、久しぶりですね巧くん。お父様はお元気で?」
「ええ、おかげさまで」
「それは何より。えーと隣の方は」
「妻の杏奈です」
私は頭を下げた。緊張で吐き出しそうなのを必死に抑える。三人からの視線が痛く感じた。
頭を上げると、唯さんと目が合う。気まずさが極限で、私は目を逸らした。
その光景が彼女には嬉しかったのかもしれない。満面の笑みで巧に話しかけた。
「巧さんお久しぶりです唯です。その節はどうも」
「どうも」
ぶっきらぼうに返事をした巧は、ちっとも緊張してる素振りなんて見せずに言った。
「早速ですが、唯さんのお腹の中に私の子がいるとか」
苦苦しい顔でご両親は頷いた……かと思いきや、三人揃って満面の笑みで頷いた。唯さんが意気揚々と話し出す。
「そうなんです、実は! ほら、あの日の……ご連絡が遅くなってすみません、結婚なさっていたとは知らなくて。どうしてもこの子を産みたいと思っていたものですから」
「あの日、と言いますと?」
冷たい声で巧が尋ねた。唯さんは笑って言う。
「ほら、ここのホテルのバーで飲んだ日ですよ。覚えてらっしゃるでしょう?」
巧は無言でため息をついた。私は何も言えずただ黙って怯えている。
「子供もいるんですから、すぐに離婚なさって。まさか子供もいるのに私とは結婚できないとおっしゃるの?」
愛おしそうにお腹を撫でる唯さんを、巧は氷のような冷たい目で見た。そしてああ、と思い出したようにわざとらしくいう。
「あの日ですか。あなたが一人ほとんど裸で酒を飲み、爆睡した後それを置いて出て行ったあの日」
安西家の笑顔が固まった。
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