第54話 おでかけ
巧とまだ話せていないけれど、これ以外の結論が私には浮かばないのだ。
「出張から帰ってきたら、ちゃんと話さなきゃ。子供は今も育ってるんだもんね」
ポツリと呟き苦笑いした。
樹くんは何も答えず、ただ黙って私を見ていた。その真っ直ぐな視線が苦しくて目を逸らす。
「ごめんね、騙してて」
「……俺今日ここ泊まるから」
謝った私に対しての返事はなぜかそれだった。驚いて顔をあげる。
「え?」
「だってまだ俺は義弟なんだし、別にいいでしょ」
「よ、よくないよ」
「いいじゃん、もう巧とは離婚するんでしょ。なら気にしなくてもいいじゃん」
そう言い捨てた樹くんは、スタスタと歩いてソファにどしんと腰掛けた。私はオロオロと戸惑う。
確かに離婚するなら巧の言いつけを守る必要もないかもしれない。でも勝手に泊まらせるのもなあ……。私の家でもないし。
困っている私に、樹くんがさらに言った。
「巧とルームシェアできてたなら俺でもいいじゃん。寝るときは巧の部屋で寝るから。いやだけど」
「え、ええ……」
「ところで杏奈ちゃんまだご飯食べてないんじゃない? 準備しておいでよ、ご飯行こう」
頑なに帰ろうとしない樹くんに、私も折れた。もう彼を追い返すだけの力が残っていないというのもある。
正直食欲もまるでないのだが、断るのも面倒で私は無言で自室へ入っていった。
「あーお腹すいた! 杏奈ちゃんどれにする?」
樹くんと近くのファミレスに来た私たちは、メニューをのぞきこんでいた。
なんだかんだ、樹くんと二人での食事は初めてのこと。でも何回も会っているし、今更緊張なんかしなかった。
私はお腹も空いていないので、適当に一番安いパスタを指差す。
「じゃあこれで」
「オッケー。お酒も飲んだら?」
「え?」
「せっかくだし」
ドリンクメニューを見せられ、少し迷った挙句ビールを頼んだ。樹くんも同じように頼む。
しばらくして店員がまずビールを持ってきた。まだ昼間だと言うのに、私たちはそれを思い切り飲み込む。
冷たい独特の喉越しが少し気分をよくさせた。ふうと一つ息を吐く。
「杏奈ちゃんお酒強いんだっけ?」
「普通、かな」
「はは、普通って自分で言う人は結構強い人だよ。ほらどんどんお変わりしちゃえ!」
栗毛色の髪を揺らしながら樹くんが笑った。犬みたいな彼をみて、本当にこの子って根はいい子だよなあ、と思ったりする。
わかってる。樹くんなりの励ましなんだってこと。
冷えたグラスを両手で包んだ。巧の顔が思い浮かびそうになったのを必死に拒否するようにビールを飲み込む。
「いい飲みっぷり! すみませーんビールもう一つ!」
樹くんが笑いながらそう注文してくれた。
店員がすぐに新しいビールを持ってきてくれるのをぼんやり眺めながら思う。
ああ、樹くんと二人になるなっていうのも、飲みすぎるなっていうのも、約束破りまくり……。
そういえば巧とファミレスなんてきたことなかった。最近ようやくデートらしいデートをするようになってて、それでも数はまだまだ少ない。平日は時間も合わないし、休日も家でゆっくりすることも多かった。
巧とファミレスとか来たら、面白かったかな。
「どっか行きたいとこない?」
樹くんが私の顔を覗き込んできた。
はっとして考える。
「え、どこだろう……」
「映画とかでもいいし、カラオケとかボーリング?」
ニコニコと笑いながら聞いてくる樹くんに、あれいつのまに遊びに行くことになってたんだろう、と思う。泊まるってなっても遊びに行くだなんて……
「そうだ、買い物でも付き合ってくれない? こう言う時はお金パーっと使ってスッキリしなきゃね!」
樹くんはそう決定した。私が口を挟む暇もない。何かを言おうとしたけれど、その時ちょうど注文した料理が運ばれてきてしまい、完全に反論するタイミングをなくしてしまった。
彼は運ばれてきた料理を美味しそうに口をつけた。仕方なしに私も少しずつ食べていく。
ビールは液体だからかスルスルと入ったけれど、固形となるとやはりあまり進まない。私は必死にパスタを巻いて口に運ぶが、胃袋がすぐに悲鳴を上げていく。
困ってしまった私に気づいているのか、樹くんが食べながら言った。
「食べれるもの食べれる分だけ食べればいいよ」
「え……」
「またお腹空いたら何か食べればいいんだからさ。あ、アルコールで胃を痛まない程度にね」
優しいその声に少しだけ俯いた。
まだ半分以上残っているパスタは、それ以上手をつける事なく残ってしまった。
かわりにまたアルコールを水のように飲んでいく。酔いが回る様子は全く無く、ただ喉を潤すようにグイグイと飲みつづけた。
樹くんはそんな私に何も言わず、時々笑って明るい話をしてくれた。彼も何度かアルコールをおかわりしていく。やっぱりあの旅館では酔ったフリしてたんだな、と今更ながら思った。
しこたまビールを飲みまくった後、私たちはファミレスを後にした。その足で樹くんはタクシーを呼び街へと向かっていく。いつだったか、巧と映画を見にきた街だった。
タクシーを降りてどうしていいか分からない私を、樹くんは上手く誘導してくれた。それはまるで、デートしている男女のようだった。
買い物に付き合って、と言ったくせに、樹くんが足を踏み入れるのはレディースのお店ばかりだった。
服やアクセサリー、カバンに靴。多くが並ぶお店は、高すぎず安すぎず、足を踏み入れやすいお店だった。
「杏奈ちゃんどんなのが好み? 色とかさ」
そこいらにある適当な服を手に取りながら樹くんが聞いてきた。
「え、なんだろう、あまり考えたことないっていうか。店員さんに勧められるのを買ったり……」
「ブランドはどこが好き?」
「(ブランドより二次元が好きなので)あまり興味ないかな」
「ふーん、意外だね。こう、いつもビシッとした感じなのに」
樹くんは何か考えながらじっと洋服を見ている。私はといえば、買い物をする気なんか起きなくて困っていた。
さすがに今は、オーウェンの限定グッズが目の前に売っていたとしてもテンションは上がらないと思う。
樹くんが選んでいるのをただぼうっと眺めていると、彼が振り返って笑いかけた。
「こっちとこっち、どっちが好み?」
「え? ええと……こっちかなあ」
差し出されたスカート二枚を見て選ぶ。ふんふんと樹くんは納得する。
「じゃあこれとこれは?」
「これ、かなあ」
「靴はこれとこれなら?」
「まあ、これ?」
「うんうん。オッケーオッケー。じゃあこういうの好き?」
樹くんが出してきた服を見た。どちらかといえば私がよく着ている服のテイストに似ている。
私は頷いた。
「うん、可愛いと思う」
「あーやっぱりね。こういう系が好みなんだね、よく似合うと思うよ。杏奈ちゃん顔立ちからしてふわっとした色よりパキッとしたやつのが絶対似合うし。ほら」
どこかの店員だろうか? 樹くんは私の体にワンピースを重ねた。
「丈もいいし動きやすいと思うよ、これ似合ってる」
「そ、うかな」
「はい、決まりー」
なんとスムーズなチョイスか。しかも私の好みも配慮しながら似合うものを選んでくれるとは。素直に感心してしまった。
「あとこっちとかね。これも買っておこう」
「い、樹くん、私そんな……」
「いーじゃん別に。服は持ってて損はないっしょ」
両手いっぱいになるほどの服を持ってにっこりすると、樹くんはそのまままだ買い物を続けていく。
その光景に、少しだけ笑った。
なんていうか。ほんと変わった子だよなあ樹くん。知り合えば知り合うほど不思議でしょうがない。こういう時は器用だなあと感心させられる。
……巧と初めて買いものにきた時なんて、めちゃくちゃだったのに。
よく分からない高級店に入って有無言わさず高い靴買って。嬉しかったけど、正直戸惑いが大きかった。
ああでもその後、巧もどうしていいか分からなくて戸惑ってたって教えてもらったんだっけ。意外とちゃんとしたデートなんてしてこなかったって。
お互い緊張してただけなんだって。
「杏奈ちゃん、化粧品とかも見てみよう」
いつのまにか会計を終わらせていた樹くんは大きな紙袋を持って立っていた。ぼうっとしていた私は慌てて彼に言う。
「ご、ごめんお金……!」
「あーいいのいいの。ほら、化粧品こそあって困るもんじゃないでしょ? 杏奈ちゃん可愛いからいらないくらいだけどね」
「あ、せめて荷物を……」
「いやいや、どこに女に持たせる男がいるんだよー。さ、いこいこ」
巧と真逆でデート慣れしてるであろう樹くんは、さらりと私の提案を流して店の外へと出ていく。私は慌ててその後を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます